This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

HELMUT LANG ARCHIVE from 1986 to 2005 at the MAK Museum Vienna - AN INTERVENTION BY HELMUT LANG

MAK Museum Viennaで7月12日まで行われているHELMUT LANGのアーカイヴ展について、ラング自身へのインタヴュー記事が出ていますね。1986年から2005年までの彼の会社のブランド開発とアイデンティティに関連する9000点以上のアーティファクトを寄贈したことが、今回の展示の発端だったようです。

2005年にブランドを離れてアートの世界に戻ったことについて、彼は常にアーティストになることに興味があり、予想以上に反響を呼んだファッション業界での活動はあくまでもそのための一時的なものであったと答えています。

服を通して彼が表現したかったものについては、「エレガンス、ロマンスやクールネスを感じさせる人間の条件に関する自分の興味で満たされたコンテンポラリーとヴィジョナリーの可能性。ベーシックでエキセントリックな実験を、ステアではなくシェイクで、セクシュアリティを添えて。」とのこと。

アートとファッションを区別するものは何か?という質問には、Yves Saint Laurentを引用し、"Fashion is not quite an art, but requires an artist in order to exist."(ファッションはアートではないが、存在するにはアーティストが必要である。)と答えていますね。

ブランディングについては考えたことがないとのことで、自分の中の全てを使って良い仕事をしようとしただけと話しています。懸命に自身の表現を追求したことが結果的にブランディングに繋がったということ。

ランウェイショーに関して彼は「従来の高尚なランウェイを廃し、実際の(人間の)歩行に似た特定のパターンと速度でモデルを歩くようにさせました。キャストに関して言えば、モダンコンセプトはウィメンズとメンズを同時に出演させることであり、モデルとスーパースター、そして、モデルではない様々な年齢や背景を持つ友人たちを一緒に紹介することだと常に感じており、それは今日のファッションに非常によくあるものものです。」と言い、人間の動き(ウォーキング)はファッションに命を吹き込むと話しています。

「自分の服がランウェイのためではなく、実際の人間の体のためにつくられていることを常に注意していました。私はそれらが完璧にフィットし、完璧に実行され、長期的な品質を有し、人体をエンハンスすると同時に着用者のパーソナリティを強く主張するようにカットされることを望みました。」

今回のアーカイヴ展への彼のインターヴェンションは、お役所的な博物館のプレゼンテーションを回避し、アーカイヴを用いて現代的な視点を与えることを望んだ結果と説明しています。そしてそれを「ヒエラルキー無しで記憶を呼び起こす」(彼は大小を問わず、全ての作品や全てのことが平等に知覚されるべきだと考えている。)と彼は言い、"Living Archive"は過去の出来事に関するものではなく、現在の、機能的で、刺激的な出来事としてそれを確立しようとしているのだと話しています。

「Living Archiveのアイデアは、部分的に私の作品を取り巻く魂を保存することであるので、伝統的なアーカイヴシステムでは傾倒することができません。他方では、インスピレーションを得ることやファッション、グラフィックデザイン、建築、そして、基本的に服を補完するあらゆる側面に渡り研究されることを意図しています。繰り返しになりますが、それはファクトとデータを保存することだけではなく、私の作品に厳粛さを与えた精神についてです。Living Archiveという概念は、2005年から現在まで、そして現在も進行中の作品の影響について、アカデミック、ジャーナリスティック、その他の様々な人々からの経験や観察の注入を可能とするでしょう。」

過去の資料を振り返った彼は「後悔はありません。そして、お気に入りもありません。すべての経験は等価です。」と話し、今回のインターヴェンションについて「最終的に、ファッションにおける私の作品を含むいくつかの書籍や他の資料に取り組むという考えを受け入れる準備ができました。」と語っているので、今後もファッション関連で彼に何か動きがあるかもしれないですね。

Christian Dior 20-21AW Collection

チュイルリー公園に設営されたテントには、パリを拠点に活動しているフェミニストでコンセプチュアル・アーティスト集団のFulvia CarnevaleとJames ThornhillによるClaire Fontaine(ローマで行われる予定の彼らのエキシビジョンの後援をDiorが行う。)が手掛けたインスタレーションを据える。

"When women strike the world stops." "Patriarchy = climate emergency." "Consent. Consent. Consent."といったフェミニズム・スローガンのネオンサイン。"We Are All Clitoridian Women."は、1970年代のイタリアにおいてフェミニストで美術評論家であったCarla Lonziの「女性のオルガスムは自律的で男性を不要とし、男性の存在に依存する異性愛と性的快感を分離する。」という概念に基づく。そして、ランウェイに敷き詰められたLe Mondeは、1949年に撮られたHenri Matisseのスタジオ写真(新聞紙を床に敷き詰めている。)に由来する。

