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Chanel after Karl Lagerfeld... Balenciaga by Demna Gvasalia... Celine by Hedi Slimane...

Karl Lagerfeld時代に築いた強固な顧客基盤がChanelにはあるのでブランドとしてダメになるには時間がかかるでしょう、という話をRobin Givhanが書いていますね。

これには同意で、おそらく内部留保もそれなりにあると予想されるので、まだChanelには時間的・資金的な余裕があるでしょう。ただ、今のままでどこまでいけるのか、というのは多くの人が持つ疑問であります。上手くすれば世代が変わるようなタイムスパンで持たせることも可能なのかもしれませんが、少なくともパリでショーを行う意味やブランドのレゾンデートルに疑義が生じるのは間違いないでしょうね。

Demna GvasaliaによるにBalenciagaついて、tFSで彼の服には2次元性があり、ローポリゴンで非常にディティールに欠けている、というコメントがあって同意した次第。

彼のLookは表面積が広いので一昔前の3DCGのようにローポリに見えるというのは正にそうで、その単純さがチープさを呼ぶのですが、そのチープさは更にシニカルさに繋がっているということ。そこに日常のコモディティ製品をアドインさせる手法はチープさを加速させ、シニカルさを倍増させる目的があるということで一貫性があります。

Hedi SlimaneによるCelineはいくつかのレヴューで書かれているように、CelineというブランドでYves Saint Laurentすることの意味は?ということになりますでしょうか。意図はそうでなかったとしても結果的にそのように見えてしまうのは事実ですね。シーズンを追う毎にウィメンズのLookに改善が見られるのは確かですが、まだ全体的にくすんだ雰囲気が残っています。

そして、反復的なLookと継続的なシーズンもそうですが、彼のプラクティスを見せられている感が強いです。Hedi Slimaneが描く女性像が曖昧であり、強い独自のアイデンティティを持ち得ないということは、まだそこまでのレベルに達していないということに起因するでしょう。Saint Laurent時代からそうですが、パリのデフィレでプラクティスを重ねられるデザイナーというのも稀有であります。

多くのデザイナーが捻りを加えたLookに苦心し、新しい美的価値を創造しようとする中、ストリートにそのまま着て歩いていけるようなストレートなLookを提案するということが彼のシグネチャーであると言うことができるかもしれません。ただ、tFSでも指摘されているように、ファストファッションや安価なブランドの選択肢が多様化した現代において、それが桁の違う価格帯を正当化するだろうか?ということと、それはブランドネームやパリの伝統、そして、自身の権威に依存したマーケティングなのでは?という疑問が浮上します。そのブランドのアイテムでなければならないという唯一性は何によって担保されるのか。例えば他に、品質といったように多くの人は答えるでしょうか。

少なくともDior Homme時代の彼の創る服には一見、普通に見えたとしても他のブランドとは違う細かいディティールやクオリティの総体、新しい美的価値、何物にも代替不能な唯一性とそのシーズン毎の進化があったはずです。