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What is the meaning of Fast Fashion Collaboration?

H&MとMaison Martin Margielaのコラボレーション(MMMの過去のアーカイブの再現)が15日に発売されましたが、BoFでのEugene Rabkinによるファストファッションとラグジュアリーブランド/デザイナーのコラボレーションに異を唱えるアーティクルがとても面白いですね。記事には50近いコメントも書かれていて議論も盛り上がっています。

内容は、ファストファッション・コラボレーションの意味から「ファッション」という言葉の腐敗、ラグジュアリーの矮小化など。コメント欄でも指摘されているようにエリート主義的な部分が確かにありますが、言いたいことは理解できる感じですね。同意できるかはまた別問題ですけれど。

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今から8年前に行われたH&MとKarl Lagerfeldのコラボレーションを始め、TargetからTopshopまで弱まる傾向を見せないファストファッション・コラボレーション。これらの"cheap and chic"なコラボレーションは基本的に売上高ではなく、メディアインプレッションによってその成否は判断され、実際にコラボ企画が全体的な売上高に貢献することはほとんど無いという。その代わりその話題性によって何百万ドルの広告費に等しい「アーンドメディア」を生み出すことでストアへと人々に足を運ばせる。そして、コラボする側のデザイナーは大規模な露出によって潜在的な新しい顧客と100万ドルを時に超える莫大なフィーを得ることになる。

これらコラボレーション企画に内在される商業的な動機は、"the democratisation of fashion"という有害なフレーズによってしばしば隠蔽される。「ファッションの民主化」 - 誰がこの言葉をネガティブなものだと主張することができるだろうか?この言葉を考えた人は確実に21世紀のマーケティングの天才と言えるでしょう。今日の世界において、もはや「ファッション」も「民主化」も意味を持たないというのに。

かつて「ファッション」とはハイストリートに取り入られているセンス、デザイナーファッションを意味していました。つまり、そこには創り手の考えがあり、よく練れらたディティールと美的な感受性によって慎重に巧みにつくられたデザインを意味していました。しかし、「ファッション」の定義は変わりました。現在、多くのコンペティターによって(しばしば同じ工場で)つくられる服の唯一の大きな違いとはロゴにしかありません。

今日、「デザイン」という言葉は単に「クール」ということを意味するだけです。何かがデザインされているということは、「それってクールだね。」という浅はかな意味しかありません。同じことは「ファッション」にも言うことができます。

ファストファッションが適切な衣類を手頃な価格で提供するということは、確かに素晴らしいことです。しかし、残念ながらショッピングをレジャー活動に変化させた無責任な消費者行動の高まりによってその使命は歪めれられました。
TRAID(Textile Recycling for Aid and International Development)によると英国の消費者は1年間に215万トンの衣類を購入し、90万着以上の衣類(まだタグが付いた服まで)を捨てています。米国では更にひどく、約1000万トンが毎年捨てられています。今日の西洋社会の多くは消費者のニーズを満たすために使い捨ての服を暴食しています。

「ファッションの民主化」は「ファッションの粗悪化」であり、それはデザイナーのアイデアを大量消費のために薄めることを意味します。ファッションにおける本当のスタイルとは、個人の趣味やテイストの問題です。そして、そのテイストは個人の経験に由来します。音楽や芸術、読書のその人個人の好みのように服の趣味も時間とともに形成され、それは努力と知識を必要とします。それ故、ファストファッションにおいてスタイルを早く安く買うということは必然的にスタイルの使い捨てにつながります。ファストファッションで服を買うことは書籍の代わりにクリフスノート(要約本)を読むようなもので、適切なファッション経験を積むことを阻害するでしょう。

YouTubeで"H&M collaborations"というキーワードで検索をすると、"Comme des Garcons for H&M"のために眠たい目をしてH&Mに並んだ子供の映像を見ることができます。そのビデオの中で若い男性が"Comme des Garcons is a cool brand."ということを理由に、9時間前から並んでいるということを話します。皮肉にも、そのようなブランド崇拝はかつてのMaison Martin Margielaが明らかに嫌うものでした。

長い間、マルジェラはdesigner's designerであり、知的なクリエイターとデコンストラクションのパイオニアとしてメディアに向かって話すことを拒否していました。衣類のタグは彼の名前を所有せず、ピュアホワイトでした。そして彼の創る服は、その服の複雑さがしばしば巧妙に隠されていました。
イタリアのフィレンツェにあるファッションスクール"Polimoda"のディレクターを務めるLinda Loppaによれば、「表面上はマルジェラのコンセプトが簡単に複製されるように見えますが、実際のところ、MMMの衣類はシンプルではありません。パターンは、多くの技術(テーラリングの多くの知識とディティールへの配慮)を必要とします。」とのこと。

2002年にマルジェラはRenzo RossoのOTBグループに会社を売却しました。それから2009年12月に彼はブランドから離れました。そして今日、H&M x MMMがあります。2つの正反対であったものは出会いました。そこにパラドックスを見るのは、私一人だけではないと確信します。あなたがこのコラボレーションを購入する気があるならば、それはあなたが「ファッション」やマルジェラの遺産の一部を購入していると思わないでください。あなたが買っているものは来年までに廃棄するつもりの流れ作業によってつくられた安いコピー商品です。でも、それがファッションに対するあなたの考えになっているとするならば、私はあなたに考え直すことを勧めます。

posted by PFM