This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

Comme des Garcons 20SS Collection

予告通り、6月に披露されたHomme Plusの続編となるVirginia Woolfの"Orlando"を主題とした川久保玲によるComme des Garcons 2020年春夏コレクション。メンズと同じくキーワードは、"Transformation and liberation through time."。

光沢のある花柄のブロケード、チュールやシルクによる立体的な薔薇、スリットスリーブのロゴマニア・ポンチョジャケットにカットオフされたバミューダパンツ。ボディを覆うキルティング・ダウンチューブ。足元を飾るのは、フェミニンなレースソックスにブラックパンプス、NIKE DUNK LOWのコラボバージョン、ペインティング・サイドジップアンクルブーツ。

クリノリンやパニエ的アプローチによる多層的でボリューミーなファブリック使いや、レギンスに見られる身体性の限界を超える不定形なオブジェクトによる隆起。抽象化はショーが進行するにつれて度合いが高まる。終盤では色も単色ブラックとなり、低解像度の原始的なフォルムへと回帰する。
描かれるジェンダーに関しては、ウィメンズに軸足を置きつつも、アブストラクトなLookはノンバイナリーな雰囲気を併せ持つだろうか。

25万点以上の衣装が保管されているウィーン国立歌劇場のアーカイヴを何時間も訪れたという玲ですが、結局は、メンズと同様に自身のクリエイションに帰結していますね。この領域は彼女にとって特段、新しいフロンティアでないことは自明ですが。
"Orlando"を主題とした彼女のトリロジーは、12月のオペラの衣装で完結するので、そちらがどのようになっているのかが気になるところですね。

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Rick Owens 20SS Collection

Palais de Tokyoの噴水の周囲をランウェイとして、シャボン玉の演出を用いて行われたRick Owens 2020年春夏コレクション。
オウエンスの母親のConnieはメキシコ人であり、父親のJohnは農場で働く移民労働者の権利を守るスペイン語と英語の翻訳ソーシャルワーカーとして働いていた。ショーに付けられた"TECUATL"という名は、彼の祖母のMixtecとしての旧姓から取ったもの。ショーのBGMとして使われたものは、1930年代から50年代にかけてのメキシコ映画を象徴する女優であるMaria Felixが出演する映画の劇中歌をサンプリングしたカスタム・ランウェイミックス。

ドイツで生まれ、バウハウスで学び、テキスタイル・アーティストとして活動したJosef and Anni Albers。1930年代にバウハウスとドイツを離れた彼ら夫妻は、メキシコの考古学を探求する。ピラミッドやヒエログリフをインスピレーションソースとした彼らの還元的なモダニズムは、今回のコレクションにおいてドレスのショルダーストラップや複雑に通された紐が特徴的なボンバージャケットとして具現化される。

カラーパレットは、モノトーンを基調としつつ、メキシコ人建築家であるLuis Barraganのピンクやイエローといったカラフルな色彩をストーリーに取り込む。多くのモデルが頭に被ったファラオのようなヘッドピースはマスク・アーティストのWintercroftによるもので、Fritz Langの映画に出てきそうなアステカの王冠がイメージされている。

鋭いショルダーシルエットのスパンコールは、母親がプエブラの教会のページェントで着ていた民族衣装であるチナポブラナの影響を受ける。ニットドレスは、ジオメトリックな平面とラインで身体をトレース。足元を飾るのは、存在感のある厚底クリアヒールのフューチャリスティック・カウボーイブーツ。

アメリカのカリフォルニア州ポータービルで育ち、フランスのパリに住み、イタリアで服を生産している彼。「国境が開かれていなければ、こうしたことはできない。」と話す彼は、アメリカとメキシコの国境の壁に言及し、その壁が彼や両親の間の壁になることを懸念している。

ガーゴイル使いである彼のゴシック要素と、自身のルーツとなる母親の故郷であるメキシコの探求。
ショーの映像を見ると分かりますが、シャボン玉の演出が良いですね。彼の無骨さの中にある詩的な響きを見事に表現しています。Rick Owensというブランドの魅力は、一見すると大味に見える何かの裏にあるインテリジェンスや繊細さにあるのですから。

