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Kris Van Assche in Conversation with Brian Rochefort

Kris Van AsscheによるBerlutiとロサンゼルスを拠点に活動しているセラミックス(陶磁器)・アーティストのBrian Rochefortが、2021年スプリングコレクションにおいてコラボレーションを行うと発表されていましたね。
パリとロサンゼルスをデジタルで結んだロングディスタンス・コラボレーションによってCOVID-19のこの状況に適応するとのこと。コレクションはウェアとアクセサリーから成るようですが、生産が遅れているため、一部しかお披露目できていないようです。

「ここ(Berluti)で2年を経て、私はもう一人の人を招待する準備ができていて心地良く感じていました。これまで私は自分の個人的なスタイルとブランドのDNAのバランスを見つけ、リファインすることに集中してきました。そして、1月の最後のショーの後、すぐにブライアンに連絡し、次のランウェイショーをやることにしたところ、この惨事(COVID-19)が起きました。」

以前からクリスは自身のクリエイションを中核に据えることの重要性を説いており、AD Campaignやモデル等の話題性によってクリエイションが歪んでしまうことを忌避してきましたが、その漸進的な成長の次のステップとして、Brian Rochefortとのコラボレーションを選択したタイミングで運悪くパンデミックが起きてしまったようです。つまり、パンデミックによる不況のためにコラボレーションを企画したということではないということ。

「ブライアンの作品にはとても感心しています。私は伝統的なフランスの陶磁器(純粋で完璧で滑らかで伝統的。)から始めて、何年も陶磁器を集めてきました。でも、少しずつ、より現代的な形や、より自由なことをしているアーティストを知っていきました。そして、ブライアンは私が出会った中でも最も型破りな陶芸家です。彼は陶芸のバッドボーイです。」

火山の噴火の影響を受けたBrian Rochefortの原始的で不確実性を含んだ噴出物の泡の造形美。それらをシルクシャツや靴のパティーヌと組み合わせたコラボレーション・アイテム。

1月からは、より小さなコレクションを計画しており、3週間に一度の頻度のデリバリーでブランドの鮮度を高める予定であるとのこと。その一方で、シーズンを超えたBerluti Classicsのコアコレクションを開発しており、クラシックス・コレクションの上に鮮度感のあるコレクションが乗る2段階構成を考えているようです。

「デジタルで撮影されたファッションショーをやりたくありませんでした。つまり、私はファッションショーが大好きですが、ヒューマニティ、リアリティ、エモーション、ランウェイ・ステージ、音楽のためにそれらを愛しています。そして、あなたが男の子と女の子が着ている服を見ているという事実。その感情をビデオにトランスレートできるとは思いません。しかし、実際のファッションショーにおいてできないことは、物事がどこから来たのかというバックストーリー、情報を伝えるということです。(今回のコラボレーションを見た)人々は「それは素敵なプリントを使ったカラフルなコレクションでした。」と言います。だから、今回初めてその情報(コラボレーションの情報)を先に伝えて、結果を提示することができます。通常、私は制作中の作品を見せたくはないのですが。」

何の予備知識も無しに世の中に作品を提示することになるファッションショーは、受け手側の知識量にその解釈は依存します。あるアーティストとのコラボレーションやある意図を持った作品だったとしても、それに気づけない受け手は大勢いる訳であります。
今回は、アイデアや背景を先に明かした上で作品を提示するという普段とは逆になっているということですね。

「いつも私は、人々はキッチンで何が起こっているかを知る必要がないように感じています。でも、今回の会話の撮影は気持ちが良く、ブライアンの仕事振りと私の仕事振りはとても上手く接続しました。」

Chanel 20-21AW Haute Couture Collection

COVID-19の影響を受け、クルーズコレクションに続いて2回目のオンラインでの公開となったVirginie ViardによるChanel 2020-21年秋冬オートクチュールコレクション。
今回のコレクションにおいて、エキセントリック・ガールについて考えていたというヴィアール。インスピレーションソースとなったものは、70年代から80年代に掛けてニューヨークに存在したディスコ"Studio 54"の応答として、80年代のパリにあった"Le Palace"。コレクションのその心は、CocoよりもLagerfeldにある。

Mikael Janssonが撮影したRianne Van RompaeyとAdut Akechによる30のLook(クチュールのアトリエが3か月ほど閉鎖されていたため、このLook数となった。)。ショーではできないかもしれないこと、とヴィアールが話したのは、各Lookの中で存在感を放つパンクヘアーとファインジュエリー。

ツイード・ジャケットにティアード・スカートの階層性、フロア丈のベルベットドレス、大きな花の刺繍とクロスリボン・シューズ。フルスカートのレトロなカクテルドレスは白と黒の花が咲き、ラッカー・ピンクのレースがアイキャッチ(このLookをヴィアールは"ma poupee"(私の人形、の意。)と呼んだ。)。モノトーン・ツイードと真珠のランデヴー、ミッドナイトブルーの美しい色合いに、スパンコールとビジューの煌めき。

"casual and grand"とヴィアールが表現したように80年代のディスコ・カルチャーからインスパイアされたコレクションは、軽さを伴ったカジュアル・クチュールであるが、彼女の問題点は筆致が全体的にレトロであると言えるでしょう。自分の中にある何かを表現するというよりも過去や既存の何かによってコレクションは構成されており、モダニティが不足している場合が多く、これはAD Campaignを見ていても顕著に見られる傾向にある。
これは、Chanelというメゾンに代々伝わるツイードやパールといったレガリアをそのまま使うと現代的にすることが難しく、そこにはデザイナーの魔法が必要ということを意味する。

