今のこの時代にクチュールラインを開始することにどれだけ意味があるのか?という疑問は多くの人が持つかなと思います。オートクチュールがビジネスにならないというのは何年も前からのコモンセンスであり、過去にLVMHのBernard Arnaultは「オートクチュールは、我々のビジネスにラグジュアリーのその重要な本質を与えることにあります。オートクチュールによって失われるキャッシュ(現金)は主に問題でありません。我々の損失に対する対価は、クチュールが我々に与えるイメージの価値でなければなりません。」と話していますね。
Domenico Dolceは"This is not work, this is pleasure"と話していたようですが、Bernard Arnaultと同じような考えで彼らもクチュールラインを開始したのかは気になるところです。
ウィメンズの2013-14年秋冬コレクションまでを見たSaint Laurent by Hedi Slimaneの感想は、tFSでの多くの書き込みやCathy Horynのレビューとだいたい同じといったところです。Saint Laurentというブランド名に変更し、予めエクスキューズを用意しているとは言え、わざわざYves Saint Laurentであのコレクションをやる意味があるかと言えば現時点ではその理由は見つからないでしょう。
もちろん、プロダクト・クオリティのみがその理由ではありませんが、せめてハイブランドのアイテムとして成立する最低限のクオリティは維持して欲しいかなと思います。エディはあのクオリティで満足しているのだろうか?と思ってしまいますし、今までそれなりに買い物をし、目を養ってきた顧客にとってあのクオリティのものに数千ドルを支払うのは有り得ないのではないかなと。Cathy Horynが"Saint Laurent"というブランドネームしかその価格を正当化しない(中身がブランドネームに伴っていない)という感想を持つのはしょうがないでしょう。 Tim BlanksがShibuya 109やTrash and Vaudevilleを引き合いに出し、Vogue.comではCourtney Loveのコレクションの感想からValue Villageが引き合いに出されていますが、その気持ちはよく理解できます。
Suzy Menkesが日本の繊研新聞を引き合いに出して、日本ではSaint Laurentの人気が急上昇中であると書いているのですが、それに対してtFSで"the japanese are known for a consumer culture that verges on the insane."(日本人は狂気的な消費者文化で知られているから。)と嘲笑されてしまっていますね。日本人に西洋文化をベースにしたファッションやクリエイションの本質というものはどうせ理解できないでしょ?と言われてしまえばそれまでではありますが・・。川久保玲や山本耀司以降、本気で世界と勝負できるデザイナーを輩出できていない現実がある以上、そう言われても仕方が無いでしょうか。ファッションに限らず、ある文化とは創り手と消費者が一体となって文化体系を形成するので、そこにコミットする人たちのレベル以上には文化水準は成長しないのですよね。
話を元に戻して最後にしたいと思いますが、誰もがその存在を忘れつつある埃を被ったブランドならいざ知らず、Yves Saint Laurentという世界的に有名なブランドを引き継ぐ場合には、やはり創設者の美学を尊重すべきでしたね。いきなりすべてを変えるのではなく、白から黒へのグラデーションのように緩やかに物事を変えていくべきだったかと。パリコレクションという場では、逐次的改善の持続的イノベーションではなく、破壊的イノベーションのエポックを皆は期待していますが、今回のエディのやり方はイノベーションというポジティブな言葉とは真逆の方向でしかないのが残念です。
彼がファッション界に復帰するというニュースが流れた時が一番期待値が高く、その後のAD Campaign等の写真も含めて、全てが予測され得る範囲内で今現在まで推移してきているのでこの状況に個人的にはあまり驚かなかったりもしますが。一度、自分の型が出来上がってしまった創り手が、その殻を破って新しいものを創り出すのはそう簡単にはいかないですから、ね。
ピンチをチャンスに変えるという意味でこの状況から彼が多くのことを学び、また、素敵なコレクションを見せてくれると良いのですけれど、今後はどうなるのでしょうか。いつまでKERING(元PPR)が彼をYves Saint Laurentのクリエイティブ・ディレクターとして採用し続けるのかが気掛かりですが、次の2014年春夏コレクションの成否が一つの分水嶺になるのかもしれませんね。