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Dries Van Noten 20SS Collection

Opera Bastilleにて披露されたDries Van Noten 2020年春夏コレクションは、Dries Van NotenとChristian Lacroixのコラボレーションによるもの。ラクロワは2009年に自身のブランドを手放して以来となるため、10年振りのランウェイとなりましたね。

ドレスアップ、オートクチュール、美しさ、大胆さ、喜びへの愛。Dries Van Notenは自身のシグネチャーであるプラグマティズムの一部を失うことで、代わりに80年代から90年代のクチュールの精神、Christian Lacroixの美しさと装飾性を受け入れることを選択する。

光沢のあるロココやバロックの過剰なジャガードに、リボンは実体とプリントでLookの上を走り、過度に用いられるポルカドットにゼブラやジャガーのパターン。カラーパレットはモノトーンをベースとしつつ、燃えるようなゴールド、オレンジ、レッドにピンク。
過剰さはフォルムにもボリュームを与える。膨らんだパフスリーブ、階層化されたスカートにドレス、ラッフルはLookに複雑さを与え、タフタドレスはフロアに長いトレインを有する。足元を飾るのは、ウェアの感化を受けた厚底シューズに三連リボンのハイヒール。そして、プラグマティズムの残余としてのシンプルなホワイトジーンズ、コットンタンクトップにスウェットシャツ、スポーティーなフーディードレスにダブルブレストジャケット。

Vanessa Friedmanが書くように、現代におけるコラボレーションはビジネスのためのコラボレーションが大半を占める状況にある。ハイファッション・デザイナーとマスマーケットブランド、ミュージシャンがスニーカーを履いたり、セレブリティがデザイナーと仕事をしたり、自身のカプセルコレクションを求めたり、と。ビジネスとマーケティングのために、自身のファンや名声を換金する行為が目立つ。

今回のDries Van NotenとChristian Lacroixように、異なる才能と才能がぶつかり、その火花が一瞬の花火のように純粋な形でクリエイションに結びつく例は稀であるが、本来であればコラボレーションとはこういったものであって、安易に乱発される馴れ合いコラボレーションとは本来的な意味でのコラボレーションではもはやないと言えるでしょう。

「"オマージュ"とは、多くの場合、他人のアイデアを盗むための言葉です。」とヴァンノッテンは話す。彼が今回のコレクションのテーマについて思案している中でクチュールへと辿り着き、ラクロワに電話をし、コラボレーションを実現させたことは彼の創り手としての懐の深さに起因する。一般的なデザイナーであれば、インスピレーションソースを隠蔽した上で、さも自分一人でつくった作品であるかのように提示するか、オマージュといった言葉でお茶を濁すのが普通なのだから。

オフィシャルサイトには、二人のインタヴューがアップされていますね。Dries Van NotenとChristian Lacroixによるオートクチュール・ルネッサンス。
思わぬサプライズは、ファッションにはまだまだ可能性があるということを私たちに教えてくれていますね。

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Christian Dior 20SS Collection

Christian Diorが愛したガーデニングをインスピレーションソースに、パリに拠点を置く環境デザイン集団"Coloco"とのコラボレーションにより、164本の樹木をランウェイにセットして行われたMaria Grazia ChiuriによるChristian Dior 2020年春夏コレクション。今回使われた樹木は、再植林プロジェクトに使われるとのこと。

土、麦、藁、植物に太陽。田舎娘とシティガール、素朴さとエレガンスの並置。三つ編みヘアにStephen Jonesによる麦わら帽。スカートの長短による若さと大人っぽさの女性像の描き分け。ラフィアのドレスにBee刺繍コットンシャツ。ハウンドトゥースにロープベルト。Barジャケットにボリュームのあるスカートとエスパドリーユ。ポケット付きのワイドワークパンツに、絞り染めによるワイドデニムとジャンプスーツ。
イヴニングパートは、ボタニカルをあしらったいつものようにシースルーのソフトネスなロマンチックドレス。

