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Nicolas Ghesquiere - Louis Vuitton's Artistic Director: Creativity for the Wardrobe Journey

Nicolas GhesquiereはBalenciagaでの15年間、「博物館のために」服をつくりました。彼は、"Lego"ヒールや"C-3PO"レギンスなどをデザインし、Cristobal Balenciagaのクチュールラインを21世紀のためにシンセサイズしつつ、モダナイズしました。実験的でアヴァンギャルドであることを好むという彼の評判において、彼が「リアルライフのために」服をつくるということは最もありそうも無いことでした。しかし、新しいLouis Vuittonのアーティスティック・ディレクターとしてワードローブをつくるということは彼が正に今現在していることです。

2014年3月に披露された彼のLouis Vuittonでのデビュー・コレクションとなった2014-15年秋冬コレクション。Aラインを描くスカートやコート、ハイネックニットとスプレッド・カラーのシャツにスウェードドレス。そして、新しいPetite MalleやDora Bag。SF映画から飛び出したもののようでも20世紀半ばの高級なパリのクチュール・サロンのようでもなく、より我々の身近にある世界からそれらは創造されました。モデルはあなたと私のよりヒップなヴァージョンのようで、コレクションはどれぐらいストリートですぐにそのまま使えるかについてありました。

これはBalenciagaを女性が着なかったという話ではありません。女性は彼のBalenciagaを着ました。Balenciagaにおける彼の仕事は、崖から飛び降りるかのように急進的に絶え間なく前進することにあったと彼の長年のコラボレーターであるスタイリストのMarie-Amelie SauveはSelf Service magazineで話しました。

翻って、Louis Vuittonのための2015年春夏コレクションは秋冬コレクションからのよく考えられた発展形でした。Frank Gehryの設計によってパリのBois de Boulogneに建てられたFondation Louis Vuittonで行われたランウェイショーは、彼のお気に入りの映画の一つであるDavid Lynchの映画「Dune」(1984年)のビデオ・クリップをフィーチャーし、"The journey starts here."という言葉と共に始まりました。

「私は(服を)簡素化することを恐れていません。」と春夏コレクションの2週間後にパリのアトリエから彼は電話越しに言いました。「私は一貫性を保ち、私のストーリーを保ちます。しかし、よりシンプルな方向に行きます。私は、Louis Vuittonで女性とそのワードローブをつくりたいです。」と彼は付け加えます。「彼女たちがスカートやジャケット、またはドレスに投資をするならば、私はそれらが完全にデモードになることも、決して時代遅れになることも無いと約束します。『ハハ、あなたのファッションの全ては3ヶ月前は良かったけれど、今はゴミでしかありません。』(コレクションが3ヶ月で陳腐化するの意。)なんて私は絶対に言わないことを誓います。」

この彼の発言は最近のデザイナー・ファッションの価格帯を考慮すれば十分、常識的に聞こえます。しかし、それは明らかにとても大胆です。新しさが最も重要な必需品であるランウェイにおいて、考え方は進化的にほとんど革命的です。Saint LaurentにおいてHedi Slimaneがしていることが全く異なるという訳でもありません。しかし、イノベーターとして評価されてきたNicolas Ghesquiereがインクリメンタリズム(漸進主義)へシフトすることによって、ファッション産業全般がその方向へ変化することがただ単に良いというだけでなく、必要であることも明らかにしました。彼は彼の新しいスタイル(私たちはスロー・フードを真似て、それをスロー・ファッションと呼ばなければなりませんか?)を満期が来るまで信頼します。
「私は優秀な科学者であって、アイデアを探し求めることがあります。しかし、私は優秀で古典的なデザイナーでもありえるとあなたに話したいです。私は皆と同様に年を取ります。そして、43才です。私には(コレクションにおける)自分のサインがありますが、より時間に限定されない何かをつくることが私にはできる、ということについて考えたいです。」と彼は話す。彼のクリエイターとしての野心もまたその役割を果たします。

