We Are All Guilty for This Mess
Suzy Menkesが書いている文章なのですが、最近のファッション業界について歯に衣着せぬ指摘をしていますね。
デザイナーがチェスの駒のように扱われていること、コングロマリットの経営手法、デザイナーがハリウッドスターであるかのような高額な給料を要求するために弁護士を雇うこと、Twitterが現実を歪曲してゴシップを拡大させることなど、他にもいくつか書かれていますが、問題点はいろいろありますね。いずれも、少し時間を掛けて考えてみたい問いばかりです。
Pat McGrathによるメイクアップとGuido Palauによるヘアスタイルは、ヴェルサーチ・ロックンロール・ガールをイメージしたものですが、今回のショーは、90年代の空気感、宗教性、レトロな未来主義、ロックンロール、といったように多くの要素がミックスされていて見る角度によって見え方が違いますね。ただ、ドナテラのコレクションはジャンニへの賛歌がすべてのベースになっているので、過去への再訪という意味ではそれらは全て共通したものを持っているとも言えるでしょうか。
Christopher BaileyによるBurberry Prorsum 2012-13年秋冬コレクション。
メンズコレクションと同様に都市と地方の各要素をミックスして展開されたコレクションのタイトルは、"Town and Field"。ランウェイショーはナチュラルで豊かなアースカラーをピグメントに、ツイード素材やベルベットにキルティングといったファブリックを用いてカントリー・カルチャーを楽しむアーバンな女性像を描いていく。
Al Pacino主演の映画"Cruising"からのサウンドトラックをBGMにセットし、フォトグラファーであるJoseph Szaboの作品から影響を受けたというChristopher Kane 2012-13年秋冬コレクション。
ブラックから始まったカラーパレットはやがてブルーに変わり、そして、パープルからレッドへと移行。「パテントレザーとモアレ、フォックスファーとミンク、立体的な3D刺繍による鎖帷子。」とChristopher Kaneから説明があったように、主にこの3つの要素によってコレクションは進行していましたね。
Joseph Szaboの写真に映っていたティーンエイジャーがインスピレーションソースとなった「モアレ」の他にもピンストライプやレオパード、そして彼らしいフラワー・プリントなどのパターンが格子型のカクテルドレスでダンスを踊る。昔からあるものを新しく見えさせようとする意図を持ったプレーンなケーブルニット・セーターもランウェイの中では適切に存在感を示せていて良かったかなと思います。
米国ファッション界の二つの帝国、Ralph LaurenとCalvin Klein。WSJのHeard on the Runwayが言うようにCalvin Kleinが常に新しいものの支持者であったならば、Ralph Laurenは常にクラシックなものの支持者であった。その二つのブランドがNYFWの最終日にショーを開催し、それぞれがアイデンティティとするモダニティとトラディションによってファッションウィークをブックエンドする。今回のRalph Laurenのコレクションもそれに相応しいロマンチックなショーだったかなと思います。
Stephen Jonesによる"The Cat in the Hat"からヒントを得た特大サイズのフェイクファー・ハット、Kurt Cobainからのティンセルにルレックスやメタリック・パテントレザーの質感、セーフティピンによって留められたクロッシェ・ストール、Gloria Vanderbilt, Lynn Yaeger, Cindy ShermanにAnna Piaggiといった女性についての考え。ベル型のアンバランスなシルエットは童話性と幼児性を伴いながらミステリアスな可愛らしさをランウェイに描く。
tFSなどでも指摘されているように全体的にComme des GarconsやYohji Yamamotoの影響下にある感じがあったかなと思います。マイルドなJohn Gallianoという雰囲気も確かに。それらのブランドの濃さは無くなり、あっさりとコマーシャライズされているのが良くも悪くもMarc Jacobsらしいですね。