描かれる女性像のミューズは、ムッシュ ディオールの妹であるCatherine Dior。彼女はフランスのレジスタンスのメンバーであり、第二次世界大戦中にナチスに捕らえられ、ドイツの強制収容所に収容される。そして、戦後、ガーデナーとして活動した経歴を持つ。

BoFによるとメンズラインを含んだChristian Dior Coutureの売り上げは、Maria Grazia Chiuriが着任した2016年は19億ユーロだったが、今年は32億ユーロに達すると予想されている。クリエイションとしては同じことの反復であり、新しい何かを提示する可能性が低い状況が続いているが、分かり易くウェアラブルでアクセスのし易いアイテムたちはビジネス的な成功を同社に齎している。

順調に数字として結果を出している間は彼女の契約は更新され、おそらく在任が続くでしょう。
個人的にはもっとラディカルな変化が見たいのですが、Valentino時代から現在までの流れを鑑みるとそれは叶わぬのかな…と思いますね。

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Gucci 20SS Collection

21の拘束衣LookからスタートしたAlessandro MicheleによるGucci 2020年春夏コレクション。
彼によれば、Michel Foucaultがコレクションのテーマの基底にあり(それは、彼の長年のパートナーで都市計画に関する教授のGiovanni Attiliと共に準備された。)、社会における「服従のメカニズム」に対してファッションが抗いや自由となることの表現だと言う。商品化されない拘束衣を用いたショーのためのパフォーマンスについて日本語でも報じられているが、モデルが抗議を行っている。

ファッションが自由のメタファーであるというネタは使い古されたものであり、単なるステートメントという抽象ではなく、ファッションとして具体と説得力を伴って表現される必要がある。本気でその問題にデザイナーとして取り組みたいと思うならば。

Karl Lagerfeldが常に退屈さに対して恐怖を感じていると公言したように、彼も退屈さには怯えていると話す。今回のコレクションはこれまでの流れから変化があり、デザインの過剰さはある程度抑えられ、コスチューム感は減退傾向にあり、その代わりセクシーさやエレガンスが彼なりに注入されている。彼自身も認めているように、これはTom FordがGucciに齎したものであり、そして、コレクションを総体として見ればMiuccia Pradaの影響下にある結果となっている。ただ、それらはTom Fordほどセクシーでも、Miuccia Pradaほどインテリジェンスで美的に転化したuglinessでもない。

彼の風変わりで、あからさまで、不協和で、アンリアルな方向性は、大人の女性を描くことも知的な女性を描くにも適していない。基本的にガジェットの組み合わせで構成されるそれらは、表層性が強過ぎて、幼稚で稚拙に見え、本質が見え辛く、欠けた印象を受けるということ。もしそれらを用いてそういったヴィジョンを描きたいのならば、かなりのトライ&エラーが必要となるでしょう。

元来、Alessandro Micheleは話題性優先なデザイナー(人によっては、ソーシャルメディア・マーケターと呼ぶかもしれません。)ですが、ここのところ炎上騒ぎが続いていますね。それは、服自体では話題を呼べなくなってきているということの証左なのかもしれません。おそらく、(ソーシャルメディアの)見せびらかしに最適化したアイテムにも変化が必要になってきているということなのかもしれませんね。

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Inside the Tim Walker: Wonderful Things exhibition

ロンドンのVictoria & Albert Museumで9/21から開始され、2020年3月8日まで行われる予定のTim Walkerの過去最大の展覧会となる"Wonderful Things"
展覧会の開始に合わせていくつかのメディアで記事が書かれていますが、V&AのYouTubeチャンネルに展示の様子Tim Walkerのインタヴュー、そして、Tim Walkerの長年のコラボレーターであるセットデザイナーのShona Heathらのインタヴューがアップされていますね。

