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Christian Dior 20-21AW Collection

チュイルリー公園に設営されたテントには、パリを拠点に活動しているフェミニストでコンセプチュアル・アーティスト集団のFulvia CarnevaleとJames ThornhillによるClaire Fontaine(ローマで行われる予定の彼らのエキシビジョンの後援をDiorが行う。)が手掛けたインスタレーションを据える。

"When women strike the world stops." "Patriarchy = climate emergency." "Consent. Consent. Consent."といったフェミニズム・スローガンのネオンサイン。"We Are All Clitoridian Women."は、1970年代のイタリアにおいてフェミニストで美術評論家であったCarla Lonziの「女性のオルガスムは自律的で男性を不要とし、男性の存在に依存する異性愛と性的快感を分離する。」という概念に基づく。そして、ランウェイに敷き詰められたLe Mondeは、1949年に撮られたHenri Matisseのスタジオ写真(新聞紙を床に敷き詰めている。)に由来する。

Maria Grazia ChiuriによるChristian Dior 2020-21年秋冬コレクションのスターティングポイントは、裁縫婦であった母親と自身の10代の頃のスナップ写真。コレクションを彼女はヴィジュアル・ダイアリーと呼び、自身がティーンであった1970年代をインスピレーションソースとして再考する。

ニットウェアのバー・ジャケット、ジャンプスーツ、プリーツスカート、ブランケットチェックのシャツワンピース、ボヘミアン・フリンジの多用、色褪せたデニムのセットアップ、トレードマークのシースルー・スリーブにアンダーウェア。足元はコンバットやシアリングブーツ、そして、スリッポンからサンダルまで。

いつものようにフェミニズム・イデオロギーの外部参照と、ラディカルなスローガンとは対照的なウェアラブルでアクセスし易く、女性に優しいコレクション。毎シーズン、フェミニズムは衒学的なただの賑やかしであり、Cathy Horynも指摘しているようにリファレンスとしてクリエイションの深部に影響を及ぼすことがほとんどないのが実情である。メタ的に見れば、Diorを所有するBernard Arnault自体が家父長的存在であるという見方もでき、底は確かに浅い。

コレクションに関して言えば、インスピレーションソースやアイデアを蒸留・昇華した結晶としてのプロダクトがテンプレート化しつつあり、単に色や柄を変えただけのバリエーション違いでしかなく、ファッションの可能性を追及しようとする本質的なアイデアに立脚したクリエイションが見えない。ウィメンズ・ファッションはメンズに比べて遥かに自由度が高く、クリエイションフィールドは広大であり、実験的な試みの多少の失敗も受け入れ可能な懐の深さを持った世界である。

歴史あるメゾンがパリで行うデフィレに必要なものは、保守的な何かではなく、伝統を維持しつつも境界を押し広げようとする勇敢さと言えるでしょうね。

via vogue.com wwd.com vogue.co.uk nytimes.com businessoffashion.com tFS

posted by PFM