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Dior homme's Garment Bag

Dior hommeは今シーズン(13SS)からガーメントケースが少しマイナーチェンジされていますね。
昔はブラックのメッシュでしたが、少し前にかなりフォーマル寄りのポリ製ガーメントケース(「Dior」の印字あり)になり、そして今シーズンからはブラックの布素材のケースにブラックの「Dior」刺繍があるカジュアルな感じのものになっています。ジッパーも多くのアイテムで使われている写真のものになっており、スポーティーさがありますね。
昔のブラック・メッシュのブラック・リボンはエディらしさがあって好きでしたが、今回のは今回のでクリスらしくて個人的には好きな感じです。

The Problem of AD Campaign by Fashion Designer.

Fashionising.comでポストされていた「ファッションデザイナー自身がAD Campaignを撮ることの是非」について書かれたアーティクルが面白かったので少し書いておきます。

記事の中ではデザイナー自身がキャンペーンを撮ることの理由を二つほど挙げており、一つ目は昨今の世界的な経済不況にその理由を求め、フォトグラファーを起用せずに自分たちで撮影をすることによってコストを削減しているという話。二つ目は、デザイナー自身がキャンペーンを撮影をすることでそれは価値のあるニュースになり、そして、デザイナーの多才な才能(フォトグラファーとしての活動)をハイライトすることによって顧客のデザイナーへの信頼をより一層得ることを目的としている、といった話が書かれていますね。

前者の指摘は確かに著名なフォトグラファーをキャンペーンに起用すると多大なコストが掛かるというのは納得できる話ですが、名の通ったハイブランドが単なるコストカットを理由にそうしているとは少し考え難いかなと。なので、デザイナーの多才な才能を顧客にアピールすることによってデザイナーのある意味での神格化を意図している、という後者の指摘の方が納得できる感じでしょうか。もちろん、デザイナー自身が写真が好きであるということもあるでしょうし、また、デザイナー自身がコレクションの世界観を最も熟知しているので自分でキャンペーンを撮影した方がスムーズであると言うこともあるでしょうけれど。

そして、ファッションデザイナー自身がキャンペーンを撮ることの問題点とは、その「創造性の乏しさ」にあるとの指摘。記事中で言及されているブランドのキャンペーンが創造性に乏しいかどうかは別にして、一人で全てをやろうとすることはあまり宜しくないという意見は個人的に同意ができます。一人で多くのことを行えば確かに統一感は出せるのですが、驚きや偶然性が入り込む余地がかなり少なくなるので創造性という点ではどうしても低くなってしまう可能性が高くなるかなと。

餅は餅屋という言葉があるように、やはりそこはプロのフォトグラファーに任せて、ファッションデザイナーが描いた世界とフォトグラファーによるその世界の拡張というプロ同士の化学反応があった方が受けて側としては見ていて面白いですよね。記事中にあるように、ヴィジュアル・イメージが完全に飽和しているこの世界の中で、人々を立ち止まらせ、魅了し、夢見させるイメージをクリエイトするのがファッション・フォトグラファーの本分なのですから。

最後は、いずれにしてもデザイナーが自分でキャンペーンを撮るというトレンドはあまり長く続かないで欲しい、という言葉で締め括られていますが、確かにこの傾向が続くのだとすればあまり良くないと言えるかもしれませんね。

Kris Van Assche interview by SSENSE.com

SSENSEにアップされているKris Van Asscheのインタビューが面白かったので、(クリスが以前から発言している内容と重複する部分もありますが)いつものようにザックリと書いておきます。

彼が生まれ育ったベルギーにある小さな村"Londerzeel"についての話や彼がジーンズを拒み、スラックスを好む理由。Dior Hommeでのアシスタント経験、Londerzeel(Magazine)の出版について、シグネチャー・ブランドである"KRISVANASSCHE"の開始と絶えず拡大するその宇宙について、想像上の男性像としての"KRISVANASSCHE Man"と"Dior Homme Man"の違い、など。いずれの話題も彼の作品をより良く理解するための手助けになりますね。

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彼が生まれ育ったベルギーにある小さな村"Londerzeel"と幼少時代について
私はクリエイティビティとパーソナリティのためには狭く、コンサバティブな環境であるLonderzeelで生まれ育ちました。そこは刺激的な何も決して起こらない非常に小さな村で、それは私の人間としてのパーソナリティに明らかに影響を与えました。
(そういう環境で生まれたので、)私は大部分の時間を「クリエイティブな」自分の部屋で一人で過ごすことになりました。当時、ファッションというものは既に私の心の中に存在していましたが、部屋で過ごす時間は必ずしもファッションに関してという訳ではなく、何か他のものを描いたり作ったりすることもできました。

