This is Not here - Invisible Moment *//INCIDENTAL VANISHING STARS//

illust

http://freedom-project.jp/wp/freedom_6007_1280.html

配管、配線、よくわからない機械、巨大な建築物とか…いいね。弐瓶勉とか。
日本人が近未来に居ても違和感無いのが大友絵。
鳥山明のメカは今にもしゃべりそうだ。
村田蓮爾の絵はデザインデザインしている(空間の使い方がいい)。
田中達之の絵は、ノスタルジックでレトロでサイバー。

生きているイラストを見るのは好きだ。

クラスメイト

Mr.ChildrenのAtomic Heartの5曲目。
innocent worldやcross road、そしてoverがあるけれど、この曲も好きだ。
アルバムの中に紛れている曲が良かったり、シングルのファーストビートよりもセカンド、サードの方が良い曲だったりするアーティストをよく聴く。良い曲かどうかは個人的な価値観の問題だけど。

この曲はクラスメイトに再開してその恋愛模様というか、心情を歌っているんだけどその辺がいい。「3ヶ月前の再開から?」のセンテンスとか。甘ったるいと言えばそうだけど。overの女性の描写もそうだな。そういった部分をさらりと歌えてるのが面白い。

自分は曲を聴いて良いなって感じたら歌詞を読む。それで曲を再認識する。そうすると更に理解が深まって、もっとその曲を好きになる。そんな循環。音楽でも映画でも小説でも何でもいいんだけど、それらに触れるのは自分のなかを鏡で見るような感じだ。共鳴するものが無ければ自分には何も無かったんだな、と。

そういえば、イラストやグラフィックで植物がよく描かれているんだけど、あれを見るようになってから逆に自然の植物を注意して見るようになった。そして、その綺麗さを認識できるようになった。現実と創作物のループが、お互いがお互いを強化している。そんな感じ。

Corinthians 13

Love is long suffering,
love is kind,
it is not jealous,
love does not boast,
it is not inflated.

It is not discourteous,
it is not selfish,
it is not irritable,
it does not enumerate the evil.

It does not rejoice over the wrong,
but rejoices in the truth.

Love never falls in ruins.

ALPHONSE MUCHA

先日、画集を買った。
PRINCEZNA HYACINTAが良い。他にもGISMONDA、MEDEE、HAMLETなど。
輪郭線で描かれていて、絵がデザインされている。カッチリしている感じ。

時間の洗練を浴びて、生き残ったものは素晴らしいものばかりだ。
そう永沢さんが言っていた。

意味の向こう側

松本憲生パート集

やっぱりアニメの肉弾戦はいいね。
戦闘シーンと言えば、Cowboy Bebopが良い。中村豊か。
ビバップは、音楽(菅野よう子)が良すぎだった。渡辺信一郎はそういう部分が好きだ。サムライチャンプルーも。

枚数多く使って動いていたり、細かい破片の描き込み、エフェクト、背景動画など、気持ちいい動きが好きだ。見ていてワクワクする。描くのはメチャクチャ大変なんだろうなって思うけど。

突き詰めていくと、すべての映画はアニメになる(押井守)んだろうし、音楽もノイズやインストゥルメンタルにいってしまうんだろうなって思った。すべてを自分の支配下においてコントロールして、そして、意味の向こう側へ。

lost in the crowd

確か、宮崎駿は細かいパーツを繋ぎ合わせて作品をつくっていると、鈴木敏夫か誰かが言っていたと思う。そして、日本の建築(宮大工?)がそういうつくりをしているとか。細かいパーツから、それを雪だるまみたいに膨らませていって、映画なりなんなりになる。逆にそれは全体を俯瞰した状態でつくっていないってこと。絵コンテが完成しないまま作画を始めてしまうのが正にそれで、キレイにお話が着地できればいいけど、難しい。でも、行き当たりばったりの方が、突出したものが何かのはずみでできそうで面白そうではある。制作者が楽しんでいない作品はつまらなそうだし。でも、映画は完成しなかった時のリスクが高すぎる。
話題は変わって、数年前のTVで久石譲が作曲で上手く行かない時は、入り口を間違えているって答えていた。入り口を間違えていると確かに完成しない。グラフィックだとレイアウト崩して、一から組み直すしかない。なので、途中途中でファイル名を変えて保存したりしていた。そんな、遠い日の記憶。