彼がBalenciagaを去ったとき、ファッション業界の影響力のある声は、LVMHやRichemont、その他のファッション・コングロマリットが彼のベンチャーを支援し、彼が自身のブランドを開始することを望みました。BalenciagaからLouis Vuittonへの間、彼が「一年間の休暇」と呼んだものを彼は楽しみました。そして、その期間中に複数の異なる企業体と議論をしたと思われます。彼が彼自身の名の下にブランドを開始しなかったという事実はデザイナー自身のためではなく、若干の人たちにとって失望となりました。
「Balenciagaのようなブランドにおいて、いくらかの人々はそれをニッチだと思っていました。そこから突然、(Louis Vuittonへ)移動し、より多くの人々と対話できるようになったこと。これはとても素晴らしく、私が長年予想していた何かです。」

当然のことながら、Louis Vuittonというブランドが保持する巨大なマーケットは、彼が何をデザインするかに影響を与えます。63ヶ国に462店舗を持つLouis Vuittonは明らかにニッチではありません。しかし、彼は過去を懐かしく思いません。
「私はアイデアを必ず尖った方へと押すようにしていました。それは実験的でユニークで、その上、(プロダクトとして)再現することが難しく、私の提案はとても極端なものでした。」と彼は言います。「私にとってユニークで複雑な何かはBalenciagaの基本原則でした。Louis Vuittonは極めてグローバルであるので、私の提案はもっと分かり易いもの(きっとそれは、より直接的で、複雑さの少ないもの)でなければなりません。もちろん、それは時々、素晴らしい何かを失うことの代価になるでしょう。しかし、私はBalenciagaにおいて多くの喜びと多くの実績をユニークで複雑なコレクションによって達成してきたので、私はもう一つのコンセプチュアルなアプローチに移行する準備ができていました。」

彼のアプローチは基本的に1970年代を振り返ることにありました。Jane BirkinやSerge Gainsbourg(彼の友人でミューズのCharlotte Gainsbourgの両親。)のような著名人たちがモノグラム付きのトラベルバッグを持ち始めていた1970年代はLouis Vuittonというブランドにとって幸先の良い時代であったと彼は思っています。1854年に創設されたブランドは1970年代まで、モノグラムはフランスの高級なブルジョワジーと密接に関係していました。「彼ら(Jane BirkinやSerge Gainsbourgのようなアイコン)は、新世代にLouis Vuittonというブランドのイメージを運びました。」と彼は言います。そしてそれははっきりと彼自身のミッション(現代の新世代にLouis Vuittonというブランドのイメージを運ぶこと)を要約します。

彼がLouis Vuittonでの新しい任務に着任した時、彼は新しいロゴが必要だと思いました。それは世界最大のラグジュアリーグッズ・ブランドを刷新するための思いもよらない手法です。LVのブラウンとゴールドのモノグラムはこの惑星で最も認識できるものの一つです。彼はLouis Vuittonという伝説的なトランク・メーカーにおいて新しいスタイルを象徴するために「より緩やかで、もっと柔らかく、そして、より幾何学的では無い、より丸みを帯びたもの」を望むと言いました。彼はチームのメンバーに新しいロゴのスケッチを指示しました。しかし、メンバーから提出されてきたスケッチはどれも彼のヴィジョンにマッチしませんでした。
歴史に名高いファッション・ハウスの大部分のデザイナーがそうするように、彼もまたインスピレーションのためにブランドの過去に目を向けます。アーカイヴから発掘された1800年代のLouis Vuittonの最初のブティックの1枚の写真。ドアの上の円の中にブランドの傾斜するイニシャルを彼は見つけ出しました。彼はそのロゴを復活させました。

長い間、Louis Vuittonは有名なモノグラムを何百万ものキャンバス・バッグとアクセサリーに適用しました。それは1896年から始まります(ブランド自体は更に40年以上古い)。その結果、Louis Vuittonは市場をロゴで飽和させることになり、セールスは停滞しました。アナリストたちは、"logo fatigue"(ロゴ疲労。市場にブランドロゴが出回り過ぎたことによるブランド力低下。)について話すようになっていました。ブランドロゴが至る所に存在するようになってしまった時、それはどのようにしてラグジュアリーとエクスクルーシヴィティの頂点を意味することができるでしょうか。
Louis Vuittonの経営者は、より多くをファッション(服)に投資することがその状況を打開するための答えであると考えました。それが1990年代後半のことです。