「ファッション」というものを最初に意識したのは?
10から12歳ぐらいの頃、「なぜ自分が何を着なければならないかを自分以外の誰かが決めなければならないのか?」ということを真剣に疑問に思うようになりました。少し経った後、私の祖母が私の服を作り始め、いつも彼女が自分で家事や裁縫等の身の回りの世話をするのを見ていました。世間の人たちがジーンズを穿いている間、彼女は私が好きだったワイドプリーツパンツを作りました。

子供の頃の躾が現在の仕事に影響を及ぼしていますか?
おそらく。私の両親は地に足がついたとても現実的な人です。彼らはハードに働くことに価値を置き、自立していることの重要性を信じます。

当時、着たいと思わなかった服は?
私はジーンズを穿くことを拒否しました。当時は誰もがジーンズを穿いていて、それは"cool"でした。
ジーンズは、私が属していないのを感じたグループの(服の)コードでした。

反抗を抱いていたものは?
当時のLonderzeelが創造性と特徴に乏しかったこと。

当時の話とそれに関する考えは、現在の人生にどのように適合しますか?
私のデザインする服はその人の個性をエンフォースし、誰にも何もプレッシャーを与えることを望みません。

あなたのデザインには常にパーソナリティという要素がありますか?
はい。私は自分の仕事がとても個人的であると言います。シグネチャー・ブランドを開始した時、私は個人的に着たかった服をデザインすることに取り組みました。ですが、今現在のシグネチャー・ブランドは自分が着たいものをデザインするという考えについてではありません。今までの経験や学びによって成長し、今は自分の世界にフィットする物語をよりコンセプチュアルなアプローチによってクリエイトすることを楽しんでいます。

シグネチャー・ブランドの開始を決意させたものは?
6年以上のアシスタント経験が私をかなりイライラさせるようになりました。私は、ファッションの世界で自分のヴィジョンを表現したかったです。よって、私はDiorでの仕事を辞めて、私自身のブランドを始める必要がありました。
自分のブランドである"KRISVANASSCHE"を開始したことは、依然として私の人生の中で最も決定的な瞬間のままです。

Barbara PollaとのコラボレーションによるLonderzeel(Magazine)について
すべては私が本当に楽しんだ"A Magazine"のゲストエディターとしての経験からスタートします。Londerzeel(Magazine)は、それの継続と見做しています。それはアーティストや私をインスパイアするものを紹介するプラットフォームです。私の世界をもっと示す方法であり、思考の材料でもあります。
我々がLonderzeel(Magazine)で示す仕事は私をインスパイアしたかもしれない何かが反映されており、それによって私自身の仕事(彼の創る服)のより良い理解を読者に与えます。

シグネチャー・ブランドである"KRISVANASSCHE"の宇宙の中心には何がありますか?
私の頭の中には常に想像上の男性(いわゆる「理想とする男性像」)がいました。この男性像はもちろん私と共に成長し、進化をします。"KRISVANASSCHE Man"とは、常に異なる世界の混成です。彼は伝統的なものが好きでありつつも、より未来のことが好きです。彼は決してエレガントであるだけではありません。彼はあまりにスポーティーでもあります。また、彼はスポーティーであるだけでは決してなく、彼は美しいスーツが好きです。もちろん、彼はタフでありつつも、ロマンチストでさえあります。
私は彼を"ruggedly elegant"(荒々しくもエレガントであること)であると見做します。私は異なるレイヤー(探求するための異なる世界)があるのが好きです。

既に"A Magazine"でのゲストエディターの経験がありますが、将来的にパブリッシング(出版)は続けていきますか?
私はパブリッシング・プロジェクトを同じメッセージを表現するための異なる方法と見做しています。しかし、自分はファッションデザイナーであるので、(パブリッシングよりも前に)常に一番最初に服のデザイニングがあります。