Bruno Pavlovskyとしては、シーズンサイクル及び、ランウェイショーをできるだけ早く戻したいと考えているとのこと。既存のシステムにおいて成功を収めているプレイヤーがゲームのルール変更を望まないというのはファッションに限らず、どの分野でも同じことが言えます。逆に言えば、変化を起こせるのは失うものが何もないような新興のプレイヤーであるということ。

ランウェイショー、Look Book、AD Campaign、ショートフィルム、エディトリアル、ソーシャルメディアといったように各分野において各表現形態があり、デザイナーが描いた世界観の拡張と語るべき物語があります。水面の波紋のようにその中心にはハイエナジーの伝統的なランウェイショーがあり、全ての物語の始まりの場所であるというBruno Pavlovskyの指摘は首肯できます。ただ、COVID-19の終わりはまだ現時点では見えておらず、プレゼンテーションの最適解の模索は続くでしょう。

最後に、Chanelはサプライチェーンの継続性を保障するため、ツイードに使用される糸の多くを製造しているメーカーVimar 1991を買収したとのこと。Paraffection傘下のアトリエと製造業者の合計はこれで36社となる。
グループ会社内で調達を掛けられるように強化するというのは、今回のパンデミックのようにサプライチェーンが止まった時のことを考えると重要ですね。ツイードはChanelのアイデンティティの中枢を形成するものですから。

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Christian Dior 20-21AW Haute Couture Collection

COVID-19の影響により、初のオンライン・プレゼンテーションとなったMaria Grazia ChiuriによるChristian Dior 2020-21年秋冬オートクチュールコレクション。インスピレーションソースとなったのは、Lee Miller、Dora Maar、そして、Jacqueline Lambaといった女性写真家や画家たち。コレクションのプレビューは、Zoomを用いて行われたようですね。

コレクションはモデルが着用するのではなく、トルソーに着せた作品をシュルレアリスムな背景に乗せて提示する。空気感としては博物館での展示品(アーカイヴ)のようであり、時間の概念から切り離されたような印象を受ける。それは俗っぽさの希釈とある種の権威を齎すが、ドレスとして生きているかと言われれば疑問符が付くでしょうか。

フィジカルなクチュールショーがキャンセルとなったことは、必然的にプレゼンテーションから生きたライヴ感の喪失を意味する。一般的にオンラインでのコミュニケーションは、如何にしてディレイ等を縮め、情報の双方向性をリアルに近づけることで臨場性を醸成し、それによって物理的な距離を埋め合わせようとする方向で進化中である。もちろん、2020年の今日時点においてもオンラインとオフラインでのコミュニケーションは、得られる情報量と体験は全く異なる状況にあり、定型的なコミュニケーション以外のシビアでセンシティヴ、または、クリエイティヴな類のものはオフラインに分がある状況である。

デフィレではないライヴ感を失ったプレゼンテーション。そこから更に人間性を捨象するシュルレアリスムなトーン&マナーでの作品提示はオブジェクトとしてのアート的側面の完成度を高める方向に働くが、時代を生きる女性を美しく彩るという側面をも捨象し、描かれる女性像も抽象的で匿名化される。

ステージ演出に照明やサウンドトラック。ウォーキングするモデルの速度や表情、メイクにヘアスタイル。ドレスの柔らかな流動性と靴やバッグにヘッドピースといったアクセサリー。フロントローを飾るセレブリティを含めた一回性の張り詰めた空気の中で提示されるクリエイティヴィティの結晶。フィジカル・プレゼンテーションとしてのランウェイショーという伝統ある儀式は多くの才能に支えられた高エネルギーの磁場であり、それをオンラインで代替することは現時点では不可能である。

Matteo Garroneによる"Le Mythe Dior"は、1945年にパリのデザイナーたちが第二次世界大戦の荒廃からの復興のために行ったミニチュア・ファッションツアーである"Theatre de la Mode"から着想を得たもの。二人のポーターがAvenue Montaigneのクチュールサロンを模したトランクを運んで採寸し、森に住む神話の妖精たちがドレスを着るというストーリーになっており、これはメゾンとクライアントが親密で非常に個人的な関係を維持する方法を描いたものである。

Maria Grazia Chiuriによると「クチュールの魔法の夢」に関する物語を望んでいたと話しており(シュルレアリスムもこの夢のメタファー。)、COVID-19からの復興の願いが込められている。無論、登場するミニチュアドレスはアトリエの職人たちによるものであり、キウリは「人形や可愛らしいもの、子供っぽいものにしたくありませんでした。これは本物のコレクションです。」と語っている。

コレクションの服を単体で見ればそこまでシュルレアリスムに傾斜したものではなく、いつも通りのMaria Grazia Chiuriと言ったところ。
ギリシアのキトン、プリーツ・バージャケット、ブラック・フリンジドレス、Jacqueline Lambaのタロットが描かれたホワイト・カシミアコート、スパンコール・ドレスなど。

オンライン化したことでフェミニズム・イデオロギーとディスタンスが生まれ、フェミニズム色が希釈されることで全体のバランスが取れていたのは思わぬポジティヴ要因であったと言えるでしょうか。

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