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Kris Van Assche interview by SSENSE.com

SSENSEにアップされているKris Van Asscheのインタビューが面白かったので、(クリスが以前から発言している内容と重複する部分もありますが)いつものようにザックリと書いておきます。

彼が生まれ育ったベルギーにある小さな村"Londerzeel"についての話や彼がジーンズを拒み、スラックスを好む理由。Dior Hommeでのアシスタント経験、Londerzeel(Magazine)の出版について、シグネチャー・ブランドである"KRISVANASSCHE"の開始と絶えず拡大するその宇宙について、想像上の男性像としての"KRISVANASSCHE Man"と"Dior Homme Man"の違い、など。いずれの話題も彼の作品をより良く理解するための手助けになりますね。

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彼が生まれ育ったベルギーにある小さな村"Londerzeel"と幼少時代について
私はクリエイティビティとパーソナリティのためには狭く、コンサバティブな環境であるLonderzeelで生まれ育ちました。そこは刺激的な何も決して起こらない非常に小さな村で、それは私の人間としてのパーソナリティに明らかに影響を与えました。
(そういう環境で生まれたので、)私は大部分の時間を「クリエイティブな」自分の部屋で一人で過ごすことになりました。当時、ファッションというものは既に私の心の中に存在していましたが、部屋で過ごす時間は必ずしもファッションに関してという訳ではなく、何か他のものを描いたり作ったりすることもできました。

「ファッション」というものを最初に意識したのは?
10から12歳ぐらいの頃、「なぜ自分が何を着なければならないかを自分以外の誰かが決めなければならないのか?」ということを真剣に疑問に思うようになりました。少し経った後、私の祖母が私の服を作り始め、いつも彼女が自分で家事や裁縫等の身の回りの世話をするのを見ていました。世間の人たちがジーンズを穿いている間、彼女は私が好きだったワイドプリーツパンツを作りました。

子供の頃の躾が現在の仕事に影響を及ぼしていますか?
おそらく。私の両親は地に足がついたとても現実的な人です。彼らはハードに働くことに価値を置き、自立していることの重要性を信じます。

当時、着たいと思わなかった服は?
私はジーンズを穿くことを拒否しました。当時は誰もがジーンズを穿いていて、それは"cool"でした。
ジーンズは、私が属していないのを感じたグループの(服の)コードでした。

反抗を抱いていたものは?
当時のLonderzeelが創造性と特徴に乏しかったこと。

当時の話とそれに関する考えは、現在の人生にどのように適合しますか?
私のデザインする服はその人の個性をエンフォースし、誰にも何もプレッシャーを与えることを望みません。

あなたのデザインには常にパーソナリティという要素がありますか?
はい。私は自分の仕事がとても個人的であると言います。シグネチャー・ブランドを開始した時、私は個人的に着たかった服をデザインすることに取り組みました。ですが、今現在のシグネチャー・ブランドは自分が着たいものをデザインするという考えについてではありません。今までの経験や学びによって成長し、今は自分の世界にフィットする物語をよりコンセプチュアルなアプローチによってクリエイトすることを楽しんでいます。

シグネチャー・ブランドの開始を決意させたものは?
6年以上のアシスタント経験が私をかなりイライラさせるようになりました。私は、ファッションの世界で自分のヴィジョンを表現したかったです。よって、私はDiorでの仕事を辞めて、私自身のブランドを始める必要がありました。
自分のブランドである"KRISVANASSCHE"を開始したことは、依然として私の人生の中で最も決定的な瞬間のままです。

Barbara PollaとのコラボレーションによるLonderzeel(Magazine)について
すべては私が本当に楽しんだ"A Magazine"のゲストエディターとしての経験からスタートします。Londerzeel(Magazine)は、それの継続と見做しています。それはアーティストや私をインスパイアするものを紹介するプラットフォームです。私の世界をもっと示す方法であり、思考の材料でもあります。
我々がLonderzeel(Magazine)で示す仕事は私をインスパイアしたかもしれない何かが反映されており、それによって私自身の仕事(彼の創る服)のより良い理解を読者に与えます。

シグネチャー・ブランドである"KRISVANASSCHE"の宇宙の中心には何がありますか?
私の頭の中には常に想像上の男性(いわゆる「理想とする男性像」)がいました。この男性像はもちろん私と共に成長し、進化をします。"KRISVANASSCHE Man"とは、常に異なる世界の混成です。彼は伝統的なものが好きでありつつも、より未来のことが好きです。彼は決してエレガントであるだけではありません。彼はあまりにスポーティーでもあります。また、彼はスポーティーであるだけでは決してなく、彼は美しいスーツが好きです。もちろん、彼はタフでありつつも、ロマンチストでさえあります。
私は彼を"ruggedly elegant"(荒々しくもエレガントであること)であると見做します。私は異なるレイヤー(探求するための異なる世界)があるのが好きです。

既に"A Magazine"でのゲストエディターの経験がありますが、将来的にパブリッシング(出版)は続けていきますか?
私はパブリッシング・プロジェクトを同じメッセージを表現するための異なる方法と見做しています。しかし、自分はファッションデザイナーであるので、(パブリッシングよりも前に)常に一番最初に服のデザイニングがあります。

"KRISVANASSCHE Man"は心の中の想像された人物とのことですが、13SSコレクションで想像された男性像はどうような人物でしたか?また、彼はどのように過去のコレクションの"KRISVANASSCHE Man"と折り合いますか?
私の最初のショーのすべては、スリーピース・スーツをスニーカーと結合することにありました。それは、青春期と成年期の交差点をつくり上げるという私のやり方でした。私は現実へと向かうイノセンスからの長い旅(青年がやがて大人になるという旅路。青年が自分の夢を叶えるためにそれに固執する必要がある瞬間。)に常に興味を持っています。
(13SSコレクションについて)青年にとってホワイトTシャツほど当たり前であるものは何もありません。私はホワイトTシャツという「リアルピース」からスタートし、この究極的な男性のベーシックを新しく、クリエイティブな方向へ押すという挑戦が好きでした。しばしば、私のクリエイティブ・プロセスは日常の現実からスタートします。

すべてのコレクションはあなたと共に成長しますか?顧客と共にも?
はい。それは非常に個人的なプロセスです。

あなたは過去に"KRISVANASSCHE Man"と"Dior Homme Man"は互いに心の中で対話をすると言いましたが、彼らは互いに何を話しますか?
私は両方共が創造的に自由であると感じます。そして、私は多様性を楽しみます。
Dior Hommeはとてもテクニックやノウハウに関するものです。それは手(作業)による無限の可能性を最大限に生かすことにあります。それは新しい何かをクリエイトするために伝統を使うことであり、クリエイティブ・ラグジュアリーについてでもあります。メゾンのヘリテージの内側に私が存在します。
KRISVANASSCHEとは私の頭の中にある「理想とする男性像」に関するアティテュードについてのものです。それは、現代の男性のとても個人的なヴィジョンです。

各シーズンは両方のブランドを前進させるという挑戦であり、二つのブランドは共に私のファッション・ヴィジョンの内側にあります。私は、(ブランドは二つ存在しているが)ファッションにおける一つのヴィジョンを持っているだけという事実を受け入れます。各シーズンにおいてリサーチをする時、私はアイデアがどこへ行くかを決める必要があります。しかし、ますます(両ブランドのアイデアの)選択は自然に成されます。私は、気持ち良く共存することができる両方のブランドのためのディレクション方法を見つけました。

最後に、"KRISVANASSCHE"の将来に対するあなたの望みは何ですか?
より良く今と同じように在りたいです。

posted by PFM