This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

GOOD DAY & PEACE

先週だったか、J-WAVE GOOD MORNING TOKYOでジョン・カビラが旅に出ると言って休業宣言をしていた。突然だったので思わずボリュームを上げてしまった。そういえば、ずいぶん昔から朝、81.3を聴くと彼の声がしているなぁと。検索してみると16年ぐらい朝のラジオをしているらしい。そりゃ自分も歳を取る訳だ。。
今日はクレしんのオトナ帝国の逆襲。これは以前見た。制作者が言いたいことはよくわかるし、そういう部分は面白いと思った。クレしんでやらなくてもいい話と言えばそうかもしれないが、クレしんというカンバスの上に描いたのが良かったのかも。戦国大合戦もそんな感じだった。

ラジオとアニメの話だけど、共通するのはどちらも未来に向けて何かをしようという話。というか、そう自分は解釈した。

TOYOTA Philosophy

Humanity
ここがプロデューサーの方のブログ。
Ne-o, Glassworks, STINK. とても豪華。日本人だけでは撮れないのかな。

そういえば、INfrontでMOTION RESPONSEが始まっていた。Mink Engineって人のDVDに収録?されるみたい。三週間で24秒のHD映像をつくるのは大変そうだ
気になるのはどのぐらい集まるのか。映像制作もコモディティ化するのかな。

life

眠い目を擦りながら起きだし、シャワーを浴びて散歩に出掛けた。秋を感じさせる空気が体温を少しずつ冷ましていった。自動販売機と街灯の明かりが誰かを待ちつつ、ぼんやりと地面を照らしていた。空を見上げると少しだけ星が見えた。コンビニの前には若者が二人、停まったバイクに跨って会話をしていた。店内にはバックを抱えたスーツ姿の中年の男性が一人。いつもの店員が深夜にも関わらず世話しなく働いていた。並べられた商品もまた、誰かを待ちつつぼんやりとこちらを見ていた。レジで紙幣一枚を差出し、それと引き換えにいくつかの食料と硬貨一枚を手にした。日々の労働が貨幣へと変わり、そしてそれが食料へと交換される。小さい頃、一度使った貨幣がもう一度自分の手元に戻ってくることはあるのだろうかと疑問に思ったのを思い出した。
家に着くとさっそく貨幣と交換した食料で胃袋を満たした。食べると言う行為は暖炉に薪をくべるようなものだと思った。普段、意識することは少ないが生きるというサイクルがそこにはある。そんなことをPCの動作音だけが聞こえる部屋で考えた。
食欲を満たした後、コーヒーを飲みながらヘッドフォンでSteve Reichのサイトで落としたMP3をぼんやりと聴いた。窓から部屋に入ってくる秋の空気と静かな世界での音楽がある種の欲求を満たした。そして、なんとなくこの数時間の出来事を書き記そうと思い、このエントリーを書いた。

Game Music Mix

久しぶりに素晴らしいゲーム音楽MIXに出会ったので、そう言えば…と思い、2chあたり見てみたら懐かしいファイルが再度上がっていた。
Link
もう三年ですか。良い曲だなって思って今でもよく聴いてる。そういえば、何年か前、FFの公式サイトでクリスマスアレンジの曲が落とせて、あれもよく聴いている。
音楽っていいなぁと改めて思うのであった。

ファミコンカバー

ファミコンギター
ファンタジーゾーンと迷宮組曲がオススメ。ギターでカバーしているサイトや動画はよくあるけど、ここはとても巧い。上のサイトからリンクされているところも巧いんだけど、ここにある迷宮組曲の井戸の中はちょっと驚いた。あとは、ここのスカイキッドのハーモニカがすごい。ディグダグはすごいポップだ。こちらの迷宮組曲は南国ですね。投稿サウンドの悠久の風もいいなぁ。というか、どれもこれもすごい。ゲーム音楽じゃなくなってる。

serious

Se7en
湿った空気が纏わりつく感じで思い出した。
マスマーケットでこういったものが制作されたのがすごい。最近はあまりヤバイ雰囲気をもった作品は無いような気がする。気が付けば10年以上前の作品なのか。そういえば、日本で本気でシリアスなサスペンスを撮る人はいないかな。そういったマーケットがないのか。本広克行や堤幸彦がもっとシリアス方面に針を振ってくれるといいのかな。でも、役者がいないか。黒沢清はホラーだし。飯田譲治かな。アナザヘヴンは良かったかも。でも、この人は小説が巧いような気がする。小説と言えば、貴志祐介は新作書かないのだろうか。個人的に大塚英志が脚本書いた映画が見たいと思ってたりする。実写ではなくて、アニメもそういった雰囲気を持ったものは最近はない。ビジネスにならないからだろうけど。
アメリカでやっているCSIシリーズは何話か見た。CSI:NYだけど。TVドラマでもすごいお金をかけていて、クオリティがとても高かった。

