This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

同質化された世界の中で

世界は彼女の何を評価したのか?
-ファッションデザイナー川久保玲の挑戦-

--
すでに見たものではなく、
すでに繰り返されたものではなく、
前に向かっていくこと、
自由で心躍ること。
--
高速道路の大渋滞(梅田望夫・羽生善治)ってのはWebデザインの世界にもあって、このエントリーで書いたようなサイトが閉鎖していったことの一因ではないかと思ったり。自分があまり昔ほど多くのサイトを見なくなったのは予測ができるからっていうのもある。ある時からサイトのトップページを見ただけでなんとなくその先のページが予測できるようになってしまい、トップページを見ただけでブラウザを閉じてしまうことが多くなった。と同時に自分のデスクトップ上で展開されるphotoshopのカンバスにも同様の現象が起きていた。きっとイラストレーターやFlash使いの人たちにも同じような現象が起きているんだろうなとなんとなく思っていた。それはWebに限らずどの分野でもそうだと思う。過去の作品に苦しめられること、作品をつくるということは希望や可能性をそこから奪い取る行為だということ。これは人生そのものでもある。
予測可能な未来をどう生きていくべきか。
ウェブ社会の思想(鈴木謙介)では結論として、自己完結ではなく、他者とのコミュニケーションがそれへの処方箋になる、ようなことが提示されているようだ。この意見には賛成。
川久保玲はパタンナーがある程度服をカタチにしたあとで、生地を渡して再度パタンナーに考えさせるっていうことをやっていたけれど、これは化学反応起こるだろうなって思った。あらかじめ決められた台本のある物語ではなく、アドリブというかパタンナーと生地のジャズセッションみたいなものが求められると。パタンナーに生地(他者)が突然介入してくるわけでとんでもなく大変だと思うけど、そこには予測不可能な未来があるのではないかと思った。過去のデータを蓄積・踏襲し、それを少しずつ前に進めていくやり方ではないアプローチ。そこまで到達するには土台になる基礎体力がかなり必要になるのだけれど。
予測不可能な未来を創造することが「自由で心躍ること」なんだとなんとなく思った。

posted by PFM