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Christian Dior 12-13AW Haute Couture Collection

John Gallianoの馘首の後、Bill Gayttenが穴を埋めていたデザイナー職に史上6代目として就任したRaf SimonsによるChristian Dior 2012-13年秋冬オートクチュールコレクション。
ストリーミング配信もされていましたが、クチュールコレクションまでもがライヴストリームされる時代なのですね。アクセスが多かったのが理由だと思いますが、ストリーミングは結構途切れてしまっていましたけれど・・。Nick KnightやAlber Elbaz、Tim BlanksやKris Van Asscheといった多くの関係者が映っていたのは個人的にとても面白かったです。

赤いバラや白い蘭、黄色いミモザに青いデルフィニウムなどの花で壁一面を飾った5つの部屋をランウェイに行われたショーは、ブランドの遺産であるバージャケットへの言及となるタキシードルックからスタート。カラーパレットはブラックを中心にイエローやピンクにレッドなどを使用し、ノースリーブやストラップレスといったシンプルなドレスによって知的で慎み深いモダンな女性像を描く。
ニュー・ミニマリズムの表現法として、ミッドセンチュリーのオートクチュールをインスピレーションソースとしたJil Sanderでのクチュールトリロジー・コレクション。Jil Sanderでのクリエイションを本元のオートクチュールという舞台にそのまま上手くスライドさせ、ディオール・アーカイヴへのアクセスと共にモダニティとロマンチシズムの揺らぎをドライビング・フォースとしてコレクションを押し進める。

John Gallianoが描いた壮大なファッション・ファンタジーから大きく変化をしたRaf Simonsによるクリエイションは、控え目だが、静かな強さと美学が確かにそこには存在している。大量に労働力を投下した刺繍やある意味で言えば分かり易い多層チュールレースにフロアレングスで長いトレインやスカラップを備えたドレス、眩いスパンコールやクロコダイルレザーなどのラグジュアリー・マテリアルの使用といったものに安易に頼らないコレクションは、オートクチュールが狂想曲や盛儀盛宴でなければならないという風潮に疑義を呈しているようにも見える。Raf Simonsがインタビューで話しているように彼の企てがオートクチュールの再定義にあるとするならば、ここでオートクチュールとプレタポルテの違いとは何なのだろうか?いう疑問が自然と浮かび上がる。

Cathy Horynが言うようにオートクチュールにおいて服はすべてハンドメイドでつくられ、プレタポルテでは実現不可能な丸み(roundness)をそれらの服は与えられる。クチュールとプレタポルテの違いについてKarl Lagerfeldは、それらの違いを言葉で表現するのは難しいと前置きしつつも、"It's a kind of feeling. It's also about what's on the inside of a dress."と答えている。つまり、クチュール・クリエイションの本義はアトリエワークの結晶である服の内側に存在すると言える。ファッションの本質が人間の表面的な外見ではなく、その人自身の考え方や立ち振る舞い、精神といった内面性と深い関係にあるようにクリエイションの本質性もその内側に存在する。

職人の技巧がより優しく繊細なタッチで女性を描くことを可能にし、服の内側に込められたクラフトワークのエネルギーは抑制の効いたモダンなLookの中でインテリジェンスとして機能する。それはHamish Bowlesがレビューするように、Raf SimonsがChristian Diorのアイコニックな"New Look"を今日の世界において説得力のあるリアリティのある提案に変えるという挑戦が実現しようとしていたものと言えますね。

ラフ自身が今回のファーストコレクションを"Think of it as a blueprint."と答えているように、すべては始まったばかり。Jil Sanderでミニマリズムの新しいビジョンを提示したように、Christian Diorにおいても新しいビジョンを提示してくれることを期待したいですね。

via style.com wwd.com nytimes.com fashionwiredaily.com showstudio.com tFS

posted by PFM