Maria Grazia ChiuriによるChristian Dior 2020-21年秋冬コレクションのスターティングポイントは、裁縫婦であった母親と自身の10代の頃のスナップ写真。コレクションを彼女はヴィジュアル・ダイアリーと呼び、自身がティーンであった1970年代をインスピレーションソースとして再考する。

ニットウェアのバー・ジャケット、ジャンプスーツ、プリーツスカート、ブランケットチェックのシャツワンピース、ボヘミアン・フリンジの多用、色褪せたデニムのセットアップ、トレードマークのシースルー・スリーブにアンダーウェア。足元はコンバットやシアリングブーツ、そして、スリッポンからサンダルまで。

いつものようにフェミニズム・イデオロギーの外部参照と、ラディカルなスローガンとは対照的なウェアラブルでアクセスし易く、女性に優しいコレクション。毎シーズン、フェミニズムは衒学的なただの賑やかしであり、Cathy Horynも指摘しているようにリファレンスとしてクリエイションの深部に影響を及ぼすことがほとんどないのが実情である。メタ的に見れば、Diorを所有するBernard Arnault自体が家父長的存在であるという見方もでき、底は確かに浅い。

コレクションに関して言えば、インスピレーションソースやアイデアを蒸留・昇華した結晶としてのプロダクトがテンプレート化しつつあり、単に色や柄を変えただけのバリエーション違いでしかなく、ファッションの可能性を追及しようとする本質的なアイデアに立脚したクリエイションが見えない。ウィメンズ・ファッションはメンズに比べて遥かに自由度が高く、クリエイションフィールドは広大であり、実験的な試みの多少の失敗も受け入れ可能な懐の深さを持った世界である。

歴史あるメゾンがパリで行うデフィレに必要なものは、保守的な何かではなく、伝統を維持しつつも境界を押し広げようとする勇敢さと言えるでしょうね。

via vogue.com wwd.com vogue.co.uk nytimes.com businessoffashion.com tFS

Miuccia Prada with Raf Simons

2020年4月2日からRaf Simonsが共同クリエイティヴ・ディレクターとしてPradaに参画し、クリエイティヴ・インプットとディシジョンメイキングにMiuccia Pradaと同等の責任を負うと発表されましたね。デビューとなるのは、9月にミラノで行われる予定の2021年春夏ウィメンズコレクションとのこと。彼がミラノに回帰するのはJil Sander以来ですね。

2018年12月にCalvin Kleinを去ったラフがこのままウィメンズの服をデザインしないというのは勿体なく、比較的クリエイティヴィティに理解を示すヨーロピアンブランドでの復帰が妥当と思っていましたが、少し前から流れていた噂通り、Pradaに参画するというのは個人的にあまりピンと来ていなかったですね。CKの辞任から一年が経過したので、競業避止義務があるとすればその効力が切れる頃なのでそろそろ動きがあるとは思っていましたが。Chanel辺りでの復帰を期待していたのですけれどね。

記者会見において、ラフは「ファッション業界は、創造性を排除してしまう可能性のある業界にますます移行しています。」「強力な創造性を無くして、強力なビジネスを持つ可能性がますます見えてきました。それは私たち、ミウッチャと私が同意しないものであり、そして、多くのデザイナーが同意しないということを知っています。この(ファッション)ビジネスでは創造性について忘れてはならないと思います。」と話したようですね。
一方、ミウッチャは「ビジネスにおける創造的な側面を強化する必要があるのは事実です。私たちはお互いが好きで、お互いを尊敬し、どこかに行こうとするなら私たちはそれが分かります。」と話しています。

Pradaグループの最近の業績は、LVMHやKeringへの売却の噂が立ちつつも、若干の好転の兆しを見せるといったレベルに留まる状況で、過去5年間で35%ほど株価が下落しており、依然として厳しい立ち場にいると言えるでしょう。今回のラフの参画にはこういった背景があるのも事実であり、クリエイティヴの強化という実質的側面と株価対策の2つの側面があると言えるでしょうね。Pradaはadidasとのコラボレーションもビジネス的側面が強い印象でしたし。

現在、ミウッチャは70歳、ラフは52歳であります。ミウッチャの引退は否定されていますが、今回のジョインが成功すればラフが実質的な後継者になる可能性が高いでしょうか。ただ、ラフはDiorを3年半、CKを2年強で辞めた前科(どちらもポジティヴな辞め方ではなかった。)があるので、なんとも言えませんね。ミウッチャは今回の契約について、「理論上、それは永遠です。」と話しています。

ミウッチャの40年来のコラボレーターで、彼女の右腕であったManuela Pavesiが2015年に逝去したというのも今回の決定に影響しているでしょうか。尚、今回のラフのPradaプロジェクトに彼の右腕であるPieter Mulierは参画しないというのも気になるところ。ピーターはラフから完全に独立するのか、Pradaプロジェクトにだけ関わらないのかは不明ですね。流石にDiorとCKがあったので懲りたのかもしれません。