e-zine

ずいぶん前になるけど、AusINfrontにINfrontをつくったメンバーはもう年なので若い世代にバトンを渡したい、みたいなことが書かれていた。新しいメンバーの募集だったか何かだったか。記憶違いかもしれないけど。それを読んだ時に、そこまで考えて運営してるのかと(失礼だけど)吃驚してしまった。
そもそも、INfront自体がオーストラリアのデザイナーのコミュニティとしてつくられ、そして運営されて、参加者も多く、傍から見ると上手く行っている様に見えた。実際はどうなのかわからないけど。まぁ、designiskinky.netkiiroi.nuk10k.netthreeoh.comaustralianinfront.com.ausurfstation.luh73.comなど、全体的に停滞気味ではある。無いサイトもあるし。というか、挙げたサイトが古いのか。個人的には新しいか古いかが問題なんじゃない。良いかどうかが問題なんだけど。まぁいいや。一番元気があるのは、newstoday.comだろうか。動画あるし。ただ、情報のフローが早過ぎてストックされてない感じはする。スピード重視なんだろうけど。
自分はよっぽど時間がある時ぐらいしかこういったサイトは見なくなった。興味が外から内に変わるというか、自分に何が出来るか、何がつくれるか、ってことの方に興味がでてくる。消費から生産へ。いろいろ見て学ぶ段階と、技術を磨く段階、そして習得した技術で何をつくるのか、って段階が人にはあるんだろう。もちろん、モノをつくる人間として、技術を磨き続けるというのは大前提なんだけど。そして外を見なくなると、時代に置いていかれるんだろうな。
そういえば、上記のサイト群はクリエイターズクリエイターというか、そういう系だな。INfrontは非営利で、お互い切磋琢磨し、高いモチベーションを保ちましょうってサイトだけど。広い視野を持って、遠くまで考えて、動いていけるのはスゴイなって思った。正直、羨ましい。
久しぶりに巡回してみたら、いつの間にかcomputerlove.netはblogになってますね。halfproject.comは、いつ完成するんだろうか。もうお相撲さんはファミコンやらないのかな。こういったサイトたちの相関図というか系譜があったら見たいな。時系列で。

Category:Graphic_designers

http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Graphic_designers

The Designers Republicはあった。why not associatesは無い。
よくわからないけど、業界のヒエラルキーってあるのかな。
国内だと特にそうだと思うけど、「こういうことがしたかったら、ここに行け!」ってのがあまりない。他の業界だとあると思う。昔だと誰々と仕事がしたいからどこどこに行く、とかそんな感じか。今もあるのかな。前近代的な徒弟制だとアレだけど。
小さい会社がポコポコあるよりも、もっと淘汰されて柱になるような会社がいくつかあった方がいいような気もする。個人で出来ることには限界があるし。若い時だけの仕事、若い人を使い捨てにしていくやり方、には問題がある。

ここまで書いて思い出したので脱線ついでにもう一つ書くと、ポッと出の天才に凡人がタカっているのが日本のような気がする。でも、他の国もそうか。きっとどこの国も、どこの業界もそうなんだろう。そんなことを思った。

