This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

アニメとマンガ

freedom-project.jpから大友克洋は降りてしまったような話がありますね。本当ならば残念。漫画描いて欲しいな。蟲師の実写やるとか。蟲師はTVアニメでやっていたのが良かったな。動く場面と止まっている場面のコントラストがよかった。作画リソースの分配が巧かった感じか。手の仕草の動きなど細かいところが丁寧に動いていて、気持ちよかった。原作も読んだけど良い話が多かったな。短編っぽくてMIND ASSASSIN(かずはじめ)系って思った。日本の村社会の閉鎖的な部分がよく描かれているなぁと。
そういえば、田中達之のBOILED HEADはどうなったんだろうか。異常な描きこみで。人物はシンプル。あとは、ジーニアスパーティ。映写機人サチコは2007年か。ゲド戦記は映像を見たとき宗教アニメっぽい感じがした。線の数が少なかったからかな。

ラジオ

日曜日の秘密基地
インド人すごいって話。NASAの社員の三割がインド人(Microsoftだったかな)。アメリカは自国の利益のためにインドの核保有を認めている…など。フラット化する社会でもインドのことは描かれていた。

NISSAN あ、安部礼司 BEYOND THE AVERAGE
TOKYO FMで不思議な番組がやってるなぁって思って何回か聴いた。単発企画じゃなくて日産の単独提供枠で始まった番組なんですね。ラジオドラマのしゃべりが面白い。選曲も懐かしい。TOKYO FMのタイムテーブルを見て思ったけど、単独スポンサーの番組が多いですね。番組の質としてはスポンサーの数が少ない方が高いような気がする。気のせいかな。TVはそうかなと(SONYの世界遺産など)。制約が少なくなるからか、目的意識がはっきりした番組になるからか、会社の名前が前面に出るので単にお金をかけるからか。ま、そんなところでしょうか。そういえば、IT関係の会社が単独スポンサーで何かをするって少ないですね。海外でも単独スポンサーの番組はあるのでしょうか。

スタンバイ!
森本毅郎の番組。永六輔もそうだけどAM栄えする声ですね。声といえば、大塚明夫や中田譲治、若本規夫にラジオやって欲しいな。渋いので。
それで、スタンバイ!で少し前に天気予報の話があって、NHKはこれまでの天気の解説に割く時間が多く、逆に民放はこれからの天気に割く時間の方が多いってやっていた。つまり、「今日の天気」をNHKは中々言わないってこと。もちろん朝は皆急いでいるので、民放の「今日の天気」の結論だけを先に言う天気予報の方が視聴率が良い。これは面白い話だなって思った。マスコミが結論だけ視聴者に渡して、満足させてしまうやり方はしばしば問題視されているけど、ケースバイケースなのかなと。個人的には何で天気が悪くなるのか、原因は何なのかって部分にも興味があるのでNHKの渋いの好きですけどね。夜中に台風の天気図を眺めているのも好きです。そういえば、天気予報を女性の予報士がやるようになったのは何か理由があるんだろうか。ずいぶん前になるような気がするけど、急に変わったなぁと。

アニメのデジタル化とその質感

Superflat Monogram

この曲欲しいなって思ったのを思い出した。以前、WOWOWか何かで流れたのを録って持っている。
Louis Vuittonと村上隆、細田守、fantastic plastic machineのやつ。子供が大人の知らないところで不思議な体験をするってお話は、いろいろなジャンルでよく描かれるような気がする。音楽と映像のシンクロっぷりが好きだ。エヴァのフルサイズOPもシンクロがいい。気持ちよさ最優先で。カット割が早い。
色彩は、デジタルになるとポータブル空港(百瀬義行)然り、同じような方向になるような気がする。Adobe Illustratorっぽくて好きだけど。そういえば、怪 ?ayakashi? 化猫も面白かったなぁ。アニメは最終的にはベクターで描く方向になるのかな。よくわからないけど。そうなると逆に筆で描いたような質感のものが見たくなる。PCで描くとぺたーっと2Dになる。デジタルジュース(studio4c)のなかで柳沼和良が言ってたけど。空気感がなくなるのかな。逆にファンタジーっぽくなっていいかもしれないけど。アクエリオンの19話でうつのみや理が描いた世界もそんな感じだった。まぁ適材適所ってことか。

