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失われた何か

MP3文化の中で失われたサウンド
脱ビットレート
不思議と「jpg圧縮によって失われた何か」とは聞かないような気がする。というか、そういう議論は遠い昔に終わっているのだろうか。意味の無い議論といえば確かにそうだ。デジタルか、アナログかみたいな。
音楽の世界では、mp3+ヘッドフォンで聴くことを前提に音作りがされてたりするのかな。Web制作だとXGA以上の液晶だろうか。自分はディスプレイがCRTから液晶になった時、ヘタったCRTよりも色が全然駄目だなと感じた。もちろん、10万円オーバーの液晶ならばもっと違うのかもしれないが、見てくれる人の液晶がそれでないのならば意味が無いなと。そういえば、CDとMDの音の違いも結構あると昔聴いていて気付いた。最近ではPCでmp3を聴いている訳だが…。利便性には叶わないなと。

ノイズキャンセルがもたらすバーチャルな個人空間
個人空間と言えば、自分専用の部屋/TV/ポータブルAV/ケータイ/PC、といったように(場を)共有することがどんどんなくなっている(分断統治)。これらはとてもパーソナルなものなので中身(データ)を見られるのは嫌だ。なので、自分が誰かのPCやケータイを借りるときもなんとなく儀礼的無関心になる。ま、当たり前のことなんだけれど。

どちらも意味の無い話といえば確かにそうなんだけれど、技術の発達を当たり前のように享受して無自覚に突き進んでいくのはどうなんだろうかと思うわけで、そうやって選択がなされていくと世の中から選択肢がどんどんなくなっていく(貧乏人には特に)。クラシックな音楽の楽しみ方や家族の団欒(こうやってタイプすると嘘臭くなるから嫌だ)みたいなものは贅沢になりつつあるなと。

posted by PFM