彼によれば、Balenciagaでは彼が望むものを手に入れるために人と議論するのも厭わないちょっとしたファイターのようだったと言います。しかし、ChairmanでCEOのMichael Burkeに、Executive Vice PresidentのDelphine ArnaultのサポートによってLouis Vuittonでは、もはやその性格は必要ではなくなりました。「私は非常に自由です。そして、私はあなたが私が自由にしていることを見ることができると思います。」と彼は言います。
「(創り手として)自分なりの視点を持つことは重要です。」とDelphine Arnaultは話します。「ニコラは常にシェイプとファブリックの上で非常に明確な視点がありました。彼は稀有な才能です。」と彼女は彼を賞賛します。

また、Balenciagaでは取り組むべきCristobalの幻影がありました。「特にパリにおいて、クチュール・ハウスの復活はとても重要です。」と彼は言います。対照的に、Louis Vuittonではプレタポルテの取るに足らない短い歴史だけがあります。Marc Jacobsが開始し、務めた1997年から2013年まで(Balenciagaで彼がデザイナーを務めた期間と同一)。つまりそれは、ブランドを彼自身が率いていくことができることを意味します。

2014年3月のデビュー・コレクションの際、全ての席に手紙を置いてMarc Jacobsに彼は帽子を上げて挨拶をしました。「私はMarc Jacobsの実績に敬意を表し、遺産が褒め称えられることを切に願います。」「彼の承認を受けることは私にとって非常に重要なことです。そして、私は非常に感謝します。」と彼は言います。「私とマークは互いに深い尊敬の念があります。私は、非常に早くからそれをマークに表現しました。いつの日か、私は再びBalenciagaを見るでしょう。しかし、正直、私には今のところそれに対する興味がありません。我々が2、3の問題を解決した時、私は落ち着いて平和にそれを眺めるでしょう。(※既にBalenciagaの親会社であるKeringと彼はBalenciagaを去る際の別離契約条項の違反訴訟を和解している。)」「私はBalenciagaが美しい物語を伴う美しい名前であるとまだ思います。そして、その幸運を祈っています。私の人生は(Balenciagaとは異なる)他のどこかにあります。しかし、私は彼らと過ごした瞬間を本当に大切にします。」

彼が語るワードローブをつくるために彼はトラベル(旅行)に関する考えに向かいました。Louis VuittonのDNAとして彼はそれが必要であると見ています。2015年春夏コレクションにおいて服の運動と流動性に関する概念は、ハウス・モノグラムの4弁花の形にカットされたプラスチック・ヒールのアンクルブーツを履いて発現しました。ホットロッドやドライヤー、調味料容器にテイクアウトパックがプリントされたAラインスカートに、スキニー・ブラックのアーティキュレーテッド・スキーパンツを穿いて。2007年のBalenciagaにおける"C-3PO"レギンスの微かな残響を伴ったそれらは、彼のクチュール・コンセプトの過ぎ去りし日々を思い出させるものでした。

これらの服はBalenciaga時代に比較すれば分かり易くなってはいますが、彼が完全にSF的な世界を捨てた訳では無いという事実を強調します。宇宙船のように見えるFondation Louis Vuittonでの2015年春夏プレゼンテーション、映画「未知との遭遇」を模したランウェイのライティングとサウンドトラック、これらの関係性を理解できれば彼はショーがより素晴らしくなると言います。
しかし、当分の間、彼は取扱説明書を必要とするような複雑な服に戻ることはありません。彼はコレクションの話になると執拗に言います。「私は地に足をついていたいです。」

Petite MalleやDora Bagの活発なセールスは、消費者がよりシンプルでより親しみやすい彼のコレクションに期待しているということの唯一の徴候ではありません。Louis Vuittonでのデビューの2ヶ月後にモナコで披露されたリゾートコレクションの業界関係者の素早いチェックは、彼のコレクションの影響力がどれぐらい大きく、そして、他のデザイナーが再び彼のコレクションを見たがったかを示します。
しかし、彼がBalenciagaを去った日と同じぐらい現在彼が有力であると知ったとしても、彼を本当に満足させるものはFondation Louis Vuittonで提示された全ての新しいLouis Vuittonの女の子です。「彼女たちが現在、その服(コレクションで使われた服)を所有しているという感じがするのが好きです。そして、彼女たちはスタイルを整え、それを自由に使うことができます。」