そこで己は何をしている。

競争を前提に「弱者」を語るネオリベ*1に生活はあるか

兼ねがね同意。
「人生を競争と思って勝ち抜いても勝ち抜いても,その先には生活はないのである。」これと同様に、中長期的にものを考えすぎて今が疎かになっても生活はないかなと。その逆のパターンになる方が多いだろうけど(短期的にしか考えない)。
森鴎外の文章が良い。リンク先の引用ではあとの一文が抜けているので自分で引用してみると、

 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜(くぐ)ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為(な)し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。  現在は過去と未来との間に劃(かく)した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。  そこで己は何をしている。

青年 森鴎外


そこで己は何をしている。ここではないどこか、なんて存在しないのだからそこでどうやって生きるか?
目的がないと生きていけないね。さて、どうしたものか。

涙の440BX

そろそろPCが限界か。今までよく持ったという感じ。
一番の問題はメモリ。一枚挿しじゃないと再インストールさえできなかった。サブ機がないのでネットから隔絶されて焦った。新しいマシン欲しいけど、お金はないし。ディスプレイは個人的にCRTがいいんだけど、売ってないだろうし。マウスは光学じゃなくて切ないほどのボールだし。まぁ環境を整えてもそれで何かを生み出さないと意味ないんだけど。

これちょっと面白そう。2ch辺りだと、料理の写真をアップして見せ合いっこしている。「見せ合いっこ」っていうコミュニケーションの形態がなんだか面白い。自分もちょっと料理してみようかなと自然に思える。Nintendo DSはどこに向かっているんだろう。

狭い世界のお話

何年か前のことだが、いつからかデザイン系のサイトを巡回しても面白いと感じなくなった。
自分がチェックしていたサイトが国内も海外も軒並み更新されなくなったのと、いろいろサイトを見過ぎて目が肥えたというのが原因だと思う。管理人が就職などしてリアルの世界が忙しくなったり、モチベーションが続かなくなったりして更新が止まっているのは悲しい。次はどういったものを見せてくるのか、それを見て、自分も何かつくりたい…よくそう感じたものだ。そういった人が趣味でやっていた時のクオリティ(定義が曖昧)のままビジネスの世界でつくり続けられるのならいいのだろうけど、そうはなっていない。妙に畏まって、型にはまってしまう感じか。
そんなこんなでEYESIGHT.JPをつくった。そんな停滞した世界が嫌で。何かが変わればいいなと思って。
Lomo LC-Aというカメラが流行ったことがある。今ではどうなのだろうか。小さなロシアのカメラだ。箱を開けると古い書物のような独特の香りがする。これで撮影した写真は四隅から中央にかけていい色にグラデーションがかかる。空が良く似合うそんなカメラ。普段、雲のカタチなんて気にしなかったけど、カメラを持ち歩くようになってからはよく空を見て雲のカタチを気にするようになった。俯きがちな人を前向きにさせてくれる、そんなチカラを持っているカメラかもしれない。
このエントリーを書きながら、ずいぶんとロモで撮影していないことに気付いた。そういえば最近は下ばかり見て歩いていたような気がする。梅雨が明けたら久しぶりに鎌倉でも行こうか。そして、コクリコでクレープを。
でも、手元にロモが無いことに気付いた…。

delicacy

何かを断るのには理由が必要だけど、受けるのには理由は要らない。その人の立場にも寄ると思うけど、フェアじゃないような気がする。何かを断るには理由と言うか、何某かの物語が必要で、それを創造することを求められる。社会がそう要請しているような気がする。理由なんか必要ないところで理由を問われ、必要なところで問いがないような感じ。まぁ、頼む側も頼まれる側も自分の都合のことしか考えてないってことなんだろうなと思うけど。何か嫌なことを頼まれる時点で勝負はすでに着いているし、良い事ならもちろんその逆なんだろう。
…でも、ここまで書いて思ったけど「なんで?」という、何かを断られ、自分の思い通りに事が進まなくなりつつある状況の中で発せられるこの問いは、もう既に断る理由を問うているのではなく、「私の誘いを断るな。私の思い通りに行動しろ」と言っているんだなぁと。そんなありふれた会話の光景を想像してみるとなんだか面白い。何もかもが自分の思い通りにコントロールできるなんて有り得ないし、そう思う方がおこがましい。ましてや相手は同じ人間だし。
小さい頃、相手の気持ちに立って物事を考えるってことを習わなかったのだろうか。相手の気持ちも理解しようとしない人間は文字通り話にならない。でも、往々にして人はそう考える。歳を取ればとるほど、自分のことを叱ってくれる人や、否定的な意見を言ってくれる人は少なくなってくる。なので、自分で自分のことを律していかなければならない。もしくは、そういったことを言い合える仲間を見つけるか…だ。
経済的に自立し、成功を積み重ねていくとそうなる可能性が高いように思う。失敗や辛酸を舐めたことが無い人はそういった気持ちがわからない人が多い。成功が歳を取らせるってことで。当たり前と言えば当たり前か。人間は自分の経験からしか物事を判断できないし。
子供の頃、大人が構築している社会はもっと厳格で、それこそ「大人の世界」だと思っていたが全然そうではなかった(自分も精神的に止まったままだけど)。世の中は不思議で溢れている。

