Saint Laurent: Freja Beha Erichsen by Hedi Slimane
Freja Beha Erichsenをキャンペーンで見ても新鮮さを何も感じなかった自分に少し戸惑いを感じてしまいましたが・・、つまりそれはファッション業界は時間の流れがとても早いということなのでしょうね。メディアへの露出が減るとあっという間に他のモデルに取って代わられるのは、次から次へと次世代のモデルが出てくるということにも理由があるでしょう。久しぶりにキャンペーンやエディトリアルで見掛けても、そんなに時間は経っていないはずなのに、ずいぶん時間が過ぎてしまったような感覚にとらわれてしまうのが不思議だなと思います。
モデルの世代交代が早い理由は、やはりコレクション・サイクルの速度と不可分ではありませんね。ランウェイショーで産声を上げた服たちは、キャンペーンやエディトリアルを通して成長し、ブティックに並ぶ頃にちょうど成熟を迎える。生まれた瞬間から死に近づいていく人間のように、モードの世界のファッションは時間の経過と共に時代遅れという名の死に向かって刻々と近づいていく運命にあるとも言えるでしょうか。そういう意味では、ランウェイショーはデザイナーがファッションに生命の息吹を吹き込むための大切な儀式とも言えますね。
逆に、ペシミスティックにモードの世界を概括すれば、それは絶えず寄せては返す反復的で単調な波のように、終わりの無いラットレースのストリームでしかないとも言えるでしょう。
最後に、Hedi Slimaneのフォトグラフィーは、他の写真家の作品と比較すると圧倒的に時間の概念が希薄であるという特長がありますね。ストロボスコープを当てた回転体のように完全に被写体が静止している写真は、シャッタースピードを上げた写真のような動きの無い無機質で硬質な写真になっています。なので、彼の写真からは高速度撮影(ハイスピード撮影)された写真と同じような香りが仄かにするのですよね。そういった手法を上手く自分のものにして、静寂と孤独を彼らしく表現していると思いますけれど。
ただ、そういったフォトグラフィーをブランドのキャンペーンに連用していくと、どの写真がどのシーズンのモノなのかが一目では分からなくなってしまうという問題点があるのですけれどね。
時間の流れが早いこの業界の中で時間の概念を希薄化し、圧縮することをエディは結果的に行っているんだな、と今回のFrejaの写真を見ながらなんとなく思ったので書いてみましたが、そういう見方をすれば彼の写真も少し違った受け取り方ができるかもしれませんね。