THE KOLN CONCERT

Keith Jarrettのピアノ即興コンサート。
何年か前にTVCMで使われていて知った曲なんだけど、買った当初は全く理解できなかった。それで一年ぐらい放置していて、久しぶりに聴いてみたらその素晴らしさがわかった。その時以来、絵でも音楽でも何でも「文法」があって、それを身に付けないとそれらは楽しめないんだと学んだ。なんで久しぶりに聴いたら理解できたのかはわからないんだけど。グラフィックつくりまくってた時期なのでそれが関係するかもと個人的には思っている。
数年前、美と出会う(NHK)という番組でHIROMIXの回があって、その時に篠山紀信が彼女の写真を理解するのは苦労したけど、一度写真の見方を理解したら全部わかった、って言ってたのを思い出した。個人的には、ファッションフォトがそうだ。最初は見方がわからなかった。楽しみ方というか。でも、ある時霧が晴れるようにほとんどすべてがわかる瞬間があった。それからはだいたいわかるようになった。感覚的なものだけど。大量に見たり聴いたりして、ある閾値を超えると見えてくるものがある。英語などの語学の勉強もそうらしい。もちろん、個人差はあるだろうけど。
話を戻そう。
この曲(アルバム)は即興演奏なのでどうやって曲として組み立てていくか、手探りで進んでいくので全体的に不安定なんだけど、逆にそのゆらぎが良い。そして、演奏の方向性が(演奏者の中で)決まると、そっち方面に全力で進んでいく。小さくコンパクトに纏まるんじゃなくて、ドライブが掛かってくるとどこまでも突き進んでしまう感じが良い。同じフレーズが繰り返される部分とか聴いてると、緊張感がそのままダイレクトに伝わってくる。そして、演奏者が演奏を楽しみ、曲が独りでに歩き出している。そういったものを感じさせてくれるアルバム。個人的には無難に納まるよりも、三振かホームランの二択しかないような偏ったものが好きだ。

子供と社会の接点

インタラクティブ

子どもである自分が、社会と繋がる感覚。 何百人も乗せた電車を運転する人が、自分に気付き、応答してくれる喜び。 橋の上と橋の下、子どもと大人、自分と社会の距離が縮まっていく。

なにが嬉しいのか、なにが楽しいのかがよくわかる。
自分もそういうのが好きだった。
そういうのがあると、ちょっと世の中が好きになる。

この感覚は誰もが持っていると思う。
TVゲームもそうだ。自分がしたことが、何かを引き起こす。
社会と繋がる感覚は、承認を得るってことだと思う。自分はここにいて、第三者に認識されたんだ、という。そして、自分はここにいていいんだという安心感。
そういえば、車の後部座席に乗って、信号待ちの時に後続の車の人に「ジャンケンをしよう」という仕草をして、遊んだ記憶がある。
子供の成長ってのは、(通過儀礼としての?)承認の連続とその積み重ねなのか。大人になってもそうだな。社会で生きる限りは。

セントマーティン島

昔の香港に行きたかったのを思い出した。
九龍城とかあったし。

自発性と創造性

「原稿料安いからやーめた(烏賀陽弘道)」は、新しい世界の縁に飲み込まれる叫び

自発性が無いものには、ほとんど意味が無い、って言うと言い過ぎだろうか。
会社での仕事や、学校での勉強、ボランティアなど、自発性があるかないかで大きく違ってくるなぁと。モチベーションって言い替えてもいいけど。
例えば、学校(会社)で教師(上司)が生徒(社員)にプレッシャーをかけて育てようとしたりするが、そういうやり方で伸びるのはある程度までで、往々にして教師(上司)の自己満足で終わる可能性が高い。好きこそ物の上手なれって言葉がある通り、自発性が無いとダメだろう。周りからどうこう言われる問題じゃないってことだ。そして、(優秀な)教師や上司はそういった環境を提供する立場にあるような気がする。もちろん、(優秀な)生徒や社員はそういった場所を探して動くだろうけど。
優秀な人間は自分で自分のことをマネジメントできる。そして、自分で自分のことを追い込んで能力を高める。そして、高いモチベーションが創造性に繋がる…ってことか。
AKIRA(大友克洋)のなかで人間の持つエネルギーはどこから来るのかってセリフがあって、その部分がなんとなく印象に残っている。

commitment

いよいよ揺籃期かね

広告ビジネスの話。
だけど、それに限らない話だと思った。
一部引用すると、

どのような役割であろうとも、最初の足場ができたということを喜ぶべきだと思う。たったの数年で、リアルなビジネスの世界において「結局は広告屋じゃないか」と言わしめるようになったのは、まぎれもない事実であり、ごまかしようの無い結果なのだから。