"KRISVANASSCHE Man"は心の中の想像された人物とのことですが、13SSコレクションで想像された男性像はどうような人物でしたか?また、彼はどのように過去のコレクションの"KRISVANASSCHE Man"と折り合いますか?
私の最初のショーのすべては、スリーピース・スーツをスニーカーと結合することにありました。それは、青春期と成年期の交差点をつくり上げるという私のやり方でした。私は現実へと向かうイノセンスからの長い旅(青年がやがて大人になるという旅路。青年が自分の夢を叶えるためにそれに固執する必要がある瞬間。)に常に興味を持っています。
(13SSコレクションについて)青年にとってホワイトTシャツほど当たり前であるものは何もありません。私はホワイトTシャツという「リアルピース」からスタートし、この究極的な男性のベーシックを新しく、クリエイティブな方向へ押すという挑戦が好きでした。しばしば、私のクリエイティブ・プロセスは日常の現実からスタートします。

すべてのコレクションはあなたと共に成長しますか?顧客と共にも?
はい。それは非常に個人的なプロセスです。

あなたは過去に"KRISVANASSCHE Man"と"Dior Homme Man"は互いに心の中で対話をすると言いましたが、彼らは互いに何を話しますか?
私は両方共が創造的に自由であると感じます。そして、私は多様性を楽しみます。
Dior Hommeはとてもテクニックやノウハウに関するものです。それは手(作業)による無限の可能性を最大限に生かすことにあります。それは新しい何かをクリエイトするために伝統を使うことであり、クリエイティブ・ラグジュアリーについてでもあります。メゾンのヘリテージの内側に私が存在します。
KRISVANASSCHEとは私の頭の中にある「理想とする男性像」に関するアティテュードについてのものです。それは、現代の男性のとても個人的なヴィジョンです。

各シーズンは両方のブランドを前進させるという挑戦であり、二つのブランドは共に私のファッション・ヴィジョンの内側にあります。私は、(ブランドは二つ存在しているが)ファッションにおける一つのヴィジョンを持っているだけという事実を受け入れます。各シーズンにおいてリサーチをする時、私はアイデアがどこへ行くかを決める必要があります。しかし、ますます(両ブランドのアイデアの)選択は自然に成されます。私は、気持ち良く共存することができる両方のブランドのためのディレクション方法を見つけました。

最後に、"KRISVANASSCHE"の将来に対するあなたの望みは何ですか?
より良く今と同じように在りたいです。

Dior homme 13-14AW Collection

Michel GaubertがミックスしたAnn Clarkの"Our Darkness"をサウンドトラックにセットして行われたKris Van AsscheによるDior homme 2013-14年秋冬コレクション。
今回のコレクションのインスピレーションソースとなったのは、1997年に公開されたSF映画"Gattaca"。クリスによれば、「Gattacaは、健全な精神と肉体を構築するという完全性の追求に関するものでした。そしてそれは、私がこれらのコレクションで実現しようとしているものです。」とのこと。

シミ一つ無いクリーンルームのように清潔なピュアホワイトのランウェイに、メンズウェアのプリンシプルに則った鋭く厳格なスキニーシルエットのブラックスーツが描かれる。前任者の遺したヘリテージである"skinny"をKris Van Asscheらしく"sporty"と言い換え、それを未来へと接続することでデフィレは進行する。
アトリエの技術の高さを静かに誇示するしなやかなシルエットのテーラリングとその心地良い滑らかな質感表現。多用されるジッパーとメタル・バックルがフューチャリスティックな空気を運び、ブラックと時折光るホワイトの明確なコントラストが描かれる男性像にシャープな印象を与える。ネオプレンとテクニカルキャンバスの素材使いはサイエンティフィックな気分を際立たせ、トライアングルとサークルを組み合わせたエニグマティック・グラフィックスが近未来の何かを暗示する。

50年後の未来ではなく、今日の延長線上にある明日のためのファッションとして提示されたコレクションは確かにリアリティがありますが、未来の描き方が少しステレオタイプ過ぎる感じもありましたね。彼の場合は世界観やストーリーを直接語るよりも、テクニカルにデザインを追及していくクリエイションが得意なのでしょうがない部分もあるかなと思いますが。
多くの場合、表現とはある特定のフィルターを通したリプレゼンテーションでしかありませんが、そこに単一性と正統性を与えるのがデザイナーのデザイン・アイデアであったり、伝統あるアトリエの技巧であったりするのでしょう。

Style.comのMatthew Schneierのレビューにおいて"essentialism"というキーワードが使われていますが、クリスのミニマリズムの中には確かにエッセンシャリズムという側面があるかなと思います。彼のデザインする服からは基本的に色気をあまり感じませんし、思わせぶりな演出も無く、デザインしたものをそのままストレートに表現することが多いですからね。

