This is Not here - Invisible Moment *//INCIDENTAL VANISHING STARS//

情報量とクオリティとコンテクストの関係

絵でもグラフィックでも、情報量とクオリティの関係は気になる。描きこんで画面密度を高くして情報量を上げていけば画面(レイアウト)としても安定するし、クオリティ(ってなんだ?)も高く感じる。アニメ等の動画だと静的な情報量と動的な情報量があってその辺が気になる。まぁアニメは、参加しているアニメーターで見るかどうか決めるけど。結論は在り来たりだけど描きこめばいいってモンじゃないってこと。情報量が少ないと制作していて不安になる。逆にそれだけセンスがいるんだろう。画面密度を上げることが持続的な進化ならば、もう一方は突然変異(破壊的な進化?)という感じか。
個人的には、高密度なものも独特の画風も両方好きだ。リアルも非リアルも。アニメで言うと、沖浦啓之の超絶リアル作画も好きだけど、うつのみや理や大平晋也の独特の作画も好きだ。森本晃司、田中達之のデフォルメ・リアルも良い。宮崎駿、大友克洋に影響を与えているフランスのメビウス(ジャン・ジロー)はスゴイ。描きこみとそうじゃない緩急の使い分けが凄すぎる。この辺を見るとよくわかる(メビウス・ラビリンスより)。両者が影響を受けるのも納得。
翻って、グラフィックで言うと誰だろうか。基本的にセンスより?の制作者が多い感じか(というか自分が知らないだけ?)。既にある情報を整理(デザイン)するのと、新しく情報を生み出す(イラストや漫画など)のはちょっと違うし。
情報量とクオリティの関係で言えば、映画やアニメなどのカット割の速度が速くなっているってのものそうかな(東浩紀か誰かが言ってた)。これも情報量のアップなのか。少し脱線するけど、高畑勲がTVCMというのは何の脈絡の無い映像がぶつ切りで再生されていて、「これは異常だ」みたいなことをNHK教育のETV特集「アニメの巨匠ノルシュテインの世界」 のなかで言っていたような気がする。コンテクストが無視されるという部分はネットの最たるものだし、書籍のページ単位での販売や、CDアルバムの曲単位での販売など、文脈というものはどんどん無視されつつあるような気がする。情報様式論(マークポスター)という本にもデジタル文書のコンテクストに関して書かれていた。断章取義ってことか。
グラフィックのコラージュなどの意味わからない系は個人的に好きだ。むしろ意味が無い方が良い。一度言語に変換するよりも、直接人間の感情にアクセスしている感じが好きだなぁ。あらゆるものは最終的には人間の感情(心?)にアクセスして、その役目を終えるんだし。
相変わらず話があっちこっちいってしまってダメだ。とりあえず、情報量(描き込みやパーツ等)、クオリティ(よくわからないモノ)、コンテクスト(文脈よりは意味と言い替えた方が良い…?)、この3つの関係がもやもやとしている。

posted by PFM