だからこの最初の足場に誇りを持って、新しい次元を創生すればいいのだと思う。

無視することはできない存在ってことだね。

技術はあくまでも道具であり、道具である以上、人々の生活に役立たなければならない。現実の世界と懸け離れた仮想の世界だけで役に立つものなど、無いも同然なのだから。

これは社会で生きる限り、あらゆるものがそうだと思う。社会に寄与したり、人々の生活に役立つことが大切。そしてそれが、”結果的に”ビジネスになる…ってことか。

「言葉」から「行動」へ

結局「blog」って何よ?
日々の業務に追われ、何も成し遂げぬまま時間だけが過ぎ、そして年をとっていくんだろうな、と。でも、そういった人たちが世の中の大半なのではないだろうか。だから、人は結婚し、子供を育てるのかな…と。
自分に対して何かがどこからか訪れるのを待っていても何も変わらない。自分からリスクをとって、失敗を恐れずに行動しないと何も変わらない。そういう意味で言えば、blogの言葉は導火線みたいなもので、その先に行動が無いと意味がない感じがする。

Here's to the crazy ones.
クレージーな人たちがいる。
The misfits. The rebels. The troublemakers.
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
The round pegs in the square holes. The ones who see things differently.
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように物事をまるで違う目で見る人たち。

They're not fond of rules. And the have no respect for the status quo.
彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。

You can praise them, disagree with them, quote them, disbelieve them, glorify them or vilify them.
彼らの言葉に心をうたれる人がいる。反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
About the only thing you can't do is ignore them.
しかし、彼らを無視することは誰にもできない。

Because they change things.
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
They invent. They imagine. They heal. They explore. They create. They inspire.
彼らは発明した。創造した。人の心を癒し、奮い立たせてくれた。
They push the human race forward.
彼らは人間を前進させた。

Maybe they have to be crazy.
彼らは人と違った発想をする。
How else can you stare at an empty canvas and see a work of art?
そうでなければ、何もないキャンバスの上に芸術作品は見えてくるだろうか?
Or sit in silence and hear a song that's never been written?
いったい誰が沈黙の中に座って、まだつくられていない音楽を聴けるだろうか?
Or gaze at a red planet and see a laboratory on wheels?
赤い惑星をじっと見つめて、車輪に乗った実験室を見ることが出来るだろうか?

We make tools for these kinds of people.
私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
While some see them as the crazy ones, we see genius.
クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。

Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。

Think different - Apple Computer


何度読んでも良い言葉だと思う(訳は微妙に違うようだけど)。

fashion photographer

久しぶりにphotographer siteの更新をチェックした。海外は更新されていたサイトが多過ぎるので、国内特集ということで更新されていたサイトをエントリー。
go relax E more
D-CORD MANAGEMENT
MILD inc

MI-ZO
写真からグラフィックやイラストっぽい感覚を受けてかなり好き。

yokonami osamu
カワイイ。温かい写真。思わず笑顔になってしまう。

SASAGUCHI PHOTO
松尾スズキがダンディー

muga miyahara
commercial worksがいい。


海外も二つだけ書いておこう、
Loretta Lux
new worksが追加されていた。日本では以前、公文式の広告で見た人です。

Biel Capllonch
tourist onlyが良い。

ファッション・フォトは、真面目でかっこいいけど、面白・可笑しい写真が好きだなぁ。そんな神妙な顔して何してるんすか(笑)ってのが良い。下品なのは嫌だけど。sense of humor.
クオリティに関しては、背景や美術セット、衣装などでかなり左右されるだろうなと思う。当たり前だけど。介在する人が多ければ多いほどクオリティコントロールは難しくなるんだろう。

