Saint Laurent Men's campaign Collection II "The Saint Laurent boy is a girl" Saskia de Brauw by Hedi Slimane
via ysl.com
via ysl.com
画像は、antonioli.euから。
2013年春夏シーズンからスタートするKris Van Asscheによるテーラリングにフォーカスした新しいライン"Kris Van Assche+"。WWDでも以前報じられていたものですね。
ANTONIOLIでは既に各アイテムも見ることができるようになっていますが、ロングジャケットは個人的に好みな感じです。それにしてもクリスは本当にテーラリングが好きですね。Dior hommeでもシグネチャでもずいぶんテーラリングをつくっていると思うのですが、まだ足りないようです(笑)。
Garance DoreがNicolas GhesquiereとBalenciagaの例の件を題材にして良い問題提起をしていたのでご紹介。以前、Suzy Menkesも同じような問題を指摘していましたが、ソーシャルメディアの持つこのような問題はファッションに限ったことでは無いですね。自分も噂話系の話題については過去に何度もエントリーを書いたことがあるのでアレなのですが(最近は話題を選んであまり書かないようにしてますけれど)、ファッションのことが好きならばこそ静かに見守るというのも大事なことかなと思います。
あと、ファッションに関してはここ数年でデジタルによって本当にいろいろなものが変わりましたね。よく言われるように業界人だけのものだったランウェイショーはネットでライヴ配信されるようになることでロックコンサートのようになり、雑誌のエディターやブランドのデザイナーはハリウッドスターのような存在に近くなったかなと。もちろん、以前に比べて相対的にですが。インターネットによって業界と一般人との距離が近くなった分、一般化と民主化が進んで以前のような崇高さが薄まりつつあると言えるのかもしれません。こういう話はファッションに限ったことではなく、よく聞く話ではありますけれど、ね。
From left to right: Mario Testino, Sheila Metzner (lying down), Ellen von Unwerth, Steven Klein, Annie Leibovitz, Alex Chatelain, Herb Ritts (on the ground), Bruce Weber, Craig McDean (on wall), Arthur Elgort, Grace Coddington, David Bailey, Peter Lindbergh.
via nytimes.com
H&MとMaison Martin Margielaのコラボレーション(MMMの過去のアーカイブの再現)が15日に発売されましたが、BoFでのEugene Rabkinによるファストファッションとラグジュアリーブランド/デザイナーのコラボレーションに異を唱えるアーティクルがとても面白いですね。記事には50近いコメントも書かれていて議論も盛り上がっています。
内容は、ファストファッション・コラボレーションの意味から「ファッション」という言葉の腐敗、ラグジュアリーの矮小化など。コメント欄でも指摘されているようにエリート主義的な部分が確かにありますが、言いたいことは理解できる感じですね。同意できるかはまた別問題ですけれど。
--
今から8年前に行われたH&MとKarl Lagerfeldのコラボレーションを始め、TargetからTopshopまで弱まる傾向を見せないファストファッション・コラボレーション。これらの"cheap and chic"なコラボレーションは基本的に売上高ではなく、メディアインプレッションによってその成否は判断され、実際にコラボ企画が全体的な売上高に貢献することはほとんど無いという。その代わりその話題性によって何百万ドルの広告費に等しい「アーンドメディア」を生み出すことでストアへと人々に足を運ばせる。そして、コラボする側のデザイナーは大規模な露出によって潜在的な新しい顧客と100万ドルを時に超える莫大なフィーを得ることになる。
これらコラボレーション企画に内在される商業的な動機は、"the democratisation of fashion"という有害なフレーズによってしばしば隠蔽される。「ファッションの民主化」 - 誰がこの言葉をネガティブなものだと主張することができるだろうか?この言葉を考えた人は確実に21世紀のマーケティングの天才と言えるでしょう。今日の世界において、もはや「ファッション」も「民主化」も意味を持たないというのに。
