This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

Lanvin 11-12AW AD Campaign Dancing Movie

Lanvinのオフィシャルサイトに11-12AW AD Campaignのダンス・ムービーがアップされていますね。
Karen ElsonとRaquel Zimmermannのダンスも面白いですが、最後はAlber Elbazまで登場しているのが見所でしょうか。
今回のLanvinのキャンペーンはユーモアがあって個人的にはとても好きですね。

WSJ Magazine e-mail interview with Rei Kawakubo

WSJ Magazineのサイトに川久保玲のメールインタビューがアップされていますね。
例によって面白いと思った部分のみピックアップして簡単に書いておきたいと思います。
詳細やカットしている部分(Dover Street Market関連の話など)は原文をご参照頂くということで。

WSJ MagazineのサイトではMarc JacobsとRobert Duffyの二人の関係についてのインタビューも面白かったので、気になる人は読んでみると良いかなと思います。

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従来からあるスタンダードな美しさに疑問を呈し、服をつくるというよりもアイデアを表現することに重きが置かれている川久保玲によるComme des Garcons。怒りや希望など、そのとき感じている様々な感情を表現したいという彼女のコレクションは、それ故に常にアブストラクトで多層的なものをその出発点にするという。特定の歴史や地理的なものをリファレンスとしないので、人々にとってComme des Garconsのコレクションはとてもコンセプチュアルなものに映る。

「私の仕事はアーティストとしてこれまでありませんでした。"クリエイションを伴うビジネスをする"ということだけを今までずっと続けるだけで、それは私の最初でただ唯一の重要な決定でした。そしてその決定とは、過去に存在しなかった何かをクリエイトすることであり、そうすることでそれはビジネスになることができるのです。私はビジネスウーマンであることとデザイナーであることを切り離すことができません。それは私にとって全く同一のものです。」
ビジネスとクリエイションの関係性についてそう語る彼女によれば、Comme des Garconsのビジネスを拡大するためには多くの戦略が必要であり、そして最も重要な戦略の1つは、新しいクリエイションと成り得るソースを見つけることにあるという。

H&Mとのコラボレーションの目的はComme des Garconsがどのようにマスマーケットに訴求できるかを見ることにあり、再びそれを行うことは無いが、しかし、それは大きな成功を収め、若い顧客に非常に人気を博すことができたと彼女は話す。そして、Junya Watanabeもそのような会社の拡張戦略の一部である、と。コラボレーションには他の誰かの仕事が自分の仕事と出会うときに化学反応が起こることを彼女は望んでおり、1+1が2以上にならなければコラボレーションは意味を持たないという。
事業戦略という点でCDG傘下にあるJunyaとTaoのコレクションには全面的に自由を与え、ショーの当日のみ彼らのコレクションを見ると話す彼女。CDGの価値については当人たちが心に留めるものであり、そこにはジュンヤとタオへの信頼があるという。

今日のファッションの状況について彼女は、「ファッションに対してエキサイティングさを感じません。人々が強さのある新しい服を必ずしも望むというわけではないことを心配しています。人々はチープでファストな服を望み、他の皆と同じような格好をして満足しています。創造の炎は少し冷たくなり、現状に変化とエネルギーをもたらす熱意と情熱を持った感情は弱まっています。しかし、私がファッションに関してまだ好きであることは、馬鹿馬鹿しい行為やオドケテ見せること、セレブリティ・デザイナーであることがファッションビジネスにおいて不可欠で必要な部分であるということです。そして、クリエイションを無くしてファッションは進歩することができないので、クリエイションは私を興奮させます。」と話す。

多種多様なビジネス・モデルは多種多様なニーズを満たすのに必要であり、我々には強い作品性を持った服からファストファッションまでの多くのものが必要であるが、ファッションの全てにおいて完全に民主化が進行するとするならば、そのデモクラタイゼーションによって起こりえることは最低限の同じようなファッションの標準化(lowest-common-denominator syndrome)であり、それは絶望的な状況であるとも言えるだろうか。

「新しい何かを見つけることを目的とし、それに取り組むプロセスは本当に厳しいものです。それは今まで常に厳しいものでした。人々が何かを与えられるのを感じるために、人々に何かを感じさせるためにクリエイトすることは非常に難しいです。それを目的とするならば、プレッシャーが激しいのは当然のことですけれど。」とクリエイションについて正直に話す彼女の言葉には、もの作りへの誠実さが伺える。

「ファッションとはあなたが身に付けることによって、そのインタラクションを通してその意味は生まれます。アートと違い、それを着ることなく意味を持つことはありません。人々が今それを着たいので、今それを買いたいので、それはファッションです。ファッションには(過去でも未来でもなく)今しかないのです。」という言葉にはファッションが時代の空気を反映するものであり、デザイナーとして、ビジネスウーマンとしての彼女の側面を見ることができると言えますね。