あと、どういった形で写真を撮るのかわからないんだけど、構図などのアイデアはphotographer自身が考えるのだろうか。それとも、代理店等が企画を考えてしまうのかな。実績のある人なら企画の段階から絡むだろうし。ま、ケース・バイ・ケースだろうけど。国内の場合、こういった写真は海外のプロダクションやフォトグラファーに出してるんですよね。CMとかそういうのもそうだけど。国内でこういった写真でビジネスするのはかなりシンドイ。だから海外に行く人も多いんだろうな。業界のこと全く知らないんだけど、素人考えで書いてみた。

一枚の写真から物語の全体像が想像できるような、そんな写真が好きだ。写真の前後にはこんなことが起きているんだろうな…と想像できるような。ここに写っている人は、この時こんなこと考えてたんだろうなって。これは写真に限らず、他のものにも言える。物語が勝手に再生されるようなそういったものはずっと見ていたいし、ずっと浸っていたいなって思ってしまう。そんなことをぼんやりと考えていた、日曜日の午後でした。

No title

INSPIRATION SCENE
Flashの中に映像を取り込むのは面白そう(SCENE3)。Flashってよくわからないけど。サイトを見て思ったのは、一人一人が別の作品つくるんじゃなくて何人かで超大作つくって欲しいかも。そういうのってもう既にあるんでしょうか。Flashで。グラフィックだと、cubadustのVersus Projectみたいなの。でも、.flaのサイズが大きくなると大変なことになりそうなので無理か。リッチとリーンの間、それがFlash...?
アプリケーションとしてのFlashは、photoshopと同じインターフェースになると確かに良いですね。それで「何をつくるか」が問題ですけど。


カルティエ現代美術財団コレクション展
ちょっと気になった。でも、サイトが落ちていて見れない ;)


FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN
少し前の話題だけど、発売日に買って見たときは驚いたと共にちょっと悔しかった。良いもの見るといつもそう思う。カットごとにつくり込みのバラつきがあったけど、それは制作期間が長かったのでしょうがないとして。アクションだけにしぼってつくってあったので飽きずに見られて良かった。その中でも音楽と映像のシンクロ具合が良くて、後半の刀がクラウドの肩に刺さって、カメラが刀からセフィロスまで動いていくシーンが音楽と映像がシンクロしていて見ていてゾワゾワした。もちろん、そのシーンに行くまで見ている人に感情のストックをさせているから盛り上がるんだろう。あと、個人的にFFVIIは面白かったという記憶があるので、思い出補正ってことで。

社会での生き方

凡人が万馬券ばかり買って競馬場を去る社会
登山口に辿り着けるかと山を登れるかは別問題
過ぎたる機会は及ばざるがごとしか
これらを読んで、ポール・グレアムのエッセイの翻訳、How to Do What You Loveの中の、

さまざまな制約は、人生に輪郭を与えてくれる。そうした制約を外してしまうと、ほとんどの人は自分が何をしたらいいか全くわからなくなってしまう。
を思い出した。
生きていく何某かのモデルが無いってのは同感。昔はきっと働くということにリアリティがあった。というか、働くということがそんな大層な行為ではなかったんじゃないんだろうか。田舎だと工場(こうば)があって木っ端を拾ってそれで遊んだり、農家でも植木屋でも土方でもいいんだけど、働いている身近な血の通った(って書いた方がわかりやすいかな)大人がいた。でも、現代だと基本的にオフィスの中で大人が何をしているのかわからなくなっているし、コンビニやそういった場所の店員から身近な感じや血の通った感じはしないと思う。風景化しているだろうし(宮台真司だったか)。あと、消費者から生産者側にならないといけない時に、ギャップに驚くというのもあるかも。
ま、難しいことはよくわからないけど、とりあえず、社会の中で生きていくには既に社会にでている、大なり小なりの権力(資本など)を持っている人に”選ばれる”というプロセスを踏まないといけないわけで。就職活動だったら人事だろうし、B2BでもB2Cでも相手(企業、消費者)に選ばれないと社会的に存在ができない。この”選ばれる”というのは、試験の点数などで何かを数値化して”選ばれる”という場合と、そうじゃない数値化できない部分で”選ばれる”という場合あって、この辺が難しいところか。そういえば、「デジタル化や数値化できない能力がこれからの時代は重要になる」って至る所で見たりするけど、そういった世界で人々が幸せに暮らせるかというとそうではないだろうなと思う。日本はそっちに進んでいるんだろうけど。