ここではないどこかへ

ネットワークのオプション価値

昔読んで忘れていた。ここで紹介されていて思い出した。
いつか何かが訪れて自分をこの日常(世界)から連れ出してくれるかもしれない、って誰もが心のどこかで淡い期待を抱いて生きているんだと思う。最終的に人間を動かしている部分はきっとこの気持ちだろう。完全に先が見えてしまったら生きていけない。でも、先が真っ暗なのもまた困る。どうしたものか。
情報が少なければ少ないほど向こうの世界はどうなっているのか、少なくとも今の自分が置かれている状況よりは良いだろうと考える。隣の芝は…ってことだ。
近代化ってのは脱宗教化みたいな話があった。科学も一つの宗教だと言えばそうだろうけど。世界からムード(って書けばニュアンスが伝わるだろうか)を剥ぎ取っている感じはする。お酒を飲むなら明る過ぎない部屋が良い。

モノをつくっている人間は次に自分がつくろうとしているモノや今、自分が取り組んでいるモノ、その制作の過程で先が見えそうで見えない、完成しそうでしない、そんなゆらぎの中で光を見ているんだ。そして、それが一瞬見えるからつくるのをやめられないし、それに生き甲斐を感じているんだと思う。
「世界を変えられないのなら、自分を変えろ」ってセリフがとあるアニメであった。ここではないどこか…そんな場所はもう、自分の中にしかないんだろうなと思った。

青山ブックセンター

本店には昔よく行っていた。一番初めに行った時のことは全く覚えていないが、漫画本の品揃えが秋葉原の書泉と並んでマニアックだったのでそれが自分にとって一番のメリットだったのは覚えている。青山ブックセンターという名前はなぜか以前から知っていた。今から何年前になるのだろう。自分としてはそんなに昔になる気はしないのだけれど、指折り数えて見ると片手では余る事に気付き、時間の流れに驚かされる。
自分の興味が漫画などからWebやデザイン方面にだんだんと傾いていったとき、そのままABCをよく利用するようになった。だんだんと興味の範囲が広がるにつれ、足を運ぶ棚のエリアは増えていった。今まで素通りしていた棚の前で足を止めて、以前の自分だったら考えられない様な本を真剣に探しているのが何だか可笑しくもあった。お前がそんな本買うのかよ、みたいな。そんな感じで時間を見つけては寄り、何か洋書など出ていないかチェックするようになった。値段を見て諦めること多数…だったけれど。
その時思ったのは、東京にはこういったインフラが整っているのが羨ましいということだった。田舎では有り得ない。こういった情報にアクセス可能な場所で生まれ育てば、自分にももっと違った人生があったんじゃないかと思ったりもした。これは確率論的な話だけれど。でも、自分の場合はそういった外的要因よりも内的要因の方に問題があると思う。できる人間はどこにいてもどういった環境でもできるだろうし、何かを成し遂げるだろう。何においてもそうだけれど、理由を内ではなく外に求めるのは問題がある。もちろんこれはバランスの問題なんだけど。例えば、誰かが何か失敗を犯したときに、その人を責めるのではなく、なぜ自分はそれに気付けなかったのか、自分に何かできなかったのかとまず考える(自分の内的要因)。次に、その人が置かれていた環境を考える(その人の外的要因)。自分はこの順番が正しいと思っている。この考え方は、「当事者は最善を尽くした結果、失敗してしまった」という前提に立脚しているんだけれど。性善説に基づき過ぎてるだろうか…。
いつも通り脱線したので話を元に戻す…必要もないか。なんとなく昔のことをふと思い出したので書いてみただけだし。思い出した訳は、ABC六本木店に行ったからなんだけど。欲しい本はあったので購入した。今日はそんなどこにでもあるような、ありふれた夏の一日だった。