ラグジュアリーブランドの服を着た作品を多く撮っている彼ですが、作品撮影におけるクライアントの要求や商業的な制約の影響を受けることを常に避けており、「彼らはうるさいです。私はファッションと商業によってモチベートされているわけではありません。」とNYTimes.comの記事の中で話しているのが彼らしい感じ。

そして、「Mario TestinoやBruce Weberのセクハラ問題を受けて、ヌードや同性愛がV&Aでタブーとされているのかどうかに関心がありました。」と話し、「しかし、それはV&Aに溢れていました。至る所に美しい男性像があります。アーティストがどれだけ長い期間に渡って美しさを表現してきたか、それがすべて過去に行われたことを見ると心強いものでした。」と語っています。

ファッション業界は多様性とポジティヴな社会変革へのコミットメントを強く求めてきたが、彼によるとまだ遅れている部分あるとのこと。また、昨今のソーシャルメディアがファッションに与える影響はあまり良くないと話しています。創造的な高い志を持つ人々のために、より民主的なプラットフォームの到来は肯定的ですが、「虚栄心と絶え間ない見せびらかし。」と呼ぶものを心配しているという。

「あいにく、私がソーシャルメディアで目にするものの80%は(作品として)単なる偽物です。」「フォトグラファーとして何年も活動してきた私は、イメージを見て1ミリ秒でそれが本物かどうかをあなたに話すことができます。そして、その偽物を見て、本物を知ることができない若い人たちがいることが私を不安にさせます。若い人たちは、それを絶対的な本物と受け取ります。特に自分が何者であり、何をつくりたいのか、強く激しいヴィジョンをまだ持たない人にとっては、メンタルヘルスにとって悪いものです。」

Fabien Baronも先日の記事の中でソーシャルメディアには否定的な意見を述べていましたね。この辺は世代の違いや既に成功している彼らの立ち位置に一因があると思っていますが、彼らの心配も理解できます。

Tim Walkerは展覧会の開始を機に、ファッション作品から1年間のサバティカルを取るとのこと。「長い間、私は妖精の国に恋をしていました。無意識のうちにそれがどんなに重い物なのか気が付かなくなっていました。」と話しています。あまり長い期間、一線を離れるのは創り手としてリスクがありますが、一時的に離れて、客観的に自分の過去を振り返り、休息を取るということも必要ですね。

展覧会とは別に、彼の新しい作品集"Shoot for the Moon"がもうすぐ出版されます。Amazon.co.jpでも予約することができますね。

最後に、"Making pictures isn't about trying too hard. It's all about a lightness."と写真を撮ることについて話していますが、彼の作品のイマジネーションとクリエイティヴィティを支えているものの一つがこういった考え方なのかなと。そうは言っても、彼は常人より何倍もハードワークしていると思いますけれどね。

Versace 20SS Collection

Palazzo Delle Scintilleに25フィートのゴールドのヤシの木と、ジャングルプリントを映したパノラマスクリーンをセットして行われた、Donatella VersaceによるVersace 2020年春夏コレクション。

胸元を開けたショルダーインパクトのブラック・テーラードコートドレスは、ゴールドのボタンとアクセサリーがシックさの中に不道徳さを持ち込む。ブルーのストライプシャツにエプロンドレス。曲線を描くパフショルダーのミニ丈レザーコート。グラデーショントレンチに90年代デニムの組み合わせ。滑らかなノースリーブ・ドレープドレス。大振りなレクタングル・サングラス。Gianni Versaceとサインされたフーディースウェット。ネオンカラーにトロピカルジャングル。ブランドのシグネチャーとなるメドゥーサ・イヤリングに、グレカパターンのブレスにチョーカー、セーフティーピンやスパナのディティール、そして、Virtusバッグの多くのバリエーション。

Gianni Versaceが遺した遺産。隣接するシックさと如何わしさ、楽天的な開放感とセクシャリティの快楽がない交ぜになった危険な女性像がVersaceの本質であり、魅力と言える。ドナテラはそんな兄のヘリテージをいつまでも忠実に運用し続ける。

