LOVE Magazine #6 "SUPER NATURAL" by Mert Alas and Marcus Piggott
A beauty portfolio
featuring the most striking models of the season ethereal, romantic mood,
their faces free of make-up and streaked with tears
via tFS
A beauty portfolio
featuring the most striking models of the season ethereal, romantic mood,
their faces free of make-up and streaked with tears
via tFS
Photography by Karl Lagerfeld.
Natalia Vodianova by Mert Alas and Marcus Piggott.
via www.givenchy.com
Karlie Kloss by Stephane Sednaoui.
via vogue.it
一つ前のエントリーでPhoebe Philoに関する話をポストしましたが、independent.co.ukに彼女自身のインタビューがアップされていますね。ちょうど良いタイミングだったので少しだけ簡単に書いておきます。
Phoebe Philoがデザイナーに就任するまで低迷していたCeline。2004年まではMichael Kors、その後、二人のデザイナーがいたが、Celineはニューヨークのお金持ちに愛されているのみのブランドであった。1945年に設立されたCelineはブランドとしては長命だったが、DiorのニュールックやChanelのツイードスーツのようなヘリテージが不足していた。
そういったブランドの核になるようなものとして今では、ロングカフスの襟の無いホワイトシャツ、ワイドトラウザー、クレープジャンプスーツなどがあり、流れるような流動性を伴って表現されるミニマルなCeline Lookがフィロの着任後の二年と少しの間に築かれた。もちろん服のみではなく、バッグにはソフトレザーの"cabas"やゴールドの留め金が印象的な"classic"などがある。
広告宣伝やインパクトに頼らないフィロのアプローチは実質本位の気取らないシンプルさにあって、それは見識のある顧客をターゲットにするという美学にある。コレクションにおいてもバックステージにメディアを入れることはせず、また、彼女自身もインタビューが嫌いだと話す。それは、彼女が話すことよりも彼女の作品である服が雄弁に語ってくれるからであって、彼女にとってショーは完全な物語であるという。
ボーイッシュなテーラリングや甘く艶のあるチュニック、そして、パドロックがトレードマークのパディントン・バッグなどによって成功を収めていたChloeのクリエイティブ・ディレクターの職を赤ちゃんとの時間を優先するという理由で2006年に辞任。その後、2008年にCelineの同職へ。LVMHからかなりの自由を与えられている彼女は、現在、ロンドンで夫と子供たちと暮らしながら働く(Celineの拠点はパリにある)。子供たちが眠る前に彼らと楽しい一時を過ごすことは何よりも大切な価値があると彼女は話す。
LVMHからアプローチがあるまでCelineについてあまり考えたことがなかったという彼女は、前任者のデザイナーの仕事をチェックしてみたがそれらはとてもブランドとは無関係な感じがしたという。歴史的に見て彼女が知っていたCelineとは、プリーツ・スカートにシルクのブラウスやブレザーといったパリジャン・シックであり、そのコンサバティブネスな雰囲気がとても好きとのこと。コンサバでブルジョアでほんの少しだけ生意気な女性像。彼女が好奇心をそそられて前面に押し出したかった要素はそれらにあるという。
二人目の子供を妊娠していた彼女は出産後、四ヶ月してから再びLVMHとの対話を再開。まず第一に、議論は完全に新しい自身のブランドの作成について行われ、その後、議論の中でCelineの名前が登場する。パブリシティ嫌いの彼女にとってブティックのウィンドウに自身の名前があることは重要ではなく、自分よりも前に盾になってくれるものがあった方が快適さを得ることができるという考えからCelineというブランド名をフロントに据え、そこで毎日静かに仕事に取り組むことを選んだという。
頑とした拘りのある最高のファブリックとパーフェクトなカッティングによって表現される強さ、それらに多くの時間を費やし、それらを正しく行えたときに多くの満足感を感じるという彼女は、ファッションが絶対的に好きで、新しいことをすることと異なったディレクションによって通常の道から外れる方法を見つけることが好きとのこと。しかし、時代から外れないファブリックとカットを使おうとする理由の一つには、服を購入している女性についての考えが好きであることと、服との間にあるとても情緒的な感覚を大切にするからと話す。
ファッションを前進させていくということと時間を超越するサインを確立するということ、この矛盾した二つの間のバランスを見つけるということは現代のデザイナーのための唯一難しい挑戦であり、彼女が成し遂げようとしていることでもあります。