素晴らしい古典と成り得るような時間を超越したワードローブを生み出すことにLouis Vuittonで取り組み始めたNicolas Ghesquiere。Azzedine Alaiaはいつも彼に「いずれにしても、あなたは40才でファッションを始めることになるでしょう。それよりも前にそれを始めるべきではありません。」と言っていたと話します。つまり、ファッションの世界では40才を超えてからが本当の勝負が始まるということ。アライア的に言えば、彼のクリエイションの旅と冒険はまだ始まったばかりと言えるでしょうか。

via style.com wsj.com vogue.fr dazeddigital.com

Why Frida Giannini Didn't Fly At Gucci

Frida GianniniのGucciの件について、こちらの文章も面白かったので簡単に書いておきます。
ただし、彼女に対してとても否定的な内容なので、ある程度差し引いて読む必要があるかなと。
フリーダはなんだかんだで10年近くGucciのデザイナーを務めた訳ですからね。

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ある有名なファッション・デザイナーは、ファッションがデザイアについてであるとかつて言いました。それは、デザイナーが描く世界に関するもので、人々がデザイナーの描くその世界を信じることができないならば人々はそのデザイナーの服を買わないということです。

Ralph, Calvin, Donna, Oscar, Tom Ford, Lagerfeld, Stella McCartney, Herrera, YSL, Valentinoのようなスーパースター・デザイナーは彼/彼女たちの世界に住み、その世界にあなたを連れて行きます。それから、シャイで寡黙なクリエイターのMiuccia Prada, Nicolas Ghesquiere, Raf Simons, Rei Kawakubo, Jil Sander, Phoebe Philo。
上記のデザイナーたち全員が共通して持っているものは何ですか?それは、ヴィジョンです。彼らは服とイメージを通してデザイアを生み出し、人々がその世界の住人でありたいと願う世界(観)を構築しました。美しい服だけでは十分でありません。それはあなたが消費者の欲望に燃料を供給するプロダクトの周辺に構築する世界の全てを指します。

ここ5年の間にリメークされたファッション・ハウス:Celine, Valentino, YSL, Dior, Vuitton。そして、人々がバズり、既に決定的で世界的なイメージを持つAlexander Wang, J.W. Anderson, or Tory Burch。この短い期間にこれらのファッション・ハウスの全ては、人々のデザイアとブランド・アウェアネスをつくり出しました。平均的な消費者はこれらのブランドが何を意味するかについて正確に分かっています。そしてそれは、彼らがクローゼットにこれらのブランド品を欲しいと思っている理由です。

Frida GianniniのGucciコレクションは、せいぜい口直し程度のものでしかありませんでした。彼女たちの服は悪くありませんでした。それらは完全に素晴らしかったが、面白味がなく、彼女自身のように、陰謀を企てるでもなく、魅力的な何もありませんでした。私の知り合いのファッション・ビジネス関係以外のほとんどの人々は、まだGucciをTom Fordと連想します。彼らがTom Fordがクリエイトしたイメージをまだ抱いているという彼らの心において、フリーダはインプレッションを作りませんでした。私は彼女がGucciを引き継いだ時から彼女のつくるGucciコレクションのピースを持ちたくてたまらなくなっている人を一人も知りません。

彼女はデザイナーでありませんでした。それは素晴らしい努力でしたが、ヴィジョンを持たない者がブランドを前進させるということはあまりに大きい仕事でした。彼女は他のリブランディングに成功した全てのブランドが組んだ正しいデザイナーが持つものを持っていませんでした。彼女が持っていなかったということは彼女の責任ではありません。

このことから学ぶことができることは、人々に夢を与えることができるデザイナーを起用してください。そうすればブランドは復活することができるでしょう、ということです。

Gucci issue: Luxury Fashion identity

Gucciを去ることになったFrida Gianniniの件に関連付けて書かれているNYTimes.comのアーティクルがとても面白いですね。
フリーダがGucciにおいて自分なりのブランド・アイデンティティを確立することができなかったというのは確かにそうでしょう。シンプル・ベーシックでワードロービングなコレクションだけでは不十分ということですね。