かつて「ファッション」とはハイストリートに取り入られているセンス、デザイナーファッションを意味していました。つまり、そこには創り手の考えがあり、よく練れらたディティールと美的な感受性によって慎重に巧みにつくられたデザインを意味していました。しかし、「ファッション」の定義は変わりました。現在、多くのコンペティターによって(しばしば同じ工場で)つくられる服の唯一の大きな違いとはロゴにしかありません。
今日、「デザイン」という言葉は単に「クール」ということを意味するだけです。何かがデザインされているということは、「それってクールだね。」という浅はかな意味しかありません。同じことは「ファッション」にも言うことができます。
ファストファッションが適切な衣類を手頃な価格で提供するということは、確かに素晴らしいことです。しかし、残念ながらショッピングをレジャー活動に変化させた無責任な消費者行動の高まりによってその使命は歪めれられました。
TRAID(Textile Recycling for Aid and International Development)によると英国の消費者は1年間に215万トンの衣類を購入し、90万着以上の衣類(まだタグが付いた服まで)を捨てています。米国では更にひどく、約1000万トンが毎年捨てられています。今日の西洋社会の多くは消費者のニーズを満たすために使い捨ての服を暴食しています。
「ファッションの民主化」は「ファッションの粗悪化」であり、それはデザイナーのアイデアを大量消費のために薄めることを意味します。ファッションにおける本当のスタイルとは、個人の趣味やテイストの問題です。そして、そのテイストは個人の経験に由来します。音楽や芸術、読書のその人個人の好みのように服の趣味も時間とともに形成され、それは努力と知識を必要とします。それ故、ファストファッションにおいてスタイルを早く安く買うということは必然的にスタイルの使い捨てにつながります。ファストファッションで服を買うことは書籍の代わりにクリフスノート(要約本)を読むようなもので、適切なファッション経験を積むことを阻害するでしょう。
YouTubeで"H&M collaborations"というキーワードで検索をすると、"Comme des Garcons for H&M"のために眠たい目をしてH&Mに並んだ子供の映像を見ることができます。そのビデオの中で若い男性が"Comme des Garcons is a cool brand."ということを理由に、9時間前から並んでいるということを話します。皮肉にも、そのようなブランド崇拝はかつてのMaison Martin Margielaが明らかに嫌うものでした。
長い間、マルジェラはdesigner's designerであり、知的なクリエイターとデコンストラクションのパイオニアとしてメディアに向かって話すことを拒否していました。衣類のタグは彼の名前を所有せず、ピュアホワイトでした。そして彼の創る服は、その服の複雑さがしばしば巧妙に隠されていました。
イタリアのフィレンツェにあるファッションスクール"Polimoda"のディレクターを務めるLinda Loppaによれば、「表面上はマルジェラのコンセプトが簡単に複製されるように見えますが、実際のところ、MMMの衣類はシンプルではありません。パターンは、多くの技術(テーラリングの多くの知識とディティールへの配慮)を必要とします。」とのこと。
2002年にマルジェラはRenzo RossoのOTBグループに会社を売却しました。それから2009年12月に彼はブランドから離れました。そして今日、H&M x MMMがあります。2つの正反対であったものは出会いました。そこにパラドックスを見るのは、私一人だけではないと確信します。あなたがこのコラボレーションを購入する気があるならば、それはあなたが「ファッション」やマルジェラの遺産の一部を購入していると思わないでください。あなたが買っているものは来年までに廃棄するつもりの流れ作業によってつくられた安いコピー商品です。でも、それがファッションに対するあなたの考えになっているとするならば、私はあなたに考え直すことを勧めます。
Zaraなどを所有するスペインのInditex社に関するNYTimesの記事がとても面白かったので、いつものようにエディットして書いておきます(原文がかなり長いので結構な量になってしまいましたが・・)。今年、創業者兼CEOのAmancio Ortega GaonaはBloombergのBillionaires indexでWarren Buffettを抜いて世界第三位の資産家になったとのこと。