ショーがフィナーレに差し掛かるとパノラマスクリーンにGoogleアシスタントが映し出され、"OK Google, show me images of the Versace Jungle dress."とドナテラが声を掛けると、

2000年の第42回グラミー賞のレッドカーペットでVersaceのジャングルドレスを着たJennifer Lopezの画像が画面を埋め尽くす。
そして、更に"OK Google, now show me the real jungle dress."とドナテラが声を掛けると、

実際にジャングルドレスを着用したJ.Loがショーのクローザーとして登場。

ドナテラは今回のショーの前に「私たちは皆テクノロジーに従います。それは今日の私たちの生活の中心にありますが、20年前はそうではありませんでした。私たちがGoogleイメージサーチに影響を与えたことを誇りに思います。」と話している。

これは元GoogleのCEO兼エグゼクティヴ・チェアマンのEric Schmidtが2015年に「(検索において)人々は単なるテキスト以上のものを求めていました。これは2000年のグラミー賞の後、Jennifer Lopezが緑色のドレスを着用し、世界中の注目を集めたことで明らかになりました。当時、私たちが見た中で最も人気のある検索クエリがそれでした。しかし、ユーザーが望んでいた"JLo wearing that dress."を正確に取得する確実な方法がありませんでした。そして、(2001年に)Googleイメージサーチが誕生しました。」と説明したことに由来する。

Googleイメージサーチ誕生の逸話に引っ掛けたショーの演出は面白いアイデアであり、VersaceとJ.Loにしかできないこと。
テクノロジーはファッションの多くのことを変え、これからも変えていくことが予想されますが、Versaceのように逆にファッションがテクノロジーを変えていくということもあるのでしょうね。

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Prada 20SS Collection

カラフルなタイルを敷き詰めたFondazione Pradaにて行われた、Miuccia PradaによるPrada 2020年春夏コレクション。
「服よりも個人の方が重要であるべきです。」「すべきことは少なくなります。流行、服、何もかもが多過ぎます。」と今日の消費主義、生産とその社会的責任が今回のコレクションの主題にあることを話したミウッチャ。消費社会の責任の一端を感じているか?という問いに対して、彼女は「もちろん。」と答える。

サブトラクションによってドライヴされたコレクションは、グレーリブのトップスにミモレ丈のホワイト・スカートとローファーという装飾性を削ぎ落とし、ミウッチャお気に入りのLookとなったFreja Beha Erichsenからスタート。
大振りのボタンがアクセントとなるワイドラペルのジャケットやコート。モスリンを用いた素朴なギャザー付きのノースリーブ・ワンピース。7分袖のホワイトカラー・セットアップスカートに、ブラック・ベルベットのプリンセスコート。植物モチーフのスパンコールやジオメトリックなグラフィカルパターン、貝殻モチーフのネックレスやイヤリングがシンプルなコレクションの中で主張を行う。

テーマに沿ったGuido Palauによる7対3でサイドに流したツヤのあるヘアスタイル。多くのLookに登場したブリムを上げたクローシュハットは、より女性性を描かれる女性像に運ぶ。

無駄を排したプレーンでファンダメンタルなコレクション。ウェアラブルで、長く共に暮らせるアイテムたち。
ファンタジーではなく、リアルに振った今シーズンは、カスタマーフレンドリーで多くの顧客が手に取れそうではありますが、個人的にはミウッチャの毒がもっとあっても良かったのではないかなと思いますね。

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Burberry 20SS Collection

3シーズン目を迎えたRiccardo TisciによるBurberry 2020年春夏コレクション。
キッチュな混乱が続いていた過去2シーズンに比べれば、テーラリングにフォーカスした今回のコレクションは改善が見られたでしょうか。

継続となるベージュを基調としたカラーパレットに、インサイドアウト・テーラリング。グレー・ジャージーの滑らかな質感に、タッセルフリンジ付きのアニマルモチーフのシルクスカーフ・ドレッシング。カジュアルとフォーマルの間に橋を架けるロングカフスのストライプ・シャツワンピース。コート・ジャケット・ドレスにモーフィングしたトレンチウェア。ギンガム、ボーダー、ゼブラのパターンに、ロゴバッグ。膝上で曲線を描くヘムラインスカート。Thomas Burberryが会社を興したヴィクトリア朝時代の影響を受けるジゴスリーブ・ドレープに、コルセットやレースのドレスを加えて。