Hotchpotch / ニコパチ / 少年アリス

坂本真綾のアルバム。菅野よう子つながりで聴くようになった。
良いと思った曲は挙げ出すと切りが無いので、直球ストレート系?の中から挙げてみると、
Hotchpotch:2曲目のともだち、4曲目のGift、5曲目の君に会いにいこう
ニコパチ:2曲目のヘミソフィア 、10曲目のキミドリ、11曲目のtune the rainbow、15曲目のTHE GARDEN OF EVERYTHING ?電気ロケットに君をつれて?
少年アリス:4曲目のまきばアリス!、10曲目の光あれ
こんな感じかな。steve conteのやつは直球じゃないけど、好きなので。機会があれば一曲一曲何か書こうかな。
年を取るとゆっくりとした曲の良さがわかる様になる。それはきっと流れる時間の大切さが身にしみてくるからなんだろうな。ボーッとただただ景色や絵を眺めていたり、何もせずに音楽に身を委ねて時間を楽しむ…そんな時間の楽しみ方ができるようになってくる。つまり、そう、もうおじいちゃんの仲間入りってことです。ワーイ。

ストイックなモノの居場所

エンターテインメント全般が、コミュニケーションを誘発するような方向のコンテンツに傾いてきているような気がするけれど、はたしてそこから何が生まれるんだろうか、とふと思った。ゲームでもアニメでも漫画でも何でもいいんだけれど。例えば、漫画だとストイックなハードボイルドな?作品は読者からのフィードバックのハガキがほとんど来ない(そういった漫画を読んでいる読者はそもそもそんなハガキなど出さない)ので、漫画家もモチベーションの維持が難しかったり、連載自体も打ち切られる可能性が高い。昔は理解ある編集者がいて、そういった作品も連載を続けることができたらしいけど。つまり、ストイックな作品はビジネス的にも、コミュニケーションを誘発するような話題性にも乏しいという訳で、そういった方向のコンテンツはこれから更に生きるのがシンドクなるんだろうかと思った。それで、冒頭に書いたような種のコミュニケーションから何が生まれるのかなぁと。恋愛と携帯の二の舞は勘弁して欲しいなぁって思った。

ヴァージョンアップ

photoshopもillustratorもflashも、知らない間にどんどんヴァージョンアップしていく。OSもそうだ。Conroeもでるし。そんなにしなくてもいいのに。なんだか自分だけが取り残されている感じだ。みんなどこに向かって進んでるんだろうか。

M:i:III

愛や家族といった、そっち方面の作品になっていた。もっと殺伐とした感じが欲しかったかな。アクションもCMで見たものでほぼ全部だった。見ている間はあっと言う間だったけど。
映画に関しては詳しくないけど、頭脳戦というか知的な騙し合いがもっと欲しかった。交渉人(サミュエル・L・ジャクソン、ケビン・スペイシー)、リクルート(コリンファレル、アルパチーノ)みたいな感じ?で。殺伐感で言えば、デビッド・フィンチャーのセブンとか。これはとても面白い。モーガン・フリーマン渋い。音楽も脚本も良い。そういえば、ボーンアイデンティティ、スプレマシーは殺伐としていて主人公が孤独で面白かったな。
でも、深く考えたり余韻に浸りたい作品は家で見た方がいいかも。そういう意味では普通に劇場で楽しめたアクション映画でした。

草迷宮 affection

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 第11話。
鶴を片手で折る作画と、BGMの「i do」が良い。作画、音楽、脚本、演出が上手くシンクロしていて印象に残っているお話。「i do」は、Cowboy Bebopの「CALL ME CALL ME」みたいな感じで良い所でかかる。見逃せないのは鶴折り作画。ロトスコープかと思うほどすごい。どうやって描いたのかわからないけど。
そういえば、攻殻機動隊 S.A.C. SSSはどんな感じなんだろうか。