Julie Verhoeven

+81のVOL.27に載ってる人だけど、見たときは久々にキタと思った。「あの時(頃)の感覚」を求めてモノをつくり続けたり、(特定の監督の)映画や何かを見続けたりするんだろうけど、年々逓減してくる。んで、久々にキタのがこの人だった。詳しく知らないんだけど。。
2Dと3Dの間、イラストとグラフィックの間、写真とドローイングの間とか、混ざってるのが好きだ。グラフィックの側からイラストに近づくのと、その逆とではまた違う。それぞれ面白みがあって良い。アニメと実写もそんな感じか。
何となく思い出したので、ここに書き留めておくことにした。

日本資本主義の精神

山本七平の著書は突然昔の古い文書の引用や、聖書関係の話が出てくるので読みにくい部分がある。そんなに多く読んだわけじゃないけど。日本語は時代と共に変化しすぎて、過去の文書の蓄積が知識や情報として次の世代にあまり相続できていないんじゃないかと感じる。
それで、この本の内容は、機能集団であるはずの会社が共同体として作用すること、日本人の経済行為は一種の禅的な修行であること、「資本の論理」とその上に樹立される「資本の倫理」の話、などが書かれていた。共同体の部分は、ソニー本社六階(竹内慎司)という本を少し前に読んでいたので、日本は何も変わっていないんだなと読みながら思った。以下、気になった部分を引用する。

「明君」といわれた人の統治方法を見ると、一方では「資本の論理」どおりに行ないながら、自らは質素倹約、同時に大いに武芸も奨励して、それに参与できない人間にも存在理由を認めて、心理的満足をもたせるという方法をとっている。

人の上に立つ者としての心構えというか、人心把握術みたいなものでしょうか。存在理由による心理的満足。そのコミュニティに属しているという一体感。それが強固な結束も生むし、腐敗も生む。

どうすべきかは、後になって見れば、明らかである。だが世の中のことはすべて、「後になって見れば」そうなのが当然であっても、その渦中にある者にはこの「当然」が見えなくて不思議ではない。「事実」は人を動かさないが、「虚構」は人を動かすからである。

ある状態に置かれた者がどういった選択肢を取れば良いのかについて。「事実」は人を動かさないが、「虚構」は人を動かすからである。という部分が面白い。確かにそうだ。
大切なのは、冷静に客観的な現実を把握すること。そして、それに即して行動するということ。それがどれだけ難しいことか…。基本的にあらゆるものは事後的にしかわからない。時計の針は時を事後的に記述している。時間の流れの痕跡を、事後的に視覚化しているだけ…。
最後にトヨタのかんばん方式を引いて、「働く」と「動く」の違いについて。「ニンベンの有無」だけれど、大きく違う。生産性や経済合理性という部分を無視して、「ひたすらやった(動いた)」ことに宗教的意義を感じ、満足してしまう日本人。「動く」ことで現実から目をそらし、精神的充足を得る。そして、それが仕事として評価されないと不満を言う。という話。グラフィックやイラストでも、無駄に情報量を上げたり、描きこんだりしてもダメって話に似ている(このエントリーを書きながら思った)。
働いている人と動いている人の違いを見分けるのは極めて難しい。なぜなら、ある時は働いているけれどある時は動いているという風に人間は常に揺れているから。そこでトヨタは仕事をモジュール化して単純労働化し、誰でもできる仕事にすることで、常に全員が働いている状態にする。そして収益を上げている、、のか。きっとそうだ。働いている人が働いていない人に対して働けと言うと、その言われた人は働かずに「動く」だろう。そして、逆に仕事が増えていく。そう考えると、単純労働の仕事でないのなら働く人も働かない人もいた方が良い。共同体の中にある程度の多様性が確保されていた方が、マクロで見れば最適化されていそうだ。パレートの法則か。しかし、ここで問題にしたいのは、動いていないと不安になる精神構造の方なんだが…。ま、長くなったのでこの辺で。知識労働者の生産性に関しては、P.F.ドラッカーあたりか。