最後にGodfrey Deenyのレビューが面白かったので少し書いておきますが、John GallianoとHedi Slimaneの頃のDiorはウィメンズとメンズのコレクションの方向性が全く違っており、とても同じブランドだとは思えなかったが、現在のRaf SimonsとKris Van AsscheによるDiorはウィメンズとメンズの同期がとても良く取れている、という意見は確かに納得できるかなと思います。
そして、いつものようにFront RowでショーをチェックしていたKarl Lagerfeldが"Nobody has better quality than Dior Homme. I should know, I wear it all the time,"と発言したように、彼がDior hommeを着る理由はそのクオリティの高さにあるというのもカールらしい話ですね。

アトリエの技術に裏打ちされたテーラリングに基づいたクリエイションには通底して厳粛さがあり、クリスはそれを"calmness"と呼んでいるのだとか。波の無い穏やかな水面に映る澄んだ景色のような空気感は、パーフェクションを追求する創り手の姿勢を正しく表現しているような気がしますね。

via style.com wwd.com nytimes.com showstudio.com tFS

Chanel 13SS Haute Couture Collection

Grand Palaisに森を出現させての開催となったKarl LagerfeldによるChanel 2013年春夏オートクチュールコレクション。
Christian Diorはガーデンをランウェイにセットしていましたが、Chanelは森ということで偶然にも少し被った感じになりましたね。

Diorはオプティミスティックな方向性でのフレッシュなコレクションでしたが、Chanelは深い森からインスパイアされた少しダークでミステリアスな方向性でショーを進行。モノトーンのカラーパレットを中心に、カールが"frame shoulders"と呼んだショルダーに基点を置くシルエットによってコレクションはドライブされる。
オフショルダーのケープカラーやスタンドアウェイされた"horn of plenty"スリーブ(カール曰く、"the bird sleeve"とも。1930年代前半にCoco Chanelがデザインしたイヴニング・ガウンからの引用でもある。)を用いて「肩を美しく見せる方法」に集中し、各Lookの肩からネックラインに掛けてをロマンチックに描く。ツイードやチュールレースを用いたドレスワークとフェザーやプリントのようなスパンコール立体刺繍のディティーリングがアトリエの技巧を静かに語り、職人の技術がKarl Lagerfeldのデザインによって適切に美しさへと導かれていたのはいつものことですが流石ですね(各アトリエの様子をこちらで見ることができます)。多くのLookで見ることができたレースのサイハイブーツも、服の延長線上としてデザインされていて一体感があったかなと思います。少し余談になりますが、クチュールコレクションはバッグを持ったLookは基本的に登場しないのが通例ですが、今回もその通例通りでしたね。

コレクションのインスピレーションソースとなったWilliam Shakespeareの"A Midsummer Night's Dream"とその深い森からイメージされたSam McKnightによるヘアスタイルは、エアリーなシニョンにフェザーとフラジャイルなオーガンザを用いたヘッドアクセサリーを組み合わせたもの。Peter PhilipsによるメイクアップはSam McKnightによるヘアスタイルのエクステンションとして機能するようにデザインされており、目元に使用されたリーフ(葉)を模したオーガンザはMaison Lemarieによるものとのこと。ランウェイショーに妖精が出てきそうな雰囲気があったのは気のせいでは無かったようですね。
オートクチュールのセオリー通りにブライダル・ルックでフィナーレを迎えましたが、ティタニア・ドレスを着た二人の花嫁とあどけないHudson Kroenigの組み合わせはフェアリー・テールな空気を一層引き立てていたかなと思います。

魔法をかけられた深い森に住んでいるようなミステリアスな女性の美しさは、いつの時代もどこか惹かれる神秘的な魅力があるということ。「ある種のメランコリアよりもエレガントなものは何もありません。」というカールの発言があったように、どこか影のある繊細な女性の心理とそのナイーブな美しさが服を超えた向こう側に高い純度で表現されていたのがChanelチームのクリエイティビティの高さであり、素晴らしさであると言えますね。

via style.com wwd.com vogue.com nytimes.com runway.blogs.nytimes.com tFS

Photography by ANNE COMBAZ.

Maison Michel 13SS Collection Photography by Karl Lagerfeld

Maison Michelの2013年春夏コレクションのLookが公開されていたのでご紹介。
写真はいつものようにKarl Lagerfeldによるもので、Lindsey Wixsonらが撮影されています。リンジーは12SSに引き続いて登場ですね。