2005年にラフがJil Sanderのデザイナーに就任した際、Jil SanderはPradaグループ傘下にあり、ミウッチャの夫でビジネスパートナーのPradaグループCEOであるPatrizio Bertelliとの関わりはそれ以来ということになりますが、ラフがCalvin Kleinを去った直後にPatrizio Bertelliがラフに連絡をし、今回の就任となったようですね。

「2人の成熟したデザイナーが一緒に仕事をすることを決めたのは、おそらく初めてのことだと思います。」とミウッチャは話したとのこと。Vanessa Friedmanが例に出していますが、Dries Van NotenとChristian Lacroixの1シーズン限定の2020年春夏コレクションにおけるサプライズ・コラボレーションが思い出されます。この場合、最終決定権はDries Van Notenが持っていましたが、ミウッチャとラフも平等とはいかず、デザイナーは我が強いのでどちらかが折れなければ上手く回らないような気が個人的にはしますね。

Diorの時はJil Sanderでのクチュールトリロジー・コレクションの流れがあったので個人的に上手くいくと感じており、逆にCalvin Kleinはアメリカンブランドということで否定的でしたが、今回のラフのPradaへの参画は何とも言えないというのが正直なところ。分かり易く言うとラフは癖のあるデザイナーなので、Jil SanderやDiorといったある意味、癖のないオーセンティックなヨーロピアンブランドの方が合致するタイプのデザイナーと言えるでしょう。正統派のベースのあるデザインに捻りを加える程度が過剰にならずに済むということですね。

Pradaはuglinessに代表されるように変化球的側面の強いブランドであるので、ラフとは傾向が似ています。そもそもラフは昔からミウッチャのデザインをリスペクトしていると公言しているので、ラフがPradaに影響を受けているというのが正しい言い方になりますが。

歯車が合えばクリエイションとして化学反応が起きると思いますが、そうでなければ成熟したデザイナー同士のクリエイション性の違いから早晩ダメになるでしょう。ビジネス的側面に関しても彼らの化学反応次第と言えるでしょうか。いずれにせよ、9月の2021年春夏ウィメンズコレクションを楽しみに待ちたいですね。
ただ、気になるのは新型コロナウイルスの影響で、5月21日に日本で披露される予定だったPrada 2021年クルーズコレクションが延期となっています。現時点で終息が見えていないのが、なんとも…と言ったところ。このまま感染拡大が続くとすれば、6月のメンズコレクションやクチュールコレクションへの影響も懸念され、当然、ビジネスにも暗い影を落とすでしょう。

Prada 20-21AW Collection

Miuccia PradaによるPrada 2020-21年秋冬コレクションのショーステージは、メンズコレクションで使用したものを流用しつつ、Fondazione Pradaに抽象的なアトラス像を設置し、ウィーン分離派(メンズコレクションと同じインスピレーションソースの1つ)から取られた睡蓮の花を壁面に描いたAMOによるもの。

ウィーン分離派のその時代についてミウッチャは「アーティスト、知識人、労働者が一緒になって何か良いものをクリエイトした瞬間でした。それは何らかの理由でクリエイティヴィティとヒューマニティが忘れられた時代のインダストリー・ムーヴメントへの反応でした。今日の世界と類似点があります。」と説明する。

誇張された肩とワイドラペルのベルト付きボクシーテーラリング・ジャケット。グラディエーターのようなカーウォッシュ・スカートに多用されるフリンジやジェットビーズ。リブニットレギンスには透け感のある睡蓮を描いたチュールのレイヤーを重ねる。メンズライクなシャツとタイの組み合わせ、クラシックなビブフロントシャツ、スポーティーでカリカチュアライズされたパフジャケットとレインブーツ。ノースリーブのグラフィックシャツとVネックニット、そして、最後は睡蓮を描いたシルクパジャマでフィナーレを迎える。

モデルのロングヘアー、フリンジ、カーウォッシュ・スカート、ニットのリブは相似として反復的な直線性というアイデアを共有する。AMOによるショーステージにもラインがストライプのように描かれていたのは、これらのメタファーである。

マニッシュな要素とフェミニンな要素の並置。女性の強さを再概念化する探求はミウッチャのライトモチーフであり、抽象的なアトラス像は女性が世界を支えるという構図を意味する。