纏まらない文章がデフォルトになって来たけど、思考実験としての読書は面白いってことで。おしまい。

creative lover's pleasure

もの作りってのは、細い崖の上を匍匐前進で進んでいくようなもので、もう限界というところで旗を立てて帰ってくる。素面に返って旗が立っているところを見ると、自分はあそこまで行ったのか…と少し感慨深くなると共に、またあそこまで行かないといけないのか、、と不安になったりする。そして、次はもっと遠くまで行こうと考えて、また崖の上を匍匐前進で進んでいく。以前の旗が立っているところまで進み、そこから1mmでも前に進もうともがき苦しみ、限界にきたら新たに旗を立てる。そうやって制作物を積み重ねつつ、試行錯誤しながら僕らは前に進んで来たはずだし、これからも進んで行くんだ。何かを制作することで自分に足りないものが見え、納得のいくものをつくるために自分を磨く、といった過程を繰り返して制作物と共に成長をしていく。それが制作者の最高の喜びであり、生き甲斐である。

情報量とクオリティとコンテクストの関係

絵でもグラフィックでも、情報量とクオリティの関係は気になる。描きこんで画面密度を高くして情報量を上げていけば画面(レイアウト)としても安定するし、クオリティ(ってなんだ?)も高く感じる。アニメ等の動画だと静的な情報量と動的な情報量があってその辺が気になる。まぁアニメは、参加しているアニメーターで見るかどうか決めるけど。結論は在り来たりだけど描きこめばいいってモンじゃないってこと。情報量が少ないと制作していて不安になる。逆にそれだけセンスがいるんだろう。画面密度を上げることが持続的な進化ならば、もう一方は突然変異(破壊的な進化?)という感じか。
個人的には、高密度なものも独特の画風も両方好きだ。リアルも非リアルも。アニメで言うと、沖浦啓之の超絶リアル作画も好きだけど、うつのみや理や大平晋也の独特の作画も好きだ。森本晃司、田中達之のデフォルメ・リアルも良い。宮崎駿、大友克洋に影響を与えているフランスのメビウス(ジャン・ジロー)はスゴイ。描きこみとそうじゃない緩急の使い分けが凄すぎる。この辺を見るとよくわかる(メビウス・ラビリンスより)。両者が影響を受けるのも納得。
翻って、グラフィックで言うと誰だろうか。基本的にセンスより?の制作者が多い感じか(というか自分が知らないだけ?)。既にある情報を整理(デザイン)するのと、新しく情報を生み出す(イラストや漫画など)のはちょっと違うし。
情報量とクオリティの関係で言えば、映画やアニメなどのカット割の速度が速くなっているってのものそうかな(東浩紀か誰かが言ってた)。これも情報量のアップなのか。少し脱線するけど、高畑勲がTVCMというのは何の脈絡の無い映像がぶつ切りで再生されていて、「これは異常だ」みたいなことをNHK教育のETV特集「アニメの巨匠ノルシュテインの世界」 のなかで言っていたような気がする。コンテクストが無視されるという部分はネットの最たるものだし、書籍のページ単位での販売や、CDアルバムの曲単位での販売など、文脈というものはどんどん無視されつつあるような気がする。情報様式論(マークポスター)という本にもデジタル文書のコンテクストに関して書かれていた。断章取義ってことか。
グラフィックのコラージュなどの意味わからない系は個人的に好きだ。むしろ意味が無い方が良い。一度言語に変換するよりも、直接人間の感情にアクセスしている感じが好きだなぁ。あらゆるものは最終的には人間の感情(心?)にアクセスして、その役目を終えるんだし。
相変わらず話があっちこっちいってしまってダメだ。とりあえず、情報量(描き込みやパーツ等)、クオリティ(よくわからないモノ)、コンテクスト(文脈よりは意味と言い替えた方が良い…?)、この3つの関係がもやもやとしている。