理屈とは創造を補助するための術

Radium Software Development

理屈とは創造を補助するための術であって,それ自体が何かを生み出すものとは違うのではなかろうか? 論理的な導出とは,知識と判断力さえあれば誰にでもできる,最も単純な「やりかた」であることを忘れてはならない。ある作品を他の作品とは異なる唯一無二の存在たらしめるのは,作り手の自我の力に他ならないと信じている。
自分も理屈は一つのガイドだと思っている。思考のガイドラインとして使うとグラフィックを構築するのが楽。まぁ、それが良いのかどうかわからないけど、一つの方法論として使用していた時期があった。

time is money

時間はどんどん過ぎていく。
このまま歳だけとっていくのか。

また何かやりたいな。何か。

WXIII

物語の最初から雨が降り始め、ラストで梅雨が明ける。パトレイバーの劇場版3作目。天気が劇中で描かれている作品は好きだ。最後の女性の死体の描写が生々しく、なぜか綺麗に見えた。ラストシーンでアイスを食べながら、BGMとして無機質に流れる天気予報がかなり好きだ。NHKのラジオのクリアで無機質な感じが良い。あの声は嵐の前の静けさみたいなものを感じさせる(この場合は、嵐のあとの静けさ…かな)。お墓参りは、子供の頃の夏というか、いつか見た入道雲を思い出させる。
梅雨が明けて夢から醒めたような感覚が映画の体験っぽくていい。押井守のパト2も良いけど、これも良い作品。なんとなく映画館で見たのを思い出したので、書き記すことにした。

BELIEVE

MISIAのマキシシングル。
朝、ラジオでよく流れていて良い曲だと思って購入。今から7年前の曲か。別れの歌なんだけど、明るく歌っているのがいい。明るい曲だけど詩を読むと鬱ってたり、悲しい詩だったりするのは好きだな。Komm, susser Tod/甘き死よ、来たれとか(笑)
詩は全体的に好きだけど、「さよなら」は言えないよ?笑顔が壊れるから、の部分が良い。ウインドチャイムの音や、飛行機飛び立つまでの後の音(エレクトーンかなにかだろうか?)などが印象的。声を聴くとかなり若く、説得力という部分で疑問符が付いてしまうけれど、逆にそのギャップがいいような気がする。中途半端ではなく、かなり若いので。DJ WATARAI REMIXとENGLISH BREAKFAST MIX、もいい。アコースティックギターの音ってシンプルで聴いていて心地良い。

わかってはいるんだけど…

今週のファミ通は必読かも (コメント欄にも色々と)

よくある話というか。キャッシュが尽きれば、会社も人もそこで試合終了。少し考えれば誰でもわかる。でも、一回失敗しないと気付かない。若いと特に。失ってからわかる大切さ、みたいなもので体もそうだ。健康第一というか。持続可能性がある程度担保されていないと厳しい。sustainability?っていうのでしょうか。よくわからないけど。
でも、何かモノをつくるにはある程度の視野の狭さが必要だとも思う。じゃないと一つのことに打ち込めないだろうし。難しいところ。まぁ、視野の狭さだけで進めるのはある程度までだろうと思うけど。
毎年同じような人間が再生産され続けているので、歴史は繰り返されているんだなって思う。今までがそうだったので、これからもそうなのだろうか。ネットの世界に蓄積された情報が羅針盤として機能するのかな。公教育の歴史の授業などはそういう意味では機能していない。良い大学や高校に入るために歴史の授業があるわけじゃない。
話を戻すと、わかっちゃいるけど止められないんだろうなって思う。開発側の人間だってネットでblogとか読んでるだろうし。何も考えずに仕事で自己満足してるわけではないだろう。
わかってはいるんだけど、やめられない(それはわかっていないとも言う)…身につまされるお話でした。

HIPHOP, Techno

Fantastic Plastic Machineのbeautiful.というアルバム。1、2曲目のI Am Beautiful、Beautiful Daysはキャッチー。そして、8曲目のTodos Os Desejos ?欲望のすべて?が良い。曲の最初から聴いていくと、4:35くらいから気持ち良くなってきて、4:50あたりからが最高。あとは、11曲目のGod Save The Mona Lisa。なぜかモーナーリジャって口ずさんでしまう。Fantastic Plastic Machineでincognitoの存在を知ったんだけど、こっちはソウルフルでファンクで、それでいてジャジーでアンビエントな感じ(アルバムによって違う)。少し前にテイトウワのサイトで流れていた、FLASHERというアルバムの中の曲が良かった。曲名は忘れてしまった。CDは買ってない。
坂本龍一のCHASMというアルバムの1曲目。undercooledが良い。細くて折れそうな感じというか、そういうのが好きだ。日本人好みな。あとは、サムライチャンプルーのサントラ。Nujabes, fat jon, FORCE OF NATURE。聴きやすい曲ばかり。