"The spirit of the show was Chanel's globalization,"というカールの説明があったようにコレクションのテーマは、グローバリゼーション。
シルバー・チェーンで飾られたサイハイブーツに、太腿を露にするためにカットされた膝下丈のツイードコート。コートの下から僅かに顔を出すプリーツスカートに、袖口や裾を折り返してバイカラー・アクセントが付けられたメタルボタンコート。ショルダーの曲線が立体的なスタンドカラーのボックス・シルエットコートに、1Lookだけ登場したフラワーパッチのデニムパンツ。グラフィックパターンがあしらわれたセータードレスに、ネックレスが編まれたクリーム色のパッチポケット付きチャンキーニット。サイクロイドパターンのジップブルゾンに、モノクローム・フラワー刺繍が爆発したデコラクティブな結晶ドレス。
そして、ショーの後半に登場したパフ・スリーブとフレアスカートによるプレーンなLBDに、透け感のある素材使いが美しいシースルードレスでフィナーレを迎える。
グローバリゼーションというテーマと服自体の関連性は低く、"all about fabrics,"というもう一つのカールの説明の方がコレクション全体を表現していましたね。11-12AWからの秋冬コレクションは基本的に同じような方向性で推移しており、大胆なシルエットとダーク系のツイードを用いたLookはどうしても重さを感じさせます。クラシカルと言えばクラシカルではありますが。憂鬱なコレクションでは無いとカールが話していたように憂鬱さはありませんでしたけれど、ね。
先月、話題になっていたSuzy Menkesの"The Circus of Fashion"というアーティクルについて少し書いておきます。エスタブリッシュである彼女(もちろん、彼女は自分のことをエスタブリッシュだなんて思っていないと思いますが。)が今のファッション業界にこういう感想を抱くのは個人的にはよく理解できます。単なるノスタルジーや懐古主義と言ってしまえば確かにそれまでかもしれませんが、ずっとファッションの世界を見守り続けてきた彼女の言葉には重みがありますね。
アーティクルは、ファッションウィーク期間中にショー会場の外側で所謂「ファッション・ブロガー」が派手な服を着てストリート・フォトグラファーにスナップされようとしているその様はサーカスのようである、といった話から始まります。スタイリッシュであることには、さり気無さやシックさが必要であり、無駄に高い服を着ているだけのただの目立ちたがり屋は程度が低いという指摘ですが、この意見はよく理解できますね。ストリート・フォトグラファーに撮られようとしている人々のことを"the cattle market of showoff people"と表現しているのが、彼女らしい歯に衣着せぬ物言いです・・笑。
ランウェイショーのデジタルイメージが光の速度で世界を巡る今、それは多くのブロガーを批評家に転じさせました。確かに頭の良いブロガーのコレクションレビューが読めることは素晴らしいことです。特に中国やロシアといった(共産圏の)国々において、ファッションに関する考えや夢を共有する可能性が過去にはほとんどありませんでした。
しかし、実際にショー会場でランウェイショーを見るのではなく、Style.comやNowFashionで正面からだけの歪んだ色の写真のみによってコレクションの評価を下すという「誰もが批評家である。」という考えには慎重である必要があります。況して、ブランド側からプレゼント(賄賂)を受け取っているようなブロガーの記事には中立性と信頼性の両面で問題があると言え、物事の良し悪しよりも自分の好みとセルフプロモーションに基づいた主観的なレビューにどれだけの意味があると言えるでしょうか。Suzy Menkesがジャーナリストに成り立ての頃に教えられた言葉は、"It isn't good because you like it; you like it because it's good."ということでした。
彼女が指摘するように、ブロガーがブランド側からプレゼントを受け取るということに何の抵抗も感じないというのはファッション以前のモラルの問題であると言えますね。これに関して、ブロガーのLeandra Medineが"Blog is a Dirty Word"というリプライの中で「まず第一に、私たちはプレゼントを受け取るべきではありませんでした。ランウェイショーへの無料招待旅行やクールなイベント、業界有名人からの評価も自慢するべきでありませんでした。」と後悔を綴っていたりもしますけれど。
ブランド側から何かを贈られることはブロガーのステータスシンボルみたいなものになっており、自分で買ったものをブランド側から贈られたと嘘をつくようなどうしようもない人たちまで出てきていたりしますね。