No title

クレマスター・フィルム・サイクル
Matthew BarneyのThe Cremaster Cycleの上映。見たいなぁとずいぶん前から思っていた。見た事無いのであれだけど、環境映像としてずっと部屋で流していたい感じ。制作費とかどのぐらいなんだろうか。

akiman's blog
良い絵はずっと見ていたくなりますね。

atmosphere03
久しぶりに大型書店に行ったら売っていた。02からずいぶん時間が経っているような…。04が秋らしい。

持続的なモチベーションの行方

UNIQLO SOHO NY

UNIQLOとtha.jpに関して書いていたら、タイムリーな話題が。
UNIQLOって海外展開ぐらいしかやることが無くなっているような気がする(スゴイ事だ)。高品質で低価格、色と素材による多様性の確保、ベーシックなカジュアルブランドとして展開して成功したわけで。これから更に売り上げを伸ばすには、ベーシックよりは少しトレンドなものをQRでを少量多品種生産するか、価格帯を上げて、カジュアルモードやモード系の服をターゲットとし、自らトレンドを創り出すか…かな。前者は、SCMにより効率化されたシステムで既に実現されているか。後者は、新しいラインを立ち上げマルチブランドで客層のターゲットを絞るとか。(以前、)株主総会の映像を見た感じだとそういったことはやらないだろう。UNIQLOがUNIQLOじゃなくなるし。そういえば、アパレル業界って基本的に持続的イノベーションで、その中で破壊的イノベーションとなったのがUNIQLOのSPAなのか…。
まぁとりあえず、ずっと同じことをやっていたらやることが無くなる。これは人も会社も同じだと思った。もちろん、UNIQLOは成功した結果そうなったんだけど。tha.jpはどうだろうか。モチベーションはどこから来てどこに行くのか。

Web制作現場のコールセンター化

最終的にはこうなるんじゃないかと思っているんだけど、なかなかそういったことをする会社は出てこない。Web制作の標準化などがもっと進めばそうなるだろうか。ビジネス的に見れば自社サイトを持つよりは、googleなどの既存の広告システムに乗(載)った方がコストもリスクも低く、効果も高いだろうか。グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する(佐々木 俊尚)あたりを読むとそんな感じがした。ま、そうなる前にWebというもの自体の形態が変化しそうではある。次世代ゲーム機が入力デバイスの進化に向かったように、キーボードとマウスも進化するだろうか。
インターネットが本来の意味で人々の役に立つのならば、見えなく(意識されなく)成らないとダメなわけで、そういう視点で言えばまだまだインターネットはデザインされていかないといけない。まぁ、時間が解決する問題か。そういえば、世の中に時間が解決しない問題ってあるのだろうか?
翻って、blogやSNSのようなB2CでCGM+AdSenseな感じのデータ蓄積型コンテンツは細く長いビジネスなのか。データベースの方向性は、普段見ないようなデータを見えるようにしていく感じで。普段意識しないものを見える化したり、逆に意識しているものを見えない化するのが面白いんだな。きっと。
更に脱線すると、そういったデータベースにFlashを利用するのが、tha.jpかなと思っていた。それで安定的に収入があればその分のリソースをハイエンドなサイト制作にまわす…と。ハイエンドなサイトっていうのがどういうサイトなのかは難しい問題だけれど。