Eminence Symphony

Final Fantasy VII One Winged Angel
はてブ経由で知った。
Eminence Symphonyは、オーストラリアで活動している楽団のようですね。活動の様子をYouTubeにアップして公開しているのが面白い(MEDIAから見れる)。そういえば、FFの公式ライブ行きたかったの思い出した。

世界の終わりの空気の香り

どこまでいっても世界ってのは、各人の人生の範囲を出るもんじゃないような気がする。政治とは各人が信じる正義…と同じようなもので。世界の危機と主人公の個人的な問題が並置されているのがセカイ系だったか。将来のことを考えるととても暗くなる。御多分に洩れず下流をクロスオーバーで生きている。でも、本当に危機的状況になればblogを書いている時間も、ポエマってる余裕も無いんだろう。これまで僕等は終末観を漂わせながらなんとなく進んできた。これからもきっとそうなんだろう。
かみのしっぽはどこにある。あまかけるふねのわすれもの。
正解の無い世界で、何を指標に生きるかが問題だ。目標を持たないのが日本人だったか。努力とは何か。長時間働くことか。苦役に耐えることか。photoshopの画面を見るより、何かほかの事にリソースを回した方が得策か。生きがいとは何か。
答えは出るはずも無い。

silence

ヘッドフォンを外し、スピーカーに音楽を切り替える。
一息つきながらコーヒーを注ぎ、photoshopの画面を眺める。
思ったように作業は進まず、何ともいえない気分になる。
完全な自己満足だが、とても充実した時間を過ごしている。
何度繰り返したかわからないけど、この時間がずっと続けば良いのに、夜が明けなければいいのにっていつも思う。
午前5時を過ぎると何かの魔法が効れる。
そんな贅沢な時間。

/05

ある朝、いつものように眠い目を擦りながら起き、とあるFM番組を聴いていた。カーテンの間から漏れる朝の自然光が部屋の壁を伝い、その強度が少しずつ増すことで朝の時間の流れを僕に教える。TVの無い生活を始めてからどれぐらい経つだろうか。無いなら無いで特に生活に支障は無い。ラジオやネットで天気などの日々必要な情報は得られる。その他にも、地面の無い世界で生活している今の自分にはあまり天気予報の重要性は高くないというのもある。一番気になるのは時間だろうか。これも人工物ではない所から時間の流れを把握する術を少しずつではあるが身に付けるようになった。やがて日は暮れ、僕の髪は伸びる。豊かさと時計の針を見る時間は反比例するのだろうとぼんやりと考えた。それでも忙しい日々は変わらなく続く。その先には何も待っていない。そんなことを思いながら。
最初聴いたときは誰の曲かわからなかった。その後、それが彼の曲だとわかった時には納得がいった。誰がつくったかは重要ではなく、良いと自分が感じたモノから制作者を辿っていくといういつものプロセス。このプロセスは大事にしたい。そしてその感覚。
Thousand Knives.
有名過ぎるほど有名なのかもしれないが、そういったものにとても無頓着な自分は今頃知った。いつも周回遅れ。普通の人が目をつぶってできることが自分にはできない。少しいつもズレている。でもまぁいい。周りがどうとか、メディアがどうとかそういうのはいらない。
このアルバムはすべてピアノで演奏されている。1978年に発売された1st solo Albumの中の原曲がどうなのかわからないが、このアルバムのヴァージョンはピアノの音が良いと感じた。もう一つの音は、クラッピングというらしい。中間のRMIの音は昔の映画っぽい感じがした。クラッピングについて調べてみると、Steve Reichという人物がいることも知った。ミニマル・ミュージック。これはとても好きだ。同じ旋律が繰り返される。繰り返されるからこそ微小な差異がわかるようになる。差異と反復の関係。
Tibetan Dance.
この曲もとても聴きやすい。ピアノはやはりシンプルが良い。そしてとても優しい。二曲とも細かい音が多く密度が高いような気がする。線が細くテクニカルな感じか。以前書いた、Keith Jarrettもそういう部分がある。
いい創作物はどこかで感じた感覚を再生させるのが良い。自分が知らない素晴らしいものはまだまだたくさんあると思うが、それらが最終的に到達する自分の感情はほぼ同じような気もする。メディアやプロセスが違うというか、器が違うだけなんだろう。たぶん。きっと。

STEVEN KLEIN

MADONNA X-STaTIC PRO=CeSS
六本木ヒルズでもやるみたいですね。
technoratiで"X-STaTIC PRO=CeSS"で検索したらロシアのblogがヒットして、写真がいくつか見れました。便利な世の中。