今回のランウェイショーにおいて、CFDAによるモデルのキャスティングの推奨年齢に関するガイドラインである16歳を下回るモデルを起用したことでちょっとした問題を引き起こしていましたが、あくまでも「推奨」なのでお咎めは無い様子。On the Runwayのコメント欄にあるチャイルド・モデルとチャイルド・アクターの違いという視点は読んでいてちょっと面白いなと個人的に思いました。子役が良くてモデルがダメという考えは一見、矛盾があるような気がしなくも無いのが面白いですね。
センタースリットのカーフスキン・スカートにレザー・ニーブーツの組み合わせはロングコートを着ているような雰囲気で、そのマニッシュな強さは今回のコレクションによく合っていたかなと思います。メッシュのタートルネックをマスクのようにしていましたが(なんとなくLee Alexander McQUEENを思い出させますね。)、インナーのアイテムの存在感を高める方法としては面白いやり方でしたでしょうか。
台湾生まれのアジア系アメリカ人デザイナーのJason Wu。昨年、9歳まで住んだ台湾にデザイナーになってから初めて父親と共に旅行したことがテーマの端緒になったという今回のコレクション。
"What is Chinese?"という問いに対する回答としての2012-13年秋冬コレクションは、軍隊の影響としてのマオジャケット、Qing Dynasty(清朝)のチャイニーズ・ブロケードに王朝のエンペラーとエンプレスが身に付けた毛皮、そして、Anna Mae WongやMarlene Dietrichらによる1930年代のハリウッド映画"Shanghai Express"、これら3つの要素がインスピレーションソースになっていますね。
Is Chanel Designer Karl Lagerfeld Spread Too Thin?
Karl Lagerfeldは過大評価されているよね、という話題。Coco Chanelの遺産を拡大することには成功したけれど、彼自身のオリジナルのヒット作というのは存在しないのでは?という指摘は一理ありますでしょうか。文章中で書かれているように、「無制限な自由を与えられる時、ラガーフェルドは美的な物語を語るのに苦労する。」というのは分かる気がしますね。彼の多作な制作スタイルは、アレンジャーとしての才能がその多くを支えているというのはコレクションを見ていればよく感じることですし。
オリジナルの物語を語らなければならないという話は、コメント欄でも指摘されているようにAlexander McQueenのSarah Burtonにも最近言われていることですね。
世界を旅した2年間の休暇の後、マハトマ・ガンジーの"Be the change you want to see in the world."(世界を変えたければ、まず自分が変わりなさい。)という言葉を格言にファッション・レーベル"Honest by"を開始したBruno Pieters。
Honest byにはエコロジカルでアニマル・フレンドリーな製造方法でプロダクトを生産し、材料や価格戦略について100%の透明性を確保するということ、伝統的な春夏/秋冬という2シーズン制のファッション産業モデルに選択肢を提供するという意味からタイムレスでシーズンレスな服をデザインすること、そして、多くの異なったデザイナーとコラボレーションを行うことにより、革新的で持続可能なレーベルを目指すという戦略がある。第一弾のデザイナーは"Honest by Bruno Pieters"というように本人が担当していますが、第二弾のコレクションが4月5日に予定されているように(デザイナーの名前はまだ伏せられていますね)今後も他のデザイナーとの協同が予定されているようです。
なぜHonest byがブルーノ単独のファッション・レーベルではなく、他のデザイナーにも参加をオファーしているのかと言えば、Bruno Pietersの美学が必ずしも好きではないクライアントに訴求するためとのこと。様々なルックスとスタイルを提供し、新しいオーディエンスにリーチしたいという考えがそこにはあります。
Honest byには収益の20%を慈善事業に寄付するというルールがあり、寄付先は各参加デザイナーによって選択される。今回のBruno Pietersによるコレクションの収益はSebastian Indian Social Projects(SISP)という南インドの慈善団体に寄付されるが、これは2年前にブルーノがインドを訪ねた際にSISPが子供たちの教育を熱心に行っていたことに由来する。