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Christian Dior 20SS Haute Couture Collection

ロダン美術館の庭園に設営されたランウェイショー用のテントは、フェミニスト・アーティストであるJudy Chicagoが1970年代後半に一度、デザインしたものを具現化した"The Female Divine"という作品。Maria Grazia ChiuriによるChristian Dior 2020年春夏オートクチュールコレクションは、その子宮の中で披露される。

今回のコレクションのインスピレーションとなった"What If Women Ruled the World?"と書かれた大きなバナーを背景にデフィレはスタート。
古代ギリシャの女性が着用していたペプロスをベースに、ドレープやプリーツにフリンジ、階層化されたスカート、そして、ハウス・シグネチャーとなるバー・スーツのカスタムを主軸としてコレクションは展開していく。素材の透け感と柔らかさ、アシンメトリーなワンショルダーのネックラインといったものが女神や母性へ言及しつつ、総体としては気高い強さを兼ね備えた女性像が描かれる。
足元を飾るのは、女性に優しいローヒールのローマサンダル。アクセサリーは、月桂樹や小麦に三日月、そして、蛇や蝶、蜂といったものをモチーフとする。

女性の最大の創造的な行為として出産があるとすれば、コレクションを子宮に見立てたテントの中で発表(出産)することの意味は「生みだす」という行為への暗喩である。

Christian Diorという歴史あるブランドの初の女性デザイナーであることに端を発したMaria Grazia Chiuriのフェミニズム・イデオロギー。フェミニズムをクリエイションの核に据え、アイデンティファイしつつ、一貫してコレクションを重ねる彼女ですが、過剰すぎるフェミニズムへの拘泥があります。

一般的にイデオロギー濃度が高い色の付いたクリエイションは、意味性が強すぎる傾向にあり、ある程度の知識や経験を積んだ受け手からは、鼻につくその直截性によって敬遠されるものです。今回のバナーに書かれたステートメントもそうですが、捻りの無いブランドロゴの全面的な使用やメッセージTといったようなものも、その強い意味性とは対称的に、実際にはほとんど意味を持たない、そんな単純に世界は変わらないという浅薄さが底の浅さとチープさを惹起することになります。言うなれば、空虚なヒットソングの歌詞のようなものであります。

女性とファッションの文化的、歴史的、政治的、社会的な繋がりに関する調査と束縛からの開放というテーマは、手垢に塗れていますが有り得るとしましょう。ただ、そういった問題意識によって駆動されたコレクションの結果が、ステレオタイプな女神像というのはVanessa Friedmanが指摘するように違うでしょうね。女神像というもの自体も既存の価値観とへその緒で繋がり、内包されるものであります。必要なことは、新しい価値観を胚胎すること。

現状を否定したとして、その後に何を創造するのか。破壊は比較的簡単で、創造の方が何倍も難しいということは誰もが知るところです。
大義ばかりが喧伝され、それにクリエイションが伴わないアンバランスさが落差を生みます。

結論としては、現状を否定することに力を入れるよりも、新しい女性像の創造に力を入れた方がきっと実りはあるでしょう。
新しいヴィジョンの提示によって現状のイメージを過去のものとし、女性像の新陳代謝を促す。創造的破壊による結果としての現状の否定、がクリエイションにおいても理想形と言えるでしょうか。もちろん、そういった針の穴を通すようなクリエイションができる創り手はいつの時代も限られるわけではありますが。

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