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GITZO GK2545T-82QD

当初の想定では、脚はGT2545T、雲台は3way雲台のG2272M辺りを考えていたのですが、結局、自由雲台とセットのGK2545T-82QDを買うことに。実物を触ってみてアレコレ考えたのですが、3way雲台は想定よりもコンパクトさに欠けていました。それなりに想定はしていたんですけれどね…。GITZOのトラベラー三脚を選択した理由は持ち運びの機動性が欲しかったからなので、それを相殺してしまうのは勿体ないなと。自由雲台が自分の想定よりも良い感じだったというのもあります。

カメラがフィルムからデジタルになり、一眼からミラーレスへと変遷していきそうな流れと比較すると三脚の進化は止まっている感があるでしょうか。映像撮影に使われるジンバルがもっと進化していけば、スチルでも使えるようになったりするのかなと思ったり。そういった装備が無くてもカメラのみで長秒露光撮影が可能になれば良いんですけどね。物理的に手持ちで長秒露光を実現させるというよりも、iPhone等のカメラの進化を見ているとボケ等はソフトウェアでシミュレートする流れなので、長秒露光撮影もシミュレートする感じでしょうか。もはや写真ではなく、CGの領域ですが。

話を三脚に戻すと、道具の使い易さ/自由度と創作物の自由度は基本的には相関すると思うので、イノヴェーションが欲しいなといった感じですね。

TADAO ANDO: ENDEAVORS - THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

国立新美術館開館10周年を記念して行われている安藤忠雄展 -挑戦-。
9月30日の夜になんとなく六本木に行ったのですが、偶然、その日は六本木アートナイトというイベントが行われており(初めて知ったイベントだったのですが、FASHION'S NIGHT OUTみたいなものだと理解しました。)、国立新美術館が22時までやっていたので安藤忠雄展を観てきました。

アートナイトの展示作品もあったのですが、人のあまりいない夜の暗い美術館は普段とは違う雰囲気で良い感じでしたね。静かな美術館や博物館は好きなので、スタッフの方は大変だと思いますが定期的に夜まで開館するようにして欲しいなと思った次第です。

6つのセクションに分かれて展示されている安藤忠雄展のボリュームはかなりの量となっており、自分は20時頃に入館したのですが閉館が近づいてきたため、後半はちょっと駆け足で観なければならなくなった感じです。2時間では足りなかったですね。実際に実現したプロジェクトのみならず、企画案のものも多数展示されていますので。それぞれの建築物の説明や模型、液晶画面にその建築物の映像を流す等、とても充実した内容となっています。映像は数分あるものもあるので、YouTubeにでも全部アップして欲しいな、と思いながら観ていました。

住吉の長屋等、実際に住んでいるクライアントの感想や、なぜ安藤忠雄に依頼したのか?といった各クライアントへのアンケートも模型等と一緒に展示されており、実際に住むのは大変そうだな…というリアルな印象も受けましたね(笑)。クライアントの本音に近い感想まで隠さず展示してしまうというのが安藤忠雄らしいと言えば、安藤忠雄らしい感じがしました。

屋外には安藤忠雄の代表作の一つとなる「光の教会」を原寸大で再現したものがあり、ここは撮影が自由になっていました。また、屋内展示場では直島プロジェクトが撮影できるようになっています。

有名建築家の作品というと、ユニークなデザインをした建築物の派手なイメージ図が真っ先に思い浮かぶと思いますが(「有名建築家」という記号に対するある種テンプレ化されたイメージですが。)、会場の中で個人的に印象に残ったのは和紙に描かれた図面ですね。
当たり前ですが、建築物には構造計算等が必須であるように、全ては緻密な計算に裏打ちされているということ。空想的な建築物も地に足の着いた地道な計算が必要ということですね。普段は見ることができない図面が展示されていたのとても印象深かったです。

今回の展覧会の図録には安藤忠雄の直筆サイン+彼の過去作品の簡単なスケッチが描かれており、サービス精神旺盛な感じになっています。サインもスケッチも1冊1冊異なっていましたし。そういえば、展示物にも彼の手書きで説明が書かれていたりもしましたね。

そして、図録には浅田彰が「安藤忠雄のストア派建築」という安藤忠雄論を寄せており、こちらも面白い文章になっています。安藤忠雄は大阪人であると同時に真のコスモポリタンなのだ、と評していたりしますね。あと、安藤忠雄は確かに「しゃあない」とよく言っている印象があるな、と浅田彰の文章を読みながら思いました(笑)。

建築への真摯な態度と、どういった状況に置かれても前向きな姿勢であること。
そんなポジティヴなエネルギーを感じさせる展覧会は12月18日(月)まで行われているので、一度足を運んでみることをオススメします。

Yoshihiko Ueda - Photographer

上田義彦による「旅の記憶」展。
彼自身がキュレーターを務めているGallery 916で行われているので、竹芝まで足を運ぶことに。

竹芝埠頭のすぐ近くにある鈴江倉庫の6階にあるギャラリーはとても広く、静かで気持ちが良い空間。撮影可否に関する注意書きが特になかったのでスタッフの方にお尋ねしたところ、作品ではなく、ギャラリーの雰囲気を撮影するということであれば特に問題ないということだったので、何枚か撮影させて頂きました。こういう時、α9の完全無音の電子シャッターは他の来場者の方の迷惑にならずに撮影することができて、かなり力を発揮します。というか、自分は普段から電子シャッターしか使用しませんけれどね。

その名が示すように、今回の展覧会は彼の旅の写真を展示したもの。基本的に過去作品の再展示になっています。その中で個人的に好きだったのは、インドのヴァーラーナシーで撮られたピンボケした写真ですね。明るく抽象的な写真は、彼の写真の特長である(ありきたりな表現となるが)透明感を感じさせます。

無印良品、サントリー烏龍茶・伊右衛門・BOSS、最近であれば宇多田ヒカルを撮った南アルプスの天然水といった上田義彦のコマーシャルワークは、多くの人が意図せずとも自然に目にしたことがあるだろう。写真に限らず創作における「透明感」とは、クリエイティヴィティとコマーシャリズムの均衡点に存在する稀有な特異点である。世の多くの表現者がもがき苦しむことになるのが、自身が描きたいものと商業性とのバランスである。その両者をバランスさせる装置として透明感は機能する。

透明感の構成要素としては、被写体の透過性や透明度、彩度、ボケ、色の深みやグラデーションといったものになるが、それらは撮られた空間の空気感や湿度、シズルを受け手に伝える。人間が生きる上で根源的に無色透明の水や空気(酸素)が必須であるように、創造性における透明感とはそれらと同レベルで機能する構成要素の一つと言えるだろうか。

透明感は同時に孤独や静寂を齎しつつ、秘めた強さを内在する。柔らかさをベースとしつつも、流れる空気には強度があり、それらの混成が端正な美しさを発現させる。

2015年に行われた上田義彦の35年の軌跡を辿る展覧会"A Life with Camera"。展覧会の開催に合わせて刊行された586ページに及ぶ同名の作品集は、とてもオススメですね。Patti SmithやAndy Warhol、Annie Leibovitz、Robert Mapplethorpe、そして、北野武といったポートレートから広告写真まで、彼の多くの作品が収録されています。