「私は軽薄さではなく、女性らしさを繊細な女性性(デリケート・フェミニン)と見なされるものを通して定義したいです。強い女性になるために女性らしさを諦めなければならないという議論は、いつも私を悩ませました。」と彼女は話す。女性が単に男性のような装いと振る舞いをするのではなく、女性はその繊細さを通して強くなれるという彼女の意志。コレクション内における男性性は、その実現のために援用されるに過ぎない。
プラダスフィアに住む多くの女性は、きっとミウッチャのこういった考えに共感し、Pradaを美しく着ているのでしょうね。

via vogue.com wwd.com vogue.co.uk nytimes.com businessoffashion.com tFS

Gucci 20-21AW Collection

バックステージの様子からショーは始まり、円形の回転するメリーゴーランドにモデルが屹立するインスタレーション形式で提示されたAlessandro MicheleによるGucci 2020-21年秋冬コレクション。

フェティッシュでチャイルディッシュなベビードールやピナフォアドレス、ベロアやレザーにハーネスの光沢。ピーターパンカラー、シースルー、プリーツやフリル、ファーのディティール。グランジやフォークロア、そして、スクールユニフォームの影響。レースグローブや十字架ネックレスに、ガーリーなホワイトソックスやタイツ。足元は厚底ドールシューズからビットモカシンまで。

ドール感や耽美に針が振れたコレクションは、Alessandro Micheleが固執するキッチュな幼児性によってある種の薄気味悪さを前景化する。一般的なコレクションブランドのデザイナーであれば、それらをエレガントに仕上げ、大人の女性に値するコレクションとして提示するが、彼はそうはしない。
幼年期における世俗的なものの無自覚な使用による無垢さの発露が、彼が耽溺する世界観には存在する。

回転木馬は終わりのないファッションにおけるシーズンや流行、コレクションの提示という循環性の暗喩である。ショーは神聖な儀式であり、その祭壇(ホワイトキューブ)で提示される服に生命を吹き込むための祝祭空間として機能する。
Alessandro Micheleが話すように、いずれこの回し車から離れて他のことをしたいと考えるファッション関係者は多いでしょう。ただ、人間が服を着る限り続く、正解のない魅力的なファッションの世界からそう簡単には離れられないというアンチノミーが存在することもまた事実でしょうね。

via vogue.com wwd.com vogue.co.uk nytimes.com businessoffashion.com tFS

Burberry 20-21AW Collection

Riccardo TisciによるBurberry 2020-21年秋冬コレクションのテーマは、"Memories"。
Central Saint Martins時代にロンドンに住み、卒業後、いくつかのビジネスを経験した後、インドでの生活を始め、自身のコレクションを制作したという彼のマルチカルチャーな過去が投影された今回のコレクション。

ブランドのアイデンティティとなるトレンチコートはコンプリケート・カスタムなフォルムで複雑さを増し、チェックパターンは視覚的にLookに複雑さを与える。フロア丈のバイカラーロングコート、光沢のあるシルクチェックのスカーフシャツ、鋭いテーラリングやコートと組みにされるプリーツ・ファブリック。スナップボタンのキルティングやシアリングジャケットに、ギャザーにアクセントを置いたスカート。

複数のシャツをコラージュしたトリッキーなケルベロスシャツやブロック・ストライプのオーバーサイズ・Vネックニットは、スニーカーと合わせてRiccardo Tisciらしくストーリートカジュアルでまとめ、逆にドレスなどに用いられたチェーンメイルの宗教性を帯びる生々しい使い方は彼のハードな一面を垣間見せる。そして、バーバリーチェックは、彼の記憶と共にあるマドラスチェック(インドに由来。)へとモーフィング。

細かいディティーリングの積み重ねによる各Lookの情報量の向上がコレクションの核にあり、その複数性の集合として複合的、且つ、散逸的に発露されるコレクションが今の英国の複雑な空気感と符合する。表向きは滑らかでクリーン、カジュアルでありつつもその内部は多層的で複雑であり、深淵には宗教性や民族性のシリアスな緊張感が流れる時代の空気と彼のクリエイション。

就任時から繰り返し多用されるベージュを中心としたアースカラーのパレットは、サステナビリティやカーボンオフセットへのブランドとしての頷きと呼応し、散見されたフェイク素材の使用は多様化する世界への配慮である。多くのブランドが一時の流行り病のように同様のステートメントを発しているが、経済活動促進のための環境配慮というコントラディクションは結果的にグリーンウォッシュになる危険を常に孕む。

総論としてはまとまりに欠けたコレクションであり、シーズンを重ねるごとにブランドの遺産とRiccardo Tisciのカラーが融和しつつあるとは言え、人々がイメージするBurberryの分かり易いトレンチ・チェックのビジネス・マーケティング的な部分を陽だとすれば、Riccardo Tisciのパーソナルな資質に基づいたクリエイションは陰としてコレクション内に内在していると言えるでしょう。その混迷の黄昏が今のブリティッシュネスだと言われればそれまでではありますが。

via vogue.com wwd.com vogue.co.uk nytimes.com businessoffashion.com tFS