先日、話題になっていたNewsweek.comのBernard Arnaultのアーティクルですが、Phoebe Philoの話題を絡めたChristian Diorの後任デザイナーの話がとても面白いですね。
自動車産業におけるコンセプトカーの発表会のようなものであるオートクチュールコレクション。それはデザイナーとブランドのヴィジョンや世界観をクラフトマンシップの妙技によって表現する場であるはずだったが、2011-12年秋冬のChristian Diorのクチュールコレクションではそれが適切に成されていなかったことは多くの人が感じたことですね。アトリエの職人たちによって構成されるオーケストラのコンダクターとなる優秀なデザイナーが必要な状態になっている現在のChristian Dior。Bernard Arnaultが記事中で話しているように、クリエイティブ・ディレクターを欠いた状態でも職人たちは優秀なのである程度の演奏をすることはできるけれどそれを永遠に続けることはできないですね。経済学における合成の誤謬のように、各ピースは良かったとしても全体が適切にディレクションされていないとトータル・クオリティは高められないというアポリアも付き纏います。
破壊的な才能を埃まみれのヒストリカルなブランドに組み合わせ、それによって停滞したファッション・ハウスを復活させるというハーバード・ビジネス・スクールのケーススタディにもなっているというアルノーによるLVMHの経営哲学は、今ではラグジュアリー・コングロマリットのモデルケースとなっている。John Gallianoという才能によってドライヴされていたChristian Diorは正にそれを体現するようなお手本であったが、今回のガリアーノの事件は無秩序で野生的なクリエイティビティをマネージメントするというアルノーの方法論が文字通りメルトダウンを起こしたとも言える。クリエイティビティの中に内在するある種の狂気をビジネスとして引き受け、リスクを如何にコントロールするのか。原子力のようにデザイナーを核とし、その爆発的なエネルギーを推進力としてビジネスを拡大し続けるというアプローチに必然的にビルトインされる宿痾とその帰結。
才能あるデザイナーはストレンジでクレイジーであるというのはステレオタイプ過ぎると思いますが、ガリアーノがそうであることを求められていたことは確かでしょう。
約15年間に渡ってデザイナーを務めたJohn Gallianoの後任者にはいろいろな噂がありますが、このデザイナー問題にはChristian Diorのイメージを今後どのようにしていくのか?という問題が含まれていますね。今までの路線を踏襲して進めていくのか、それとも今の時代により適応するような新しい血をブランドの中に入れていくのか。Newsweekの記事ではここでCelineのPhoebe Philoについての考察がありますが、大胆でセクシーで爛漫なJohn GallianoによるChristian Diorとミリ単位の精度でミニマリズムが表現されるPhoebe PhiloによるCelineはとても対照的です。
(ケバケバしくて)わかりやすい華美さを求める中国のようなクリティカルな新興成長マーケットなどにおいてもCelineは3桁の成長を見せているようで、次の主要なブランドに成り得る可能性があるとのこと。そして、アルノーがCelineを評価していることの一つには、自分の娘でDiorで仕事をしているDelphineがCelineを着ていることもあるようですね。
アルノーはDiorをミニマルなブランドにするプランは無いとのことですが、今回の記事を読んで個人的には方向性を変えていくのもありのような気がしました。といってもミニマリズムなChristian Diorは(服に)リアリティが有り過ぎて、Diorに求めたいものとは違うなと思いますけれど。
the Cutのコメント欄にオートクチュールは既に過去のものとなっていると書かれていましたが、ランウェイショーの有効性が取り沙汰されたり、ネットによって雑誌が代替されつつあるように何においても耐用年数は存在するので、時代に合わせてブランドも再発明され続けていく必要があるのは言うまでもないことですね。例えそれがChristian Diorだったとしても・・ですが、John GallianoのChristian Diorが上手くいっていなかったかと言えばそうではないのでこの辺は難しい部分もあります。
Carine Roitfeldの後を継いだEmmanuelle Altにように大きく方向性を変えずに行けるのがベストではありますが、John Gallianoの代わりになれる人材が目に付かないというのが今のアルノーのジレンマなのかなと。ウルトラCとしてはガリアーノにセカンドチャンスを与えることですが、アルノーはガリアーノの向こう見ずな振る舞いを許していないので、この可能性は極めて低いといったところでしょうか。
この話題が出るとよく海外サイトで引き合いに出されるのはCoco Chanelとナチスの関係性ですが、いずれにしても冷却期間をある程度置かないと難しいでしょうし、LVMHでそれが有り得るのかどうかは誰にもわからないですね。
Anja Rubik by Karl Lagerfeld.