Inditex社は1年につき8億4000万着の衣類を生産して世界85カ国で約5,900のショップを持っており(つい最近では、ヨーロッパに約4,400のショップを持ち、スペイン単独で約2,000ある。)、Topshopを所有するイギリスのアルカディア・グループは約3,000、スウェーデンのH&Mは約2,500という順になっている。ファストファッションは基本的に最新のファッションを模倣して安価なバージョンのものをいち早く提供することが重要で、Inditex社の場合は週に2回の配送によってショップのアイテムが常にフレッシュな状態となっており、11日以内にすべてのストックが入れ替わるという。
Inditex社は派手なAD Campaignやハイブランド・デザイナーとのコラボレーションをするということをせず、Zaraのデザイナーは完全に匿名のままにされる。そのことをある人は、Zaraのデザイナーはデザイナーではなく、コピー機だから、と言ったりもする。
広告などに予算を使わない同社はマーケティングとして不動産に多額の投資を行う。PradaがGucciの隣に、GucciがPradaの隣にいたいように、ラグジュアリーブランドのリテール戦略はZaraのようなショップから距離を置こうとするが、Zaraの戦略は可能な限りラグジュアリーブランドのブティックに近い場所にショップを開くことにある。Inditex社は歴史ある建物や特別なビルにショップを開くことを好み、近年ではニューヨークの666 Fifth Avenueのロケーション(マンハッタンで一番高価だったビル)に3億2400万ドルを支払っている。
スペインが財政危機で苦しむ間、Inditex社は過去5年間で全体的な売上高を1年につき94億ユーロから138億ユーロに増大させ、利益を1年につき約20億ユーロにまで引き上げている。同社の広報責任者のJesus Echevarriaによれば、その成功の理由は常にカスタマーのリクエストが商品の生産を決定していることにあると言う。消費者の行動に適合させることができるビジネス・モデルは国家の財政危機を共有せずにいられる、と。
Inditex社のセールス・スタッフは売り場で消費者の反応をモニターし、消費者から各商品の好き嫌いのコメントを引き出すために訓練されている。ストア・マネージャーは毎日その情報を本部へと報告し、それがインハウス・デザイナーの巨大なチームへと渡される。そして、素早く新しい商品がデザインされ、工場へと送られて即座に生産が行われる。
ロンドンのTank MagazineのMasoud Golsorkhiによれば、Zaraはファッション業界の100年続いていた年2回のファッションサイクル(春夏と秋冬という年2回のコレクションサイクル)というものを解体したのだという。現在のラグジュアリーブランドは年2回ではなく、年に4から6回のコレクションを発表しているがこれはZaraなどのファストファッションの影響が強いとのこと。11日間でショップのアイテムが入れ替わるファストファッションのようにラグジュアリーブランドも年に複数回のコレクションを発表することでブティックのアイテムの入れ替わる速度を上げ、顧客にブティックに足を運んでもらう機会を増やし、その時にしか買えないという状況を意図的につくり出すことで衝動買いを促そうとしている、というのは確かにそう考えることもできるだろうか。
Zara本部のリージョナル・セールス・マネージャーは、世界各地から日々送られてくる商品発注からそれが世界的な流行の傾向であるかどうかを探る。例えば、「顧客が赤いトラウザーを求めている。」というリクエストがイスタンブールとニューヨーク及び、東京の各ショップからあったとすればそれは世界的なトレンドを意味するので、彼らはより赤いトラウザーを生産するのだと言う。ファッションに関して、国籍や住む地域が異なれば流行や好むテイストも異なるという意見は一見正しいように思えるが、現実はそうでは無くなりつつある。
ブラジリアン・ガールが鮮やかな色を好み、パリジャンがより黒を多く使うというような違いはあるが、一般化すればファッション・トレンドというものはグローバルなのだと言う。そして、ニューヨークの5番街と東京の銀座、SoHoと渋谷のように各国の各地域はトレンドを互いに共有しつつ、更に、ZaraとZara Kidsのように子供のためのトレンドは大人と同じことを意味するのだとか。
