This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

一勝九敗

一勝九敗  柳井 正

ユニクロのファーストリテイリングのお話。ビジネス的な部分と、デザイン(広告戦略と服)の部分に興味があって読んだ。経営に関してはワンマン的な部分があり、それを柳井氏自身も自覚しているようなことが書かれていた。
広告戦略に関する部分は、日本と海外の広告代理店やクリエイターとを比較して書かれていた。記述はあまり多くはないが、頷ける内容だった(John C Jay、タナカノリユキ)。ビジネスとクリエイティブ(って書くと誤解されそうだけど)の均衡点ってのはとても気になる部分だ。

photo site

fragile-x
1978/nkmr
Airさんトコが更新されていた。

何年か前に見た写真サイトを何となく思い出し、見に行ったりする。当然、リンクが切れていたり更新が停止していたりする。ぼんやりとそのサイトを見つけた頃のことを思い出す。更新が続いているサイトで写真を見ると、視点は変わっていないんだなと感じる。
ROCK AND ROLL CAFE.というサイトが昔あった。そこに自分の記憶が正しければ「SYOUDOU」という作品があった。確か物語はバスの中から始まる。鋭さとあどけなさが入り混じったような写真で、現実に存在する地続きの生活のなかの写真のはずなのに、どこかズレがあってフィルムのなかの世界のような感じがした。その感覚がとても好きだった。あれから多くの時間が流れた。視野が狭かった故に熱き思いを持てた青年が、現実という壁にぶつかるには十分な時間だ。そんなことをふと思い出した。部屋には、THE GARDEN OF EVERYTHING ?電気ロケットに君を連れて?が流れていた。

World is Flat

世界はインターネットやグローバル化により平らになりつつある。
プラダクトデザインのグラフィックデザイン化という話が、以前プロダクトデザイナーの秋田道夫氏のサイトであった(正確には、氏が違う文脈で書いた文章を他の人が誤読してそう解釈した)。確かに、あらゆるデザインは2D化している感じはする。情報を整理することがデザインのある一側面だと思うけど、テクノロジーの進化によるプロダクトの小型化が、デザインの2Dグラフィック化を推し進めていると感じる。プロダクトデザインに限らず、あらゆるデザインがそういった方向に進んでいるかな。それは、Macintosh、photoshop、Illustratorなども一因だと思うけど。ピクセルからベクターへってのもあるかな(映像とか)。ハリウッド映画のCGがプラスチック化しているのもこれに関連しているような気がする。よくわからないけど(言い訳)。
同様に音楽関してもこのデザインって感覚はよく感じる。ヴォーカルの声と音がリンクしているかどうかという部分。椎名林檎の初期はリンクしていたけど、途中からそうじゃなくなった。宇多田ヒカルもそうだ。逆に、アイドル?のポップスは、声を音で包み込むように制作されていると感じる。声自体もデジタルで変えてるだろうけど。聴くとデザインされてるなぁと。椎名と宇多田がそうなった原因は、bjorkの影響だろう。たぶん。
脱線するけど、mother3も融合する筈の無いモノが融合している、がテーマでしたね。やってないけど(お金と時間がない)。更に脱線すると、任天堂の広報戦略はApple化してきている。
それで、表題のWorld is Flatに戻ると、世界がデザインされつつあるってこと。均質化と言うとネガティブな感じで、日本の地方は大型ショッピングモールが立ち並び同じようになっている。世界の大都市も同じようにビルが立ち並び…みたいな均質化。プロダクトデザインもグラフィックやイラストの作品もフォトグラファーの写真も、ベクターな映像もそういった方向か。そうなっていくと個人の力が試される時代に成りつつあるってことらしい。

フラット化する世界
時間があれば読みたい。

APMT2

APMT2

WWFTが気になる。
こういったイベントに行ったことがないのであれなのですが、小洒落た感じのイベントなのでしょうか。それとも、ストイックな感じの全員マジレス体制なのでしょうか。

