This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

Dior homme 2016-17 Winter Collection

2日前に撮影されたというWilly Vanderperreによるムービーを背景に映し、スケボーランプとシャンデリアをセットしたランウェイで行われたKris Van AsscheによるDior homme 2016-17年ウインターコレクション。クリスがアップしていたDiorの風船は、Willy Vanderperreのムービーに使用されていたもののようです。

サウンドトラックに用いられたD.A.F.の"Als War's Das Letzte Mal"、Nitzer EBBの"Control I'm Here"が80年代のNew Waveを、ランウェイのミニランプが90年代のスケートボード・カルチャーを示唆するように今回のデフィレはハイブリッドな文化の中で進行する。

ヴァンアッシュのクリエイションとブランドの根幹を成すテーラリングにリボンタイがエレガンスを表現し、Diorの各種モチーフがあしらわれたネックレスがエレガンスとストリートを、ブラックのマニュキアにリングはストリートやミュージックシーンのファッションをシンボライズ。シャツのカフスはスケーターグローブからの影響を受け、ワイドパンツはスケーターパンツからモーフィング。ニットやマフラーに編まれたノルディック・パターンには「47」(Christian Diorが最初のコレクションを発表した年。)や「ラッキースター」といったハウス・シグネチャをさり気無く配す。

オーバーサイズのチェックシャツはジャケットの上に羽織り、レザー・セットアップはワイドパンツでボトムに重心を置く。パンクの香りがするノイズのようなステッチが施されたロングジャケットやシャツにデニム、ペイント加工のデニムやバッグはアートとストリートカルチャーをミックス。ムッシュ ディオールの手書きのサインは2015年サマーコレクションからの継続として登場し、最後は薔薇を用いたデニムやプルオーバー、セットアップでショーはフィニッシュ。

コレクションのスターティング・ポイントはムッシュ ディオールでは無かったとクリスが話すように、メゾンのコードを前提としたコレクションではなく、過去のミュージック・シーンとストリート・カルチャーをアプローチ・ポイントとしてそれらをディオール・エレガンスの中に包摂し、現代の中に立脚させるという試みとしてコレクションはクリエイトされていましたね。クリスの言うようにメゾンの記憶と伝統の痕跡は確かにコレクションの中に存在しつつも、それらはノスタルジアとしてではなく、モダナイズされ、現代のために存在していたと思います。今回は全体的にクラシカルな雰囲気はかなり息を潜め、ユース・カルチャー寄りだったのがそれを表していますね。

過去に生きる人を我々は老人と呼び、未来を向いて生きる人を我々は若者と呼ぶ。ファッションの世界においてモードとは未来へと突き進んでいくことを意味し、過去は郷愁に浸るために存在しているのではなく、未来を創造するために存在する。

各種カルチャーとメゾンのコードとのハイブリダイゼーション。全ての要素を支配下に置き、適切にコントロールされたコレクションはKris Van Asscheの成長と変化が垣間見えるクリエイションだったと思います。

via dior.com vogue.com wwd.com dazeddigital.com

Inspiration of Dior homme 2016-17 Winter Collection

画像は23日に行われる予定のDior homme 2016-17 Winter Collectionのインヴィテーションのようですね。先日、Kris van AsscheがDAFのジャケットカバーをアップしていたので、インヴィテーションに書かれている"THE ART OF FALLING APART"はおそらくSoft Cellでしょうか。つまり、インスピレーションソースは、80年代初期のポストパンク、ニューウェーブ辺りかなと。

クリスはあまりそういった音楽系のクリエイションは得意ではない印象なのですが…、どんな感じになるのか気になりますね。

The Relationship between Designer and Brand...

Alber ElbazとLanvinの14年間のパーフェクト・マリアージュが思わぬ形で終焉を迎えたのが昨年の10月末。Nicolas GhesquiereとBalenciagaのようにデザイナーとブランドが一体となって成長してきた両者の関係がこういった結末を迎えてしまうのはとても残念ですね。

今月公開される予定の2016年プレフォールコレクションに関しては、エルバスが職を追われる3日前に着任したChloe出身のChemena Kamaliがデザイン・ディレクターを担当し、ウィメンズのバッグのヘッド・デザイナーを1年務めていたLucio Finaleがバッグに加えてシューズも担当。ジュエリーは今まで通りElie Topという体制のようです。ちなみにメンズはLucas Ossendrijverが引き続き担当中とのこと。NYTimesの記事にあるように、問題はエルバスが去った後のLanvinとは一体何なのか?ということにあります。

デザイナーが変われば大きくそのブランドの方向性は変わりますが、Alessandro Micheleがデザイナーに就任してから一年が経過したGucci。個人的には一年前と現在とで印象は全く変わっていないですね。fashionistaで書かれているように、伝統的にウィメンズとメンズを分けていたGucciにおいて性差を曖昧にし、tFS等でもコメントされているようにWes Andersonというか、ロリータ的な空気を感じさせる。洗練させず、キッチュでカリカチュアライズされたアイテムのスタイリングをコレクションのベースに、同じ方向性のコレクションを継続して反復する。

Hedi SlimaneによるSaint Laurentを下敷きにしてKeringがGucciを変革したとすれば(そういえば、エディがSaint Laurentを去るというが一時的に流れてすぐに否定されていましたね。V MAGAZINEの件があったので流石に有り得ないだろうと思いましたが。)、当然気になるのはAlexander Wangが去ったBalenciaga。VetementsのDemna Gvasaliaが後任に指名されているが…。これについてはコレクションを数シーズン見てみないとなんとも、と言ったところでしょうか。

via vogue.com gucci.com