Inditex社は他のデザイナーのデザインをコピーしていることを否定している。Christian Louboutinがレッド・ソール訴訟において負けたように、彼らは著作権法の網をくぐるのに十分な程度デザインに変更を加えている。ラグジュアリーブランドにとって彼らはコピーキャットでしかないが、ラグジュアリーブランドも互いにコピーを行うことがあるので、結局は誰も独創的では無いという結論になり、この問題提起自体が無効化される。H&Mは最新のトレンドを模倣しつつも有名なファッション・デザイナーのオリジナルコレクションを提供するが、Inditex社はそれを行う必要が無いことを発見した。
コロンビア・ビジネス・スクール教授のNelson Fraimanによれば、Inditex社が行ったことはプロダクト・イノベーションではなく、プロセス・イノベーションなのだという。しかし、スペインのLa Corunaにある工場やヨーロッパに集中するロジスティックスは同社の拡大戦略に脅威をもたらす。
世界中で多くのショップをオープンさせる予定を持つ同社は、アメリカでは45のショップしかオープンさせる予定を持っていない。マドリードにあるI.E.S.E.ビジネススクールのJose Luis Nuenoが指摘するように、Laura Ashleyが閉店し、Benettonでさえも下落傾向にあるアメリカはヨーロピアン・リテーラーの墓場と言われている。人里離れた場所にショッピングセンターがあるアメリカはとても複雑で、ファッショニスタたちは東/西海岸に面して住み、その他の人たちはGapとWalmart、T.J.Maxxの服を着る。もし本気でアメリカをカバーしたいのであれば300のショップをオープンさせることが必要であり、すべてのエネルギーをそこに集中させなければならない。
更に、アメリカには服のサイジングの微妙な問題もある。Zaraはヨーロピアン・スタイルのためのヨーロピアン・ストアであり、アメリカ人のサイズにそのままではフィットしないという問題を抱える。そしてそれは、より大きいサイズの服を生産しなければならないことを意味し、そのまま生産の複雑化に直結する。
翻って、中国において同社は400以上のショップをオープンさせる計画を持つ。"Overdressed: The Shockingly High Cost of Cheap Fashion,"の著者のElizabeth Clineによれば、アメリカ人は1年につき200億着の衣類を買い、平均すると一人当たり64アイテムになるいう。中国人が同じ割合で服を買うとすれば、1年につき800億着以上の衣類が必要になることになる。
Tシャツの価格が200ユーロだろうと1ユーロだろうと1着のTシャツを生産するには700ガロンの水が必要であり、それは地球にとって同一の負荷が掛かる。過去、我々は1年につき3着のTシャツがあれば満足できたがファストファッションのある今日では30着を必要とする。時々、それらは洗濯をするよりも使い捨てた方が安いことがあるが、そういう状況は間違いでなければならない。地球の資源はファストファッションの持続可能性を担保しないため、London College of FashionのAlex McIntosh曰く、それはとても脆弱なビジネスモデルなのだと。
長期的に見れば、そういった状況において生産コストはより増大し、低価格をウリにしてきた企業たちはその追加コストを吸収するためのマージンを持っていないため、消費者に更に多くの服の消費を求める必要に迫られるという。現在のファストファッションという業態の好調振りがいつまで続くのか?という話は以前から言われていることだが、今後も引き続き気になるところと言えるだろうか。
画像は、Printempsのオフィシャルサイトとlainformacion.comから。
昨年はChanelによるものでしたが今年のPrintempsのノエル企画はChristian Diorとのコラボということで、昨日、Marion Cotillardによってカーテンが引かれたようですね。ウィンドウ・ディスプレイの気球に乗った74の人形はDiorのアトリエの職人たちによる手作りによるものとのこと。ポップアップストアもオープンし、クルーズコレクションやスノードーム等の限定ギフトアイテムが登場しているようです。
写真を見ていると日本で指をくわえて見てるだけではなく、実際にパリに行って見てみたくなりますね。そして、もうクリスマスや年末なんだな・・という気分にもなってきます。東京も気が付けばコートがいるような季節になってきていますものね。
via vogue.fr