Interview Magazine: Carine Roitfeld by Karl Lagerfeld

Interview MagazineのKarl LagerfeldによるCarine Roitfeldのインタビュー記事。Helmut Newtonの写真の話や"Porno Chic"と"Erotic Chic"などの話題が出ていますが、二人の美しさに関する話が面白かったので少しだけ。
カールがMarlowの"There is no beauty without some strangeness in the proportions."という言葉を引き、美しさには奇妙さや若干の不完全さが必要であるとし、カリーヌがMariacarla Bosconoを例に長生きするモデルについて"I think personality is more important than looks."と話していますね。

カールの言うように美しいと思われていなかったものが何かのきっかけで美しさに転じ得るということは間々あって、それを探している創り手も世の中には多くいます。そういう美しさはbeautyというよりもcharmingと言い換えた方がわかり易いかもしれませんね。カリーヌの言うパーソナリティもそうだと思いますが、何か引っ掛かりのあるものは美しさに転じ得る可能性を秘めていることが多いでしょうか。ベクトルがプラスに向くかマイナスに向くかの問題なので。

最初は魅力がないと思われていた女優が奮闘し、アイコニックな存在になるというカールのムービースターの話は美しさには努力というものが必要であり、また、美しさとは本人の努力によって獲得されるものであることを表していますね。
ファッションというものは外見よりも内面性とよりリレイティブであると思うのですが、ただ良い服を着るだけでは軽薄なものにしかならず、本人の努力による内面性の成長が伴うことで初めてそこに奥行きが与えられ、美しさという概念が成立すると言えるかなと思います。

Code of Dior homme

気が付くともう8月に入っていたりしますが、秋冬の立ち上がりについて書いていなかったので少し書いておきましょうか。
とりあえずDior hommeでコートやハイネックニットなどを購入しましたが、コレクションでも使用されていたニットは立体的なつくりになっていて面白いですね。写真では分かり辛いのですが、実際に着てみるとショルダーから胸元に掛けて立体的になっており、それをフィットさせて着るような感じになっています。素材の滑らかな質感は上品で、ランウェイと同じようにネックの部分は折り返さずに着たいですね。

ジャケットに関してはランウェイショーのLook4でEthan Jamesが着ていたベルト付きのものが気になっていましたが、プレコレクションで入荷していた素材違いのブラックを試着してみたところサイズ感が自分には少し大きく感じたので見送ることに。全部が全部では無いかもしれませんが、今シーズンはアウター系のアイテムはアームホールなどが少し太くなっている印象がありますね。個人的には吸い付くような細さが好きだったりするのですが、今後もこの傾向が続くのか気になるところです。

ミニマリズムへと収斂しつつあるKris Van AsscheによるDior hommeの流麗でクリーンなコレクションですが、12SSまでの3シーズンは初期の頃にあったクリスのクセがかなり薄くなっており、以前に比べると全体的に安定感のあるコレクションだったかなと思います。青年期の中性的なセクシャリティを鋭く描くというHedi Slimane時代のかつてのDior hommeにあった要素はかなり希薄化し、シルエットにボリュームを加え、ソフィスティケートされたソフトでシャープな方向性に現状はなっていますね。
成功を収めた前任者の後任として、そして、Christian Diorという歴史あるメゾンのメンズウェアラインとして取れる選択肢はそう多くないことを考慮すればこの変化は(ベストかどうかはさておき)ベターと言えると個人的に思いますがどうでしょうか。

メゾンのクラシカルなアトリエワークにフォーカスし、テーラリングをどのように現代化するのか?というフィールドでコレクションを重ねるKris Van Asscheですが、Hedi Slimaneと比較すると彼のコレクションはテーラリングに軸足を置くが故にスタイリングという概念が表面に出ることが少ないかなと思います。デザインという概念がディティーリングやカッティング、シルエットを意味すると仮定すればスタイリングという概念は異なる各ピースの結び付きの強度とバランス、そして、ある社会や文化におけるコードをリファレンスとして参照するという参照行為とも言えますね。
Hedi Slimaneがロックンロールやストリートのコードとデータベースを参照したように多くのデザイナーがインスピレーションソースとして外部の何かを参照しますが、Kris Van AsscheのDior hommeが直接的に何かを参照するということがほとんど無いのが面白いところで、そうであるが故に作品としての分かり難さと変化の少なさがあります。ただ、ここ最近ではミニマリズムやハットを被ったアーミッシュのようなスタイルが登場したりしているので、そういう部分では理解のし易さも少し出てきたかなとも思いますけれど。

作品の完成度を手っ取り早く上げたいのであれば過去のコードやデータベースを参照することなのですが、もちろんそれではクリエイティビティは必然的に縮減しますね。サイテーションとは自身の作品をどこかにマッピングするという行為でもあるので、作品がある体系の中に回収されてしまうという問題も内包します。でも、クリスの場合はこういった問題を回避するために何かを意識的にリファレンスとしないというよりも、テーラリングがすべてのマスターキーに成り得るというマントラが彼の中にあることがその一番の理由のような気がしますが。

都市的な無味無臭の漂白されたミニマリズムとテーラリングのしなやかなコンストラクションによるコレクションは12SSがある意味で到達点だと思われるので、次のコレクションにおいてもそこに留まるのか、それとも何かを加えたり、違う方向へ踏み出したりするのかというのは個人的に気になるところではありますね。