ランウェイをAgyness Deynが久しぶりに歩いていたのは目を惹きましたね。彼女は、House of Hollandというか、UKのイメージが惹起されます。

Riccardo Tisciのシグネチャーとなるものは宗教性とゴシックをベースにしたテーラリングやドレス、そして、マッチョなストリートウェアやギャングカルチャーですが、それらとBurberryの持つノーブルなブリティッシュエレガンス、ブリティッシュロックやストリートウェアといったカルチャーが不和を起こしているというのがこれまでの流れと言えるでしょう。これらのことは、彼がBurberryのデザイナーになると知ったときに最初に思い浮かんだことであります。彼は、時に死の影を感じさせるシリアスなデザインが得意であり、英国的なウィットに富んだテイストやオプティミスティックで(分かり易い)艶のある方向性のデザインは相対的に不得手なのですから。

ブランドをオーバーホールし、全てを自分色に染められるならまだしも、英国を代表する歴史あるグローバルブランドのコンテキストに沿わせつつ自身の不得手な領域でクリエイションを行うという決断はチャレンジングではありますが、少なくとも現時点においてステートメントを発することも新しいヴィジョンを示すことにも成功しているとは言い難いでしょう。
ロンドンに住み、ロンドンで暮らすことでブリティッシュ・スタイルを理解しつつある、と彼は話していますが、キーとなるのはそれがいつどのように結実するのか。

Burberryのデザイナーが負う使命は、ブリティッシュネス(英国性)の再定義にあります。
Brexitの期日が迫る先行き不安なこの時代に、進むべき道を光で照らすこと。新しいものが生まれる前に混乱が訪れることはありますが…さて。

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Fabien Baron: Works 1983-2019

BoFでTim Blanksが書いていますが、60歳を迎えたFabien Baronの過去36年間の集大成となる作品集"Works 1983-2019"が10月に出版されますね。自分は少し前に予約済ですが、Amazon.co.jpでも予約できます。

ブランドのADキャンペーンからロゴデザイン、書籍や雑誌のエディトリアルといった彼のアート・ディレクターとしての集大成となる作品集でありますが、Tim Blanksの記事の中でこれで終わりなのではなく、新しいドアを開くようなもの、と話していますね。作品集には年表が無いとのことで、各作品がシームレスに繋がっており、「私がしていた全てのことは相互に関連していたのです。それは一つの考え方でした。私のこれまでの経緯の要約よりも、そのパースペクティヴで(作品集を)つくりたかったのです。」と説明しています。

他に、ティーンだったKate Mossを含むSteven Meiselによる1994年のCalvin Klein CK OneのADキャンペーン、1992年の同じくSteven MeiselによるMadonnaの書籍"SEX"、パリの有名なクリエイティヴ・ディレクターであった父親との確執、Vogue ItaliaのFranca Sozzaniとの関係性、Interview Magazineでの仕事と解雇などについて話されていますね。
Patrick DemarchelierによるLinda EvangelistaとGlenn O'Brienによる"Enter the Era of Elegance."というコピーを特長とした1992年9月号のHarper's Bazaarのデザイン。Liz Tilberisに雇われた彼によると「Vogue Italiaはファッションマガジンのためのグラフィック表現の新しい形式だったが、Harper's Bazaarは背後により本質を伴ったものでした。」と話しています。

"It's a representation of who I am as a person, not just someone people know through magazines,"と説明してるように、彼の人生の作品集になっているようなのでマストバイといったところでしょうか。

Once Upon a Time in Fashion

コレクションブランドにおけるランウェイショーのライヴストリーミングはゼロ年代後半から始まり、ちょうど10年程度の時間が経過している。
ハイファッションのデジタル化は、業界人のためだけだったランウェイショーをAppleがiPhoneを発表するかのようにカスタマーへのプレゼンテーションにスライドさせ、そこからECサイトに接続することで"See now, Buy now"のライヴコマースとして結実する。