ファッションの世界には作用・反作用の法則がある。コンセプトとファンタジーで知られているブランドがあったとし、そのブランドがベーシックでリアル・クローズなコレクションを行ったとすれば、それは「新しい」と受け手は感じるでしょう。つまり、ある一方(コンセプチュアルでファンタジックな服)からもう一方(リアル・クローズでベーシックな服)へ振り子のように振れることで、受け手には新しさを感じさせることができるということ。
デザイナーの就任にも同じようなことが言え、LVでMarc Jacobsの後任となったNicolas Ghesquiere、YSLでStefano Pilatiの後任となったHedi Slimane、そして、CDでJohn Gallianoの後任となったRaf Simons。直近で言えば、MMMへのJohn Gallianoの就任もこれに含まれるでしょうか。難解さと分かりやすさ、マキシマリズムとミニマリズム、ファンタジー・クローズとリアル・クローズ。
デザイナーには"you are only as good as your last show."という言葉があるように、ともすればそれは変化のための変化になりがちですが、手を替え品を替え新しさを演出しつつも、そこにはブランド・アイデンティティを育むための作り手としての一貫性やアイデアが求められますね。

Bridget Foleyが指摘するように、今日のラグジュアリー・ファッションの役割とは何であって、デザイナーの役割とは何なのか。"Gucci"という言葉を耳にしたときコンシューマーが想起するブランド・イメージとは何なのか。また、Keringとしては、それが何であって欲しいのか、ということが明確にならなければクリエイティヴ・ディレクターを誰に任命するのかというのは決まらないでしょう。
JackieやHobo、Bambooなどのバッグ、ホースビット・ローファー、その他のレザー・グッズ。そして、Frida Gianniniがアーカイヴから復活させたGrace Kellyのスカーフに基づくFlora、など。これらブランドの遺産は主にアクセサリーであって服ではありませんね。もちろん、ファッション(服)よりもアクセサリーの遺産が多いのはGucciというブランドの出自に由来します。
Francois-Henri PinaultがGucciというブランドにおいてファッション(服)にフォーカスを当て、推し進めるのであれば、良くも悪くも90年代の性的過剰なTom Ford identityを完全に無視することはできないだろう、と。2011年にフィレンツェで行われた同ブランドの90周年エキシビジョンではほとんどTom Fordに関する展示が無かったように、Gucciの歴史からそれらを抹殺したいという思惑が見え隠れするが、誰が後任デザイナーに就いたとしても多かれ少なかれ90年代にTom Fordが確立したGucciのイメージの影響は受けざるを得ないのかもしれません。

性的過剰なイメージの問題点は、インテリジェンスを欠いた消費・快楽主義的なそのイメージが現代にあまりそぐわないということにあるでしょう。そしてそれは、モノづくりに実直で誠実なクラフトマンシップ・イメージ戦略とはある意味で相反するイメージとも言えます。Chanelの"Metiers d'Art"コレクション、Christian Diorの"ESPRIT DIOR"エキシビジョンやHermesの"Leather Forever"エキシビジョンなど、コレクションやイベントにおいて職人技をフィーチャーすることによってクラフトマンシップでハイクオリティなイメージを醸成し、ブランドのハイプライスなアイテムに正当性を与えることで顧客に購入の正当性と動機を与えることがクラフトマンシップ・イメージ戦略の目的になりますが、この戦略が取り辛くなるというのはビジネスにおける障壁となるかもしれませんね。機械化やデジタル化が高度に進んだ先進国の高度消費社会においてクラフトマンシップ(アナログな職人の地道な手作業)というクリーンなステータス・イメージを訴求するということは益々価値が高まるとも言えるでしょうか。

ブランドの歴史に由来するレザーやアクセサリー、Tom Fordが遺したブランド・イメージ、現代におけるブランドのあるべき姿、クリエイティヴィティとビジネスの均衡点。Gucciに限らずデザイナーの交代劇の裏には多くの考慮すべきことがあるのは確かですね。

Christian Dior Pre-Fall "Esprit Dior Tokyo 2015" Collection

Raf Simonsが"urban landscape abstraction"(都市景観の抽象表現)と呼んだパイプを用いたグリッド状の構造体を両国国技館にセットして行われたChristian Dior Pre-Fall "Esprit Dior Tokyo 2015" Collection。国技館というショー・スペースの選択は、都市景観(ストリート)を抽象的に表現可能な十分な広さを確保するためだったようですね(よって、日本の相撲とはあまり関係がない)。
映画「Blade Runner」、東京のストリート・ファッションとスプロール現象、60年代のPaco Rabanneの実験主義、Serge Gainsbourgとスパンコール・アンダーウェアを身に着けたJane Birkinの古い写真、といったランダムなインスピレーションソースを蒸留してコレクションはデザインされたとのこと。日本でショーを行うということが決まる前にラフはコレクションをデザインし始めていたようで、ショーを日本で行うことが決まった後に都市に関する概念はコレクションにアドインされたようです。