”小洒落た感じのイベント(を行う会社)”で収まって欲しくないなぁ…と勝手に考えていて、じゃあ、そうならないためにはどうすれば良いかと言うと、「ビジネス的にも成功する」ということが必要不可欠だと。デザイン関係はどうしても、自分の創りたいものややりたいことを優先しがちで、お金の話はタブーみたいになっていたりするけど、そういったやり方では社会を変えたり、世界の法則を変えるようなことはできないんじゃないかと感じている。デザインを行う会社、イベントを行う会社、デザイナーになってそれで、社会に何某かを還元し、それによって何かが変化してくる、みたいなのが理想なんだろうけれどそれにはある程度の経済的成功が必要で、そうじゃないと「よくある小洒落たデザイン会社」「よくある小洒落た感じのイベント」で終わってしまうんだろうなと。そういったものはコモディティ化しているだろうし、


ここまで書いて思ったけど、何も出来ないお前が言うなって感じだ。
偉そうな文章なので、このまま放置。
でも、WWFTやnewstodayがビジネス的にどうなのかっていうのはとても気になる。

blog

movable typeを導入してみて感じたけど、ftpで頑張って更新していた時代を思うと、blogってとても便利。流行るのもわかる気がする。

日本はブログ大国?

携帯の力ってすごいね。ECサイトでもモバイルで購入する人が増えているとか。携帯インターネット利用者がPC利用者を初めて超える ってニュースもあって、携帯に飲み込まれていく感じだ。「おしゃべり」は楽しいし、暇つぶしには最強だ。

Flash

物理エンジンあたりが組み込まれたりして、そういった方向にも進化するのかなぁって考えているけどどうなんだろうか。リッチコンテンツか、インターフェースの二方向がメインなんだろうけど。

Webって時間の流れが速いので、コンテンツのアウラ(ベンヤミン)も”「今、ここ」感”しかないような気がする。消費され続けて発散していく感じか。散らばっているものを整理して、纏めて離合集散の繰り返し。メタゲーム。

ゲーム、アニメ

http://blog.livedoor.jp/m9concert/
迷宮組曲(ファミコン)の制作者の方。
ほぼ一人で制作されたようで、やはりエッジの効いたものは何でもそうですけど一人か、少人数で制作されていることが多いですね。そういった作品は、全体を通しての情報のコントロールが上手くできていて、緊張感が持続する感じがする。筋が一本通っている感じか。
制作していく中で、どんどん制作にのめり込んでいってドライブがかかって来る。そのライヴ感みたいなものが作品に反映されて、プレーヤーも同じくプレイにのめり込んでいける……いや、プレーヤーをそこまで連れて行ってくれる。そういうのが良い作品なんだなと思う。ゲームでもアニメでもなんでもそうだけど。

http://freedom-project.jp/
良い曲だなって思った。アニメは3DCGでOVAなんですね。

話題がそれるけど、FFXIII、MGS4はゲームじゃなくて映像で見たいなぁって思った。

そして、恋愛と携帯からは、何も生まれなかった。

孫引きだけど、

若者殺しの時代からの逃走と闘争

カテゴライズされてラベリングされると、搾取の対象になるってことですね。
FlashでもPhotoshopでもWebデザインでもいいんだけど、そこから何か生まれたかなぁって考えると、うーんと、えーっと。一つのムーヴメントをつくるには、点と点を繋いで大きな波にしないとダメなんですよね。個人でできることなんてたかが知れてるし(天才は除く)。
でも、日本だと基本的に烏合の衆でエントロピーはどんどん増大していって、集まって何かをやろうという感じにはならない。集まって何かするのは、ろくでもない宗教ぐらいでしょうか。
自立した個の連帯(浅田彰だったかな)ってのは、難しいですね。

続けるということ

何事においてもそうだと思うけど、「あきらめない」「続ける」ってことが大切なんだと思う。
他に何か情熱を傾けることができるモノが見つかったなら、そっちに行けばいいと思うけど。

夢中になっているときは、本当に楽しくって周りが見えてない。でも、いつかは現実と折り合いをつけて生きていかないといけないわけで、それが大人になるというか、なんというか。魔法が切れて夢から覚めてしまってからが何事においても大切で、そういう状況になって初めて物事を自覚的に行うことができるんだろうなと。
「あの頃に戻れるかな」ってよく考えたりするし、夢中になってた時の自分を振り返って、よくあんなことできたなぁって我ながら驚いたりする。なんだかもう年寄りのような気分だ。

なんだか纏まらないけど、今更ブログ書いてみるテスト。
それにしても良い天気だな。もうすぐ梅雨らしいけど。