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Fashion's Law: Bad Fashion drives out Good.

先月、話題になっていたSuzy Menkesの"The Circus of Fashion"というアーティクルについて少し書いておきます。エスタブリッシュである彼女(もちろん、彼女は自分のことをエスタブリッシュだなんて思っていないと思いますが。)が今のファッション業界にこういう感想を抱くのは個人的にはよく理解できます。単なるノスタルジーや懐古主義と言ってしまえば確かにそれまでかもしれませんが、ずっとファッションの世界を見守り続けてきた彼女の言葉には重みがありますね。

アーティクルは、ファッションウィーク期間中にショー会場の外側で所謂「ファッション・ブロガー」が派手な服を着てストリート・フォトグラファーにスナップされようとしているその様はサーカスのようである、といった話から始まります。スタイリッシュであることには、さり気無さやシックさが必要であり、無駄に高い服を着ているだけのただの目立ちたがり屋は程度が低いという指摘ですが、この意見はよく理解できますね。ストリート・フォトグラファーに撮られようとしている人々のことを"the cattle market of showoff people"と表現しているのが、彼女らしい歯に衣着せぬ物言いです・・笑。

そして、現在、ジレンマであるものは、「ファッションが誰のためのものでもあるならば、それは果たしてファッションと呼ぶことができるのだろうか?」ということにある。ファストファッションの広がりとその速度によって、少数の流行に敏感であったファッション-コンシャス・ピープルがトレンドに気付くタイミングとファッションに精通していない一般人がそのトレンドに覆われるタイミングにほぼギャップが無くなりつつある。
また、デジタルメディアをコントロールし、ブロガーに自ブランドをプロモートさせようという思惑を持ったブランドはブロガーをランウェイショーに招待し、プレゼントを贈り、ブロガーはそれを当然のことのように受け入れ、BlogやTwitterでそれらの狡猾なブランドの宣伝と愚かなセルフプロモーションに勤しむ。その結果、彼らのレゾンデートルであった個性というものが消失しつつあるというのは皮肉なことと言えるでしょう。

ランウェイショーのデジタルイメージが光の速度で世界を巡る今、それは多くのブロガーを批評家に転じさせました。確かに頭の良いブロガーのコレクションレビューが読めることは素晴らしいことです。特に中国やロシアといった(共産圏の)国々において、ファッションに関する考えや夢を共有する可能性が過去にはほとんどありませんでした。
しかし、実際にショー会場でランウェイショーを見るのではなく、Style.comやNowFashionで正面からだけの歪んだ色の写真のみによってコレクションの評価を下すという「誰もが批評家である。」という考えには慎重である必要があります。況して、ブランド側からプレゼント(賄賂)を受け取っているようなブロガーの記事には中立性と信頼性の両面で問題があると言え、物事の良し悪しよりも自分の好みとセルフプロモーションに基づいた主観的なレビューにどれだけの意味があると言えるでしょうか。Suzy Menkesがジャーナリストに成り立ての頃に教えられた言葉は、"It isn't good because you like it; you like it because it's good."ということでした。

彼女が指摘するように、ブロガーがブランド側からプレゼントを受け取るということに何の抵抗も感じないというのはファッション以前のモラルの問題であると言えますね。これに関して、ブロガーのLeandra Medineが"Blog is a Dirty Word"というリプライの中で「まず第一に、私たちはプレゼントを受け取るべきではありませんでした。ランウェイショーへの無料招待旅行やクールなイベント、業界有名人からの評価も自慢するべきでありませんでした。」と後悔を綴っていたりもしますけれど。
ブランド側から何かを贈られることはブロガーのステータスシンボルみたいなものになっており、自分で買ったものをブランド側から贈られたと嘘をつくようなどうしようもない人たちまで出てきていたりしますね。

ブロガーを十把一絡げにしているSuzy Menkesのアーティクルにも問題があると言えばありますが、ほとんどの指摘はその通りと言えるでしょうか。ファッションの世界には昔からそういう人間の醜い部分が内包されていて、逆にそういう人間の愚かな顕示欲や自意識をビジネスの燃料にまでしていたりもしますね(そしてそれらは、昨今のソーシャルメディアと相性がとても良い)。双方どちらも程度が低いと言わざるを得ませんが、これからもそういう人種は人間社会が存在する限り存在し続けると言えるでしょう。ただ、注意が必要なのはそういった意識や欲望というものは誰もが大かれ少なかれ持っているものだということであり、それらは知性や理性によってコントロールされ得るものであるということですね。

posted by PFM