雪の舞う国技館をランウェイに、第2の皮膚としてのスパンコール・タートルネックをフィーチャーし、フューチャリスティックな印象を与えながらランウェイショーは進行する。スパンコールの煌きは都市のネオンであり、60年代のPaco Rabanneの前衛手法への頷きでもある。
渋谷のスクランブル交差点を行き交うかのようにウォーキングするモデルたち。バー・コートにバー・ドレス、そして、Raf Simonsらしいダブルジップのバー・フライトジャケット(MA-1)。スパンコールはフェア・アイルやハウンドトゥースにアストラカン、ミモレ/膝上丈のコートなどと組みにされ、温もり(人間味)を包摂していく。

「コレクションはギャルドローブを増やすためのコレクションでした。」とラフが説明するように、レッドカーペットやディナーに着用するようなドレス(一般的にChristian Diorというブランドが想起させるイメージ。)のためのコレクションではありませんでしたね。Dior言語をカジュアルなデイウェア方面(街行く人が着るストリートウェア)に拡張するためのコレクションだったと言えば理解しやすいでしょうか。

全体的な印象としては、少し暗くて重苦しかったかなと個人的には思います。方向性は違いますが、日本の「絞り」を用いた2013-14秋冬のクチュールコレクションを思い出しましたね。カラーパレットももう少し彩度を上げて、暖色系を取り入れた方がもっと野暮ったさを無くせたのでは無いかなと。プレコレクションらしく日常着をテーマにしているため、服はシンプルに留まらざるを得ませんが、もう少し違うアイデアがあっても良かったでしょうか。
浮世絵や歌舞伎、着物といった過ぎ去りし日のステレオタイプな日本でもなく、マンガやアニメ、ゲームと言った日本のサブカルチャーでもなく、現代の東京の都市とストリートを舞台にコレクションを展開したのはラフらしかったですね。

Sidney Toledanoによれば、今回の初となるプレ-フォール・ランウェイショーを皮切りに、毎年、世界各地でクルーズのようにプレ-フォールコレクションをショー形式で披露していくようです。DiorのChanel化はいろいろな面で見て取れますが、これもその一環といった感じがしますね。

via style.com wwd.com vogue.com vogue.co.uk telegraph.co.uk dazeddigital.com tFS

Frida Giannini Leaving Gucci

Frida Gianniniが2015年2月の15-16AWコレクションを最後にGucciを去ると報じられていますね。公私ともにパートナーのPatrizio di Marcoは1月1日で去るとのこと。いくつかの報道ではここ最近の売上高の不調についても触れられていますね。

tFS等でもいろいろな意見が書かれていますが、つまりは、クリエイティヴィティとビジネスの問題と言えるかなと思います。Tom Ford以降のGucciにおいて(Alessandra Facchinettiの後任として)彼女は彼女なりに上手くやっていた印象ですが、最終的に強いアイデンティティを打ち立てることができなかったということでしょう。

高品質なプロダクトと既存の枠組み内に終始したデザインのみではハイエンドなラグジュアリー・ブランドの成長はどこかで頭を打ち、鈍化してしまう。コレクションの中で新しいヴィジョンを提示し、ストーリーを紡ぐことがクリエイティブ・ディレクターには求められ、更には、ゲームのルール自体を変えてしまうようなクリエイションが要求される。Exane BNP Paribasのラグジュアリー・アナリストであるLuca Solcaが「未来のアイテムを発明しようとしなければならなかった時、彼らはアーカイヴに回帰していました。より多くの勇気と革新の必要性があります。」という指摘をしていますが(「未来のアイテム」とは単純にプロダクトのみを指すのではありませんね。)、確かにフリーダは過去をリファレンスとしたコレクションが多く、リスクを負って挑戦していくようなコレクションは少なかったと言えるかもしれません。

コレクションを発表してもTom Ford時代のGucciと比較されることが多かったというのも新しいGucciというブランドのイメージ像を創出することができていなかったことの証左と言えるでしょうか。翻って、今の時代に成立可能なGucciというブランドの新しいブランド・イメージとは何なのか?というのもとても難しい問いではあります。Francois-Henri Pinaultの"If I knew exactly what we needed creatively, I would do it myself."という言葉はここに繋がってきますね。