This is Not here - Invisible Moment *//INCIDENTAL VANISHING STARS//

2007年雑感

少し前にニコニコ動画で知ったのだけれど、ここにある鳥の詩のジャズアレンジがとても良い。打ち込みなんだけれどピアノの音の細かさとテンポ、そしてそれを支えるベースラインが良い感じ。
元ネタを全く知らないんだけど良いと思えるものがニコ動は結構多いな。というか、単純に元ネタを追っかけている時間が無いんだけど。。VOCALOID関係のDTM、連弾やアコギ、MIDIアニメも凄かった。あと、アイマスのPV、絶望先生やエヴァ辺りのMADか。手書きアニメはつくり込んでるし、アニメのMADはカット割りやエフェクト、純粋にモーショングラフィックスとして完成されているのも結構ある。こうやって見て思うのは、タイムラインがあるリニアなコンテンツのもつパワーってやはり凄いものがあるということ。静止画よりも情報量が多く、制御するパラメータが多いのでそれらが高い次元でシンクロしたときは凄い力を発揮する。

そういうものを「世の中には凄い人たちがたくさんいるなぁ」と見ているんだけれど、意識はやはり「どうやってつくっているのか?」って方にいく。そこで何となく頭に浮かんだのが、このblogの中田ヤスタカ関係の記事
「音楽ライターにとって、果たして「楽器経験」「スコア知識」は必須なのか?」に続く音楽業界の話は個人的にとても面白かった。
「日々、新しいスタジオ・テクノロジーが生まれていた80年代中頃。サウンド作りの主導権を、それまでのスタジオの主役だったギタリストから、キーボーディスト、プログラマーに取って代わられる激動期があった。」
この辺は、現状のWeb業界(広告業界)にも同じような雰囲気を感じたり。ファッションの世界で言えば、デザイナーとパタンナー、ファクトリーの関係性もとても面白くて、この辺とクリエイションとは何か?みたいな話と作品に宿るアウラ、交換不可能性を担保するもの、みたいな方向にいろいろ考えが及んでいく…というか勝手に及んでいった。でもここで書きたかったのはそういう話ではなくて、中田ヤスタカの曲が「楽器などのツールと戯れることから生まれてくる」のと同じように、ニコ動のコンテンツは見ていてそういう感じでつくられているんだな、というのを良く感じるということ。ニコ動には商業活動しているプロはそんなにいないと思うので、当たり前と言えば当たり前だと思うけど。ツールとの対話というか、場当たり的な制作方法というか、理論ではなくて何かとの関係性から手探りでカタチにしていくというか。トライ&エラーで巧く出来た部分を何層にも重ねて、つなぎとめて行くというやり方。全体を構想した上で制作するのではなく、小さいパーツから組み上げていくってのは偶然性をつなぎとめて行く部分があるので最終的に整合性を保つのが大変なんだけれど、突発的に面白いものができたりする。でもこの制作方法には問題点があって、それはこの記事の、
「その時代にテクノ、ハウスを実践していたグループの大半が、ギター、ピアノなどを経験せず、ファースト楽器がサンプラーという世代。コードも知らずに見事に曲らしく組み立てる様が痛快であったのだが、楽典を知らないことが彼らを早い時期にマンネリに陥らせていた印象があった。」
ということかなと思ったり。でも、プロのように作品制作のみではなく、他の何かと上手いこと自分の中でバランスを取っていけば長く続けられそうかなと感じる。そこで問題になるのはプロになりたいという欲望をコントロールできるかなんだけれど。本当に好きなこと、やりたいことをやってしまったらもう其処から先に進めなくなってしまう部分があるので。

…と、今年も終わりということでダラダラと書いてみた。特にオチはないんだけれど、CGMの未来はどうなっていくのかなと。今までがそうであったように、つくり手と受けての世代交代の連鎖で同じようなことが周期的に繰り返され続けるような気がしなくもないけれど。ネットのCGMはその速度を上げるだけなのか、それとも…みたいな。モチベーションの源泉と作品を流通させる場所(ビジネスを含む)のシステムがどうなるのかっていうのが、以前からずっと言われ続けているけどキーかなと。とりあえず、世の中には凄い人たちがたくさんいることがわかった2007年でした。

posted by PFM