民俗音楽

一つ前のエントリーがロシアというかウクライナっぽい音楽だったでの、アイルランドというかケルトっぽい音楽を探してみた(違いがよくわかっていない)。
Flook
Lunasa
BEOLACH
無性にRPGがやりたくなる。昔みたいに夢中になって。
その地方に古くからある音楽は、国境を超えて不特定多数の人に響く気がする。その音楽で使われている文法が時間の洗礼を浴びて普遍性を獲得しているのかな。つまり、古典…なのか。こういった曲は同じような曲調で連続して聴くとどうしても飽きてしまうけど、TBSの世界遺産などで映像と共に流れているとスパイスとしてすごい効く。時間がゆったりと流れている。そんな世界が好きだ。

BASEMENT JAXX

TAKE ME BACK TO YOUR HOUSE - BASEMENT JAXX
ポップで聴きやすい。
映像もCGをあまり使っていないっぽくて、シンプルで良い。スカートを持って女性が踊るシーンがいいですね。一人の女性を周りの複数の男性が盛り立てるという構図はよく使われる。そういえば、この表現方法は誰が始めたんだろうか。生物の求愛行動に端を発するんだろうけど。

a guardian deity of children

flickr - designgraphik
surfstation.luからdesigngraphikのflickrにリンクがされていて、何となく見て見つけた。注目すべきはそのコメント欄にある。

I love the guy with the green t-shirt.
そう来るとは思わなかったな。かなり笑ってしまったぞ。

音楽と映像

Brand New School
Summer Montage 2006.
音楽は前と同じだけど、BGMはかなり大事。MillのshowreelのThe Darknessもそうだと思った。

GNARLS BARKLEY "CRAZY" - BL:ND
表現方法としてシンメトリーは個人的に好きじゃないけど、これは音楽とのシンクロ率が高いので良いと思った。

trend

Artillery
エントリーと関係ないけど、メモリンク。
ネット全般がそうなのか、自分が見ていた小さな世界がそうなのかわからないが、コラージュからだんだんとベクターになってきて最終的にはフラットになるのが定石なんだと思う。久しぶりにdesigngraphikを見て改めて思った…のは自分の興味の問題のような気もする。そういえば、studio maxなどを使って図形使うのも昔あった。これは脱線。
世界中の人が同じようなものを見て、読んで、聴いて、食べて、何かをつくる。
一昔前、showstudioの掲示板か何処かで、ミシェル・フーコーがどうのこうのってのを見かけて、だいたいこういうものに興味を持つ人間が興味を持つ分野や対象は皆同じなんだなぁと思ったのを覚えている。amazon.co.jpのリコメンデーションは、ある分野にカテゴライズされたテンプレ人間に対して大きな効力を発揮しているんだなと。
制作に関しては、ある程度経験が蓄積すると自己模倣を繰り返して、ある一方向に研ぎ澄ませていくのがセオリーか。それでマンネリで壁にぶつかると。新しいイノベーションが必要になって、若い人たち?のアナログ回帰に繋がるのかな。よくわからないけど。
まとまらない文章だ。

too late

失ってから気付いたり。

当事者になってから気付いたり。

そうならずに生きていくには、ほんの少し想像力が必要なんだ。

Dwelling of Duels

ゲーム音楽アレンジコンペDOD 8月分 結果発表とDODを知らない方へのまとめ
はてブ経由で知った。
ゲーム音楽ではDQやFFは有名すぎるので横に置いといて、その他で言うとすればやはりMotherかな。pollyannaやsnow man, eight melodies, magicant...挙げ出したらキリがない。鈴木慶一。他には、SFCの魍魎戦記MADARA2の音楽もオリエンタルで素晴らしい。矩形波倶楽部。クロノトリガーの風の憧憬、時の回廊、遥かなる時の彼方へも良い。光田康典。
良いゲーム音楽はよくネットでアレンジやリミックスされている。そういえば、動画はyoutubeやstage6といった感じであるけど、音楽は分散されている感じか。映像よりも音楽の方が著作権的に黒の確率が高いからだろうか。一昔前のNOVAうさぎRemixはクオリティが高い曲があった。思い出したけど、FFのRemixも国内のどこかでやってた気がする。

DODの中では、
Select Start Final Fantasy 3: Eternal Wind
これが良いと思った。

intelとキリスト教

"Merom"ことCore 2 Duoのモバイル版が発売
コメント欄で、

恐らく、Intel はキリスト教で縁起が悪いから 下2桁が 66 の数字で 666 だけは 667 にするんですよね。 かつての Celeron も 266, 366, 466, 566, 667, 766MHz でしたし。
という指摘があって、面白いと思った。やはり西洋はキリスト教で覆われているんだなと。