そしてその流れは、更にチケット販売形式のパブリックショーへと進行する。ショーピースは、さながらアーティストのライヴグッズのようであり、ショー自体もライヴオークションやTVショッピングの実演販売のような様相を呈す可能性を帯びる。エクスクルーシヴなランウェイショーの神秘性は失われ、コマーシャライズによって換金されていく危険性を孕む。

ゼロ年代はハイブランドのデザイナーがファストファッションとコラボレーションを行った時代でもあり、デジタライゼーションと同時にハイファッションにデモクラタイゼーションを促す。オフィシャルサイトや影響力を持つデジタルメディア、ファッションブロガーや黎明期であったSNSを通じて情報が流通する。よりハイファッションが身近になり、著名デザイナーとファストファッションとのコラボレーションアイテムは、その世界に接することができたかのような幻想を多くの消費者に与え、未来の顧客を胚胎する。

ブランドの成長を託された才能あるデザイナーによってデザインはストリートカルチャーをインスピレーションソースとして取り込むことで、よりカジュアルでリアリティのあるウェアラブルな方向へと傾斜していく。ストリートというフロンティアをエンジンに、クリエイションとビジネスが回り始める。デフィレでは目を惹きつつも日常使いできるような、そんな矛盾したアイテムを顧客は求め、経営陣も話題性を集め、定番となるようなアイテムでビジネスとしての結果を求める。
遠い世界にしか存在しなかったハイファッションが少し手を伸ばせば手が届く地続きの場所にあり、彼/彼女らの日常に非日常として光を射す。

20世紀半ばを起点とするオートクチュールからプレタポルテへという転換。厳格な規範からの自由と解放を求めた既存のコードの書き換えと改変。記号と意味の操作による新しい概念の創出と時代の創造。限られた顧客のためだけでなく、より多くの開かれた顧客のために、大義の名の下のビジネスの正当化と拡大。フォーマルからカジュアルへ、秩序から無秩序へ、大局的な軟化の流れに沿うデモクラタイゼーションは、そのビジネスの帰結として、いつしかポピュリズムへと変質しつつある。ここ数年の緊張から弛緩へのシルエットの変化は、この流れに沿う。

一方、デジタライゼーションが齎したもう一つのものとして身体性の縮減がある。デジタル化によるコミュニケーションの間接化と非同期化。テクノロジーの進歩による人間の活動自体が効率化・省力化されていく流れは身体性の縮減を促す。身体性の喪失は、身体に纏う服の重要性を必然的に縮減させる。ファッションがローカルなアバターであり、スキンであった時代から、オンラインでのSNSがそれらを代替する。オフラインとオンラインではリーチする数もリアクションを得る速度も全く異なるため、即物的なオンラインが必然的に選択される。

そういった身体性の縮減に対するバックラッシュとしてヨガや筋トレ、ダイエット、または、タトゥーのように身体性を伴ったものが散発的に社会に発露される。アスレジャーのようなものも同様の文脈で捉えると理解がし易い。いずれも身体性の再発見がキーワードとなる。

ライヴストリーミングから始まり、デジタライズとデモクラタイズに引き付けて簡単に概括すれば以上のようになるだろうか。もちろん、ある主観的な断面に過ぎないが。権威や神秘性を保ちつつ、クリエイションはデジタライゼーションやデモクラタイゼーションと上手く付き合い、持続可能なビジネスを回していくということが基本になると言えるでしょうか。

Ann Demeulemeester's first foray into homeware "returns to the essence of things"

Seraxとアンのコラボレーションについて、Wallpaper.comにも記事が出ていますね。
羽飾りと明暗コントラストに差し色として朱色が入っているのが彼女のポエティックなコレクションを思い出させます。

