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政治的なパワーゲーム

仕事と家庭の両立について
こういうことはよく考える。でも、正論が通る社会・会社って少ない。
システムはいつの時代も常に不完全。歪みのないシステムは逆に脆弱と言えばそうだからだろうか。この場合の歪みは、遊び(余裕、マージン、バッファ等)と言い換えれるのか。それとも別のものだろうか。そもそも、歪みとは何なのだろうか。何が正しく、何が正しくないのか。自然と不自然の明瞭な境界線はない。完全な客観性を担保した正論というものが存在しないように、どこまでいってもそれは個人間の(この場合、労働者-資本家間の)政治的なパワーゲームのように思える。
翻って、そもそも(俗に言う)正論や議論における論破といったものが直接の問題解決に至るケースはレアだと感じる。それはきっと人間(社会、会社)が論理的視点(存在するのか疑わしいが)から見た場合、不完全だからだろうか。よくある理性と感情の話か。よくわからないが、ロジックや論破といったものは政治的な目的達成のためのツールということになるのだろう。それは熟慮の上で選択されるべき選択であり、論理や客観性はパラメータの一つということ。
更に翻って、労働者-資本家といったように既に何かを持つ者と持たざる者の話。ゲームが開始された時点で手持ちのカードが少ない者は、ゲームを有利に進めたければより強いカードを求め、選択肢を広げる必要がある。そのカードが何なのかわからないけれど。自分の思い通りに人生が運ぶこと、選択肢が広がることが幸せに繋がるのかという話もあるが、きっとそれは多くの人にとって幸せとなる可能性は高い。しかし、幸せとは相対的なものであり、速度ではなく加速度である点にも注意。
…と、まぁ纏まりの無いオチのない話。現実は何も変わらないのに。。

posted by PFM