This is Not here - *//LIKE TEARS IN RAIN

What is Bernard Arnault's Next Plan for Christian Dior?

先日、話題になっていたNewsweek.comのBernard Arnaultのアーティクルですが、Phoebe Philoの話題を絡めたChristian Diorの後任デザイナーの話がとても面白いですね。

自動車産業におけるコンセプトカーの発表会のようなものであるオートクチュールコレクション。それはデザイナーとブランドのヴィジョンや世界観をクラフトマンシップの妙技によって表現する場であるはずだったが、2011-12年秋冬のChristian Diorのクチュールコレクションではそれが適切に成されていなかったことは多くの人が感じたことですね。アトリエの職人たちによって構成されるオーケストラのコンダクターとなる優秀なデザイナーが必要な状態になっている現在のChristian Dior。Bernard Arnaultが記事中で話しているように、クリエイティブ・ディレクターを欠いた状態でも職人たちは優秀なのである程度の演奏をすることはできるけれどそれを永遠に続けることはできないですね。経済学における合成の誤謬のように、各ピースは良かったとしても全体が適切にディレクションされていないとトータル・クオリティは高められないというアポリアも付き纏います。

破壊的な才能を埃まみれのヒストリカルなブランドに組み合わせ、それによって停滞したファッション・ハウスを復活させるというハーバード・ビジネス・スクールのケーススタディにもなっているというアルノーによるLVMHの経営哲学は、今ではラグジュアリー・コングロマリットのモデルケースとなっている。John Gallianoという才能によってドライヴされていたChristian Diorは正にそれを体現するようなお手本であったが、今回のガリアーノの事件は無秩序で野生的なクリエイティビティをマネージメントするというアルノーの方法論が文字通りメルトダウンを起こしたとも言える。クリエイティビティの中に内在するある種の狂気をビジネスとして引き受け、リスクを如何にコントロールするのか。原子力のようにデザイナーを核とし、その爆発的なエネルギーを推進力としてビジネスを拡大し続けるというアプローチに必然的にビルトインされる宿痾とその帰結。
才能あるデザイナーはストレンジでクレイジーであるというのはステレオタイプ過ぎると思いますが、ガリアーノがそうであることを求められていたことは確かでしょう。

約15年間に渡ってデザイナーを務めたJohn Gallianoの後任者にはいろいろな噂がありますが、このデザイナー問題にはChristian Diorのイメージを今後どのようにしていくのか?という問題が含まれていますね。今までの路線を踏襲して進めていくのか、それとも今の時代により適応するような新しい血をブランドの中に入れていくのか。Newsweekの記事ではここでCelineのPhoebe Philoについての考察がありますが、大胆でセクシーで爛漫なJohn GallianoによるChristian Diorとミリ単位の精度でミニマリズムが表現されるPhoebe PhiloによるCelineはとても対照的です。
(ケバケバしくて)わかりやすい華美さを求める中国のようなクリティカルな新興成長マーケットなどにおいてもCelineは3桁の成長を見せているようで、次の主要なブランドに成り得る可能性があるとのこと。そして、アルノーがCelineを評価していることの一つには、自分の娘でDiorで仕事をしているDelphineがCelineを着ていることもあるようですね。

アルノーはDiorをミニマルなブランドにするプランは無いとのことですが、今回の記事を読んで個人的には方向性を変えていくのもありのような気がしました。といってもミニマリズムなChristian Diorは(服に)リアリティが有り過ぎて、Diorに求めたいものとは違うなと思いますけれど。
the Cutのコメント欄にオートクチュールは既に過去のものとなっていると書かれていましたが、ランウェイショーの有効性が取り沙汰されたり、ネットによって雑誌が代替されつつあるように何においても耐用年数は存在するので、時代に合わせてブランドも再発明され続けていく必要があるのは言うまでもないことですね。例えそれがChristian Diorだったとしても・・ですが、John GallianoのChristian Diorが上手くいっていなかったかと言えばそうではないのでこの辺は難しい部分もあります。

Carine Roitfeldの後を継いだEmmanuelle Altにように大きく方向性を変えずに行けるのがベストではありますが、John Gallianoの代わりになれる人材が目に付かないというのが今のアルノーのジレンマなのかなと。ウルトラCとしてはガリアーノにセカンドチャンスを与えることですが、アルノーはガリアーノの向こう見ずな振る舞いを許していないので、この可能性は極めて低いといったところでしょうか。
この話題が出るとよく海外サイトで引き合いに出されるのはCoco Chanelとナチスの関係性ですが、いずれにしても冷却期間をある程度置かないと難しいでしょうし、LVMHでそれが有り得るのかどうかは誰にもわからないですね。

posted by PFM