土、水、火といった古典的な要素に目を向け、人類最古のクリエイション形態の1つで実験をしているアン。
粘土彫刻の立体性は彼女の創造的な欲求のナチュラルな継続であり、磁器とガラスを創造的な言語として使うことを夢見ていたとのこと。

Le CorbusierによるMaison Guietteには彼女の息子であるVictorが今は住んでいるようですね。

Cultural Appropriation

Johnny DeppをフィーチャーしたDiorのメンズフレグランス"Sauvage"において、ネイティヴ・アメリカンのダンサーを起用した最新キャンペーンが「文化の盗用」として非難を浴びているようですね。結果、金曜にSNSに投稿したキャンペーンの投稿を数時間で削除することになったとのこと。

BoFで書かれているように、Diorは2018年11月に展開した2019年クルーズコレクションのキャンペーンにおいても、メキシコをテーマとしたコレクションにも関わらず、非メキシコ人のJennifer Lawrenceをフィーチャーしたことで非難を浴び、また、今年4月にモロッコのマラケシュで行われた2020年クルーズコレクションでは、アフリカの植民地支配の歴史からコレクションが文化の収奪として非難を浴びています。

2020年クルーズコレクションに関しては、Vanessa Friedmanが指摘するようにMaria Grazia Chiuriは文化の盗用のリスクを事前に理解しており、そのエクスキューズとして、ファブリックとしてアフリカンワックスを用いるためにUniwaxと、他にもイギリス人の母とジャマイカ人の父を持つイギリス人デザイナーのGrace Wales Bonner、アフリカ系アメリカ人であるアーティストのMickalene Thomas、そして、アフリカ人デザイナーのPathe Ouedraogoとコラボレーションを行い、Dior側の一方的な解釈にならないように配慮をしています。ただし、アフリカンワックスの歴史にもいろいろと問題が内包されていますが。

そもそもChanelやDiorがクルーズやプレフォールにおいて、世界各国の都市と文化に共鳴したコレクションを発表するのは近年の状況を考慮するとかなりハイリスクと言えるでしょうか。"Cultural Appropriation"をGoogle Trendsで調べてみると分かりますが、このキーワードは2013年頃から徐々に検索ボリュームが増加し始め、年々人々の関心を集めていることが分かります。ちなみに、tFSには2011年に立ったスレッドがあったりしますね。
こういった現状を踏まえると、世界中を飛び回ってコレクションを開催する行為は文化を収奪するために世界中を飛び回っていると受け止められてしまうリスクがあるでしょう。クリエイションは時代と共に変化することが求められますが、こういった部分も再考すべき時期に来ているのかもしれません。

話を戻して今回の"Sauvage"の件ですが、ネイティヴ・アメリカンというのはそもそも可燃性が高く、Victoria's SecretのショーやChanelも2013年12月にアメリカのダラスで行われた2014年メティエダールコレクションにおいてネイティヴ・アメリカンのヘッドドレスを用いて物議を醸し、謝罪しています。
"Sauvage"のキャンペーンに際し、ネイティヴ・アメリカンの権利の保護と促進を目的としたAmericans For Indian Opportunityと協力したというエクスキューズがあったようですが、結局は受け手側にその論理は通用しなかったようです。

Vanessa Friedmanが昨年末に書いているように、ファッション業界のスピードは年々早くなっており、新しいものを今すぐマーケットに投入しなければならないプレッシャーやコレクションをハイペースで回していく必要があるため、こういった問題に対するチェック機能がファッションハウス内に存在したとしても機能し辛い傾向があるでしょう。

文化の盗用での炎上を機に、H&MはCDO(Chief Diversity Officer)を新しく雇ったようですが、それは単なる対症療法という意見には同意ですね。解決策についてはいろいろと議論がされていたりしますが、現時点では着地点が見えず、そう簡単に解決される問題ではないことが分かります。
Vanessa Friedmanが言うように、それはビジネス、企業、クリエイティヴのあらゆるレベルで対応が必要な問題であり、誰か個人の仕事なのではなく、全員の仕事の一部という意識が必要であることに疑いはありませんね。