via www.fendi.com
Raquel Zimmermann by Fabien Baron.
Styling by Karl Templer, Hair by Paul Hanlon, Makeup by Mark Carasquillo.
and Campaign Film by Fabien Baron on alexanderwang.com
Photography by Steven Meisel.
Styling by Marie Amelie Sauve, Layouts by M/M Paris.
via Brand New Balenciaga Official Website.
more photography on Vogue.com
Natalia Vodianovaによるチャリティーイベント"Love Ball"が、Valentino Garavaniが所有しているフランスのChateau de Widevilleで行われたようですね。収益は、ロシアの子供たちの遊び場をつくるという慈善事業を行っているナタリアのNaked Heart Foundationに寄付されるとのこと。
上の画像はVogue Russiaのムービーから。映像の雰囲気が良い感じです。Vogue.comでも書かれていましたが、パーティーではサンドアーティストのXenia SimonovaやBryan Ferryのパフォーマンスもあったようですね。
Karl LagerfeldによるChanel 11-12AW Haute Couture Collection。
22時という遅い時間帯にセットされたランウェイショーは、1920年代にCoco Chanelと関係を持っていたストラヴィンスキーのコードをSBTRKTの楽曲にミックスしたMichel GaubertによるトラックをBGMとし、Grand Palaisにネオンで描いたヴァンドーム広場を出現させての開催。オベリスクに祀られたCoco Chanelが象徴するように、"Les Allures de Chanel"と名付けられた今回のコレクションはChanelの魅力を賛美したもの。
11-12AWのプレタポルテ・コレクションと同様にダークトーンの空気を含みつつ、ブロードショルダーのツイードジャケットやペプラムジャケット、それと対にされたタイトスカートなどによってマスキュリン且つフェミニンなシルエットを描きながらショーは進行。カラーパレットはブラック、グレー、ネイビーに、Karl Lagerfeldがベゴニア・ピンクと呼んだパープリッシュ・ピンクがいくつかのLookで使われていました。
雨上がりのウェッティなアスファルトに反射するネオンと月光、スターライトのようなスパンコールとルレックスのオーバーブライトな煌き、アイウェアとしてのミステリアスな雰囲気のレースのベール、ネイルを飾るブラックのマニキュア、それと呼応するかのようなロングレースのフィンガーレス・グローブとシースルーのニーハイブーツ、オーストリッチ・フェザーによって装飾されていたカンカン帽はすべてのLookで用いられていましたね。
ランウェイ中盤から後半のイヴニングパートにおいては、テーラリングが徐々に融解し、ドレスにモーフィング。強調されたショルダーとドレスのしなやかさのバランスは面白く、テーラリングのクラシックな響きがマスキュリニティとして機能していました。カールの"I like the idea of metamorphosis - a female evolution from boyish to woman."という発言があったように男性性と女性性をテーラリングとドレスによって表現し、ミックスしていた印象ですね。
クチュールなので全体的にRTWなどよりも描く女性像の年齢が高く、クラシカルなツイード素材は描くシルエットとも相俟って重量感を感じさせていたかなと思います。シルエットにフォーカスしたコレクションでしたが、もう少し服自体は軽さがあっても良かったでしょうか。全体的に華美な雰囲気はかなり抑えられていたので、クチュールではなく、RTWっぽい感じはありましたね。
フィナーレでのフラッシュライト・シューズは少しファニーでシュールな演出。モデルのキャスティングに関しては、Taoが歩いていたのが目を惹きましたね。
via style.com vogue.com vogue.co.uk nytimes.com nytimes.com telegraph.co.uk fashionwiredaily.com tFS
2011-12年秋冬のRTWコレクションと同様にデザイナー不在のまま、今回はBill Gayttenによって提示されたChristian Dior 11-12AW Haute Couture Collection。
Bill GayttenはJohn Gallianoのアシスタントを23年間務め、先日のメンズコレクションではJohn Gallianoのシグネチャのクリエイティブ・ディレクターに指名された人物ですね。ショーの後のSidney Toledanoのコメントによれば、「Mr. Gayttenが今回のコレクションを行いましたが、彼はアーティスティック・ディレクターではありません。我々は長期的な解決策を探りたいので時間を掛けて、多くの可能性を調査しています。」とのこと。ブランド創設者のChristian Dior、Yves Saint Laurent、Marc Bohan、Gianfranco Ferre、そして、John Galliano。歴史あるメゾンの6代目のデザイナーはそう簡単には決まらないだろうことは想像が付きますね。
ロダン美術館の庭に設置されたテントで行われたランウェイショーは、80年代のEttore SottsassらによるMemphisを想起させるトゥッティフルッティなカラーパレットによって進行。ブランドのサインであるバージャケットに膝丈スカート、クレイジーペイビングやストライピング、プリーツによるパターン、ミルフィーユや薔薇の花弁のように多層化されたチュールタフタとシルクのボールガウン、Frank Gehryの建築物を連想させるメタリックな金属装飾など。Suzy MenkesやTim Blanksは木目調のマラカイトなストラップレス・ドレスなどについてはインテリアデザイナーのJean-Michel Frankの名前を出していましたね。
終盤のドレスパートにおいてはMarc Bohanの影響もあったようですが、Bill Gayttenによるとアーカイヴへの再訪よりもアトリエが新しい技術を開発することに時間を費やしたとのことです。
ショーのプロデュースはAlex de Betak、サウンドトラックはJeremy Healy、セットデザインはMichael Howells、モデルのメイクアップはPat McGrath、ヘアースタイルはOrlando Pita、そして、ヘッドピースはStephen Jonesによるもの。デザイナー以外はいつものメンバーといった感じですね。
Cathy Horynを始めとしたレビューやtFSなどのコメントでも書かれていますが、John Gallianoがいなくなったことによってここまでクオリティに影響が出るとはちょっと個人的に驚きました。敢えて変化を出そうとしたのかもしれませんが、全体的に統一感に欠けていてランダム過ぎるというのは同意ですね。配色もガリアーノであればブラックやレッドを差し色的に用い、色の強さをもっと表現できているはずです。
新しいデザイナーが決まるまでは今までの路線をある程度踏襲する方が良いのでは?と思ったりしますが、それがいつまで続くのかという問題もありますね。ガリアーノのような女性のシックさとセクシャリティを描けるデザイナーは現時点ではいないと思うので、これからどうしていくのかが気になるところ。今回のようなコレクションを見せられると少し不安になりますね・・。
via style.com vogue.co.uk nytimes.com telegraph.co.uk fashionwiredaily.com
Antonia Wesseloh, Kelly Mittendorf, Julia Zimmer, Ondria Hardin, Frida Gustavsson, Dorte Limkilde by Steven Meisel.
Tobey Maguire by David Sims.
via www.prada.com