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Philophiles: Phoebe Philo's Celine Lovers

人生において三度目の妊娠を理由にCelineの2012-13年秋冬コレクションをプレゼンテーション方式で披露したPhoebe Philo。ボーイッシュでクリーンなミニマリズムの美学。それらによってドライブされる彼女のCelineを愛する女性たちのことを最近では、"Philophiles"と呼ぶ。

英国人夫婦の三人の子供のうちの一人としてパリで生まれた彼女は2歳になる前に英国へと戻り、ロンドン郊外のハローで育つ。不動産管理士をしていた父親はファッションに全く興味が無かったが、グラフィック・デザイナーで後年、アート・ディーラーをしていた母親はYves Saint Laurentへ彼女を連れて行ったりしていたという。
10歳の頃からスクール・レオタードをMadonnaのようにカスタマイズしてみたりしていたという彼女。数年後、両親は彼女にミシンを買い与え、そして彼女は自分自身の服をつくり始める。

高校卒業後、ロンドンのCentral Saint Martins Collegeへと進学。そこで彼女は、Helmut LangやJil Sanderといった90年代半ばのミニマリストたちに惹き付けられる。カレッジを卒業後、電気代が払えずに電気を止められてしまうような文無し生活をしながらロンドンでぶらぶらしていた彼女は、在学中から親しくしていたStella McCartneyのコレクションの手伝いなどをする。そして、1997年にStella McCartneyがKarl Lagerfeldの後任としてChloeのデザイナーに就任する際、ステラの誘いによって彼女はパリに引っ越し、Chloeでステラのアシスタントとして本格的にキャリアをスタートする。
2001年、Stella McCartneyがChloeから離れてGucciグループと共に自分自身のブランドを始める時、彼女はステラの後を追うのではなく、Chloeのクリエイティブ・ディレクターとして残ることを選択。当時、彼女のこの「裏切り」にステラが激怒したという噂が流れる。

ロンドンでアート・ディーラーをしていたMax Wigramと結婚した彼女は、最初の子供である娘のMayaを2004年12月に出産。翌年の3月に職場復帰をするも、平日はパリで働き、週末はロンドンで過ごすというユーロスターでパリとロンドン間を往復するハードな生活が続く。もちろん、そんな生活が長く続くはずも無く、彼女の交渉によってChloeのデザイン・スタジオをロンドンに開きもするが2006年1月に家族と過ごす時間を優先し、Chloeを去ることになる。

二人目の子供である息子のMarlowを出産し、二年と数ヶ月のサバティカルの後、LVMHからのオファーを受けて2008年9月にCelineのクリエイティブ・ディレクターの契約にサイン。2009年10月に行われた2010年春夏コレクションのランウェイショーで完全復帰を果たす。コレクションで描かれる女性像は彼女自身の成長と歩調を合わせるように、Chloe時代よりももう少し大人になった女性を描く。

Celineのクリエイティブ・ディレクションの全権限と自身の生活の自由をLVMHとの契約によって手に入れた彼女はパリにあるCelineの伝統的なデザイン・スタジオではなく、家族の住むロンドンのキャベンディッシュ・スクエアにあるジョージアン・タウンハウスでコレクションをデザインしている。パリには月に2、3日行く程度でその際はRitzにキャンプを張るという。ちなみに彼女のクリエイティブチームはYves Saint LaurentやBalenciagaといったブランドから引き抜いたスタッフとChloe時代に彼女の下で働いていたスタッフによって構成されている。

それまでブランドとしてのアイデンティティを確立できないでいたCelineは、彼女のクリエイティブ・ディレクションによって大きく変化を遂げていく。Celineの新しいブランド・アイデンティティにブティックのショッパー、ショーのインヴィテーションなどのデザインは、ニューヨークをベースに活動している英国人デザイナーのPeter Milesによるもの。彼はフォトグラファーのJuergen Tellerと20年ほど一緒に働いた経歴を持つデザイナーで、Marc JacobsのADキャンペーンやSofia Coppolaの過去3作品(Lost in Translation, Marie Antoinette, Somewhere)のタイトルシーケンスからポスターまでのデザインをも手掛けており、また、雑誌のthe journalのデザインにも関与している。彼のデザインの特徴はそのシンプルなタイポグラフィが示すように「ミニマル」である。
Peter MilesによればPhoebe Philoほど物事を細かく見る人とは今まで一緒に働いたことがなかったとのこと。彼女は顕微鏡で物事を見るようで、ロゴの位置などをミリ単位で調整する依頼を彼に何度もしてきたという。

Phoebe PhiloのデザインするCelineはシーズン毎に服を着捨てていくというトレンドにフォーカスするよりも、ワードローブをつくり上げていくという連続性のあるコレクションを毎シーズン展開する。ミニマリズムはその美しさを理解できない人たちによってしばしば退屈な服としてミスキャストされ、誤解されるが、シンプルであることと退屈であることには大きな違いがある。確かに博物館はRose BertinやChristian Lacroixの壮大なクチュール・クリエイションによって満たされるかもしれない。だが、現実の女性のワードローブはフィービーのつくる服によって満たされることができるというPhilophileの意見は正鵠を射ている。

女性がワーキングウーマンや母親として日常生活の中で着たいと思う服を感じ取ることができる彼女の不思議な能力と、それを具現化することができるデザイン能力。Celineのクリティカルで商業的な成功は服に対する顧客の感受性だけではなく、雑誌のエディトリアルにおいて他のブランドとのミックスを許さない"Full Look Policy"によるイメージコントロールや現代のブランドには珍しく、オンライン販売を行わないというマーケティング戦略も一役買っているが、Phoebe Philoというデザイナーのイメージそのものにも理由がある。

インタビューをあまり受けない神秘性とクリエイティブ・ディレクターという要職に在りつつも、家族を想うことを忘れない一人の女性としての彼女。彼女の出産休暇は、多くのCelineファンの女性の共感を呼ぶ。
以前、彼女が「赤ちゃんを産むことは、断じて"休暇"じゃないのよ。」と話していたが、これは「出産休暇」という言葉自体が家族よりも仕事が優先されるという前近代的な価値体系の中でつくられた言葉であることを表している。出産し、子供を育てるために仕事を休んだり辞めたりすることは女性にとって前に進むポジティブなことであり、決して人生における停滞期や単なる休暇ではない。

デザイナーとしてセンスやテクニックを磨き、多くの物事に見識を深める日々の研鑽は無自覚的な当たり前のことであるが、世界のトップレベルの領域ではそこから更に人間の根源的な能力が問われる。それまで送ってきた人生のライフ・エクスペリエンスの中で培った人間としての総合力が、ある閾値の向こう側のフィールドでは求められる。家族をないがしろにするナンセンスな仕事中毒デザイナーではない、稀有なデザイナーである彼女が体現していることはそういうことである。

Phoebe Philoというデザイナーが多くのファンに与えているものはハイクオリティなファッションだけではなく、一個人の女性としての生き方でもある。そしてそれは、多くのファンが支持しているものであることは明白と言えるでしょう。

via nytimes.com vogue.com ft.com